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名臣の逸話
先日、浪人について質問した際に、福島正則の元家臣で1万石で傘張り浪人などを経て桑名松平家へ召抱えられた吉村又右衛門という人物に興味ひかれました。 戦国武将や大名クラスの逸話は数多いと思いますが、その家臣レベルで面白い逸話がある人物がいましたら教えて下さい。メジャーどころはある程度知っているので、出来れば吉村クラスのマイナーな家臣を希望します。
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NO.1です。 大物を高禄で召抱える話は、まだ戦国の余韻が残っている時代には多かったようですね。 これは結局、恩賞で禄高が増えても、それに見合う兵力が不足している場合の、最も手っ取り早い充足方法だと思います。 今の世でも、大財閥が傘下の企業群に不足している分野があれば、・・・たとえば薬品関係に企業がなければ、イチから薬品会社を起こそうとせず、既存の会社を買収すると思います。 大物に二万石やっても、その大物が自分一人で二万石食ってしまうわけではないと思います。その大物は二万石に見合うだけの家来を雇うはずです。 大物の昔の家来も馳せ参じるでしょうし、名声を慕って多くの新参者もやってくるでしょう。また、大物も自分の家来をよく訓練して、強い軍団に仕立て上げると思います。 そんなようなことで、殿様が直轄で二百石の侍をを百人雇うよりも、大物を一人高禄で雇った方が、兵力の手っ取り早い充足のためには効率的かなと思いました(もちろん大物の勇名に伴う宣伝効果の期待もあったでしょうが)。 しかし石田三成には驚きますね。マルで島左近に丸投げ状態!よっぽど見込んだんでしょうねえ。 おおせの通り、代々二万石のリスクはありますね。いつの世でも加増は楽ですが、減給するのは大変です。 お邪魔しました。
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- hazu01_01
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山形最上家に仕えた鮭延越前守は知っていますか。 鮭延越前守秀綱は最上義光、家親、義俊三代に仕えた金山城主17,000石取りの重臣です。最上家が改易されると、秀綱は土井利勝に預けられ、5000石取りの家臣となっています。彼も2年程度は浪人したようです。その関係は土井家には最上家家臣がたくさん再就職しました。その後、鮭延家は跡取り(外孫などは数人いたようです。庶子もいたようです。)がなく途絶えますが、鮭延家臣団と最上家旧臣とあわせ土井家の中核家臣団のひとつとなります。
お礼
土井利勝に召抱えられるまでに一万七千石の由緒ある城主が2年も浪人したのですね。 土井大炊といえば当時右に並ぶものがいないほどの権勢で、諸大名は皆、何かにつけて大炊に相談していたようですね。十数万石程度の大炊に五千石もの大身で召抱えられるとは、鮭延越前守も有能な武将だったのでしょうね。 ありがとうございました!
- 1582
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橙武者こと薄田兼相なんてどうでしょう
お礼
似たような言葉に蛍大名という言葉もあるようですが、橙武者と呼ばれるのはかなりの恥辱だったでしょうね。 ありがとうございました!
家臣クラスよりチョッと大物ですが、紀州付家老安藤帯刀直次のエピソードはいかがですが。 とっくにご承知ということならごめんなさい。 http://hinokuma.blog.ocn.ne.jp/weblog/2005/04/post_cd8a.html 下のページには安藤帯刀以外にもエピソードがいっぱい載ってます。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~tachi/ituwa1.html
お礼
安藤直次は福島家旧臣の紀州家への招聘に奔走した人のようですね。 URL拝見しました。 藤堂高虎が二万石で家臣を雇うなら、二百石を百人召抱えるよりも、世に知られた名将を一人かかえた方が良いという話も面白いですね。ただその名将が死んだとも代々に二万石を与え続ける事になるのはリスクあるかもしれないと思うのは私が凡人だからなのでしょうね。 当時の戦国武将は、有能と見れば自分の所領の一割を与えてでも召抱えようとした人物はざらにいたようですし、石田三成などは所領4万石の半分2万石を割いて島左近を抱えたようですね。 ありがとうございました!
お礼
確かに二万石となると百人単位の家臣がいたでしょうね。 石田三成といえば能吏の印象が強いので、家老には武勇に聞こえた者をたとえ高禄ででも抜擢したかったのでそうか。 ありがとうございました!