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自分の存在

皆さん始めまして。風梨と申します。 少し長くなってしまうかもしれませんが、どうか聞いてください。 私は高1なのですが、中2の時から今の今までずっと同じことで悩み続けています。(いつまでも解決しないというのも悩みの種です) 中2の時に林間学校に行ったのですが、そのとき突然『自分が自分である』ということに気がついて、なんというかまるで夢を見ているような気持ちになったんです。まるで今までとは別世界のような。そのとき以来色々なことを考えるようになって、うまくいえないのですが、自分だけ孤立しているような気分で、本当に自分は存在しているのか?と思ってしまうんです。頭では分かっているのですが、景色がちがく見えてしまって、それ以来遠くへ行くのが怖くなってしまいました。そのせいで、あまり積極的になれなくなってしまったんです。 そのことを考えるようになって以来、常に自分を意識するようになってしまったんです。笑ってるときも、友達といるときも、何をしているときも自分で自分を監視しているみたいに、、それがすごく怖いんです。他の掲示板にも書き込みをして、相談をしてみたら、精神科にいったほうがいいんじゃないかと進められて、余計に不安になってしまいました。私は病気なんでしょうか?私も、最近はどこかからだが悪いんじゃないかと疑ってしまいます。 たまにすごく何かに集中していて、忘れることもあるのですが、すぐに思い出してしまいます。 実は私は今高3で、上の文は高1の時にある掲示板で投稿したものです。 そのときこのことが哲学的なことに関係すると教えていただきました。 当時よりは冷静に考えられるようになった気もしますが、最近また孤独の中でさまよっています。この感覚を一度覚えるとドキドキがとまらなくなって、どうにかなってしまいそうになります。もう何年も自分の状況の説明の仕方を考えてきました。今私は受験生でそれどころではないのに、このことを考えると何も手につかなくなります。考えるというよりかは感覚的なことだと思うのですが・・・今は将来のことがすごく不安です。 いつかは自立しなければいけない、働かなきゃいけない、それなのにこんな状態じゃ普通の生活もできない気がするんです。 同じような感覚になったことがある方、現在そうである方、アドバイスや共感意見をお願いします。 最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

みんなの回答

  • ocara246
  • ベストアンサー率24% (6/25)
回答No.5

おつしゃるように、哲学に関係するかもしれません。 であれば私の知人が書いた本 「本当の自分」の現象學 NHKブックス 山竹伸二(著者)を参考に読まれたら? 彼は有名な竹田青嗣先生の弟子で深層心理学、現象學に関する サークルも主催しています。 詳しくお調べになれば分かります。

noname#80116
noname#80116
回答No.4

《もう何年も自分の状況の説明の仕方を考えてきました。》という割りには 中間の結論も出ていないのでしょうか。ここでは明らかにしておられないということでしょうか。 わたくしなどは 三十歳になるまで世の中のことが分からなかったのですから それに比べ若いあなたにしてみれば そうとう〔わたしの年代ではふつうに使うのですが〕ませておられる。つまり わたしの場合 《自分が自分である》と観念したのは 今のあなたより十歳以上もあとのことでした。 まづ ふつうの感覚であり ふつうのわれわれ人間の存在の状態であると考えてください。 これを前提にすれば あとは さらに ご自分で考えつづけていってくださいと申したいところですが 考えつくところを少しお伝えしておきましょう。 一つには ふつうの感覚でありふつうの状態だと言いましたが これは 社会全体から見れば 少数派です。あまりそのように自分が自分であると自覚した人は 見当たりません。(なぜ 見当たらないのか これを わたしはとっくに成人しているのにさらに十年も考え続けたのでした)。 早い話が 多数派は 眠っているという状態にあるということです。自信をもってお伝えしますし 自信をもって行ってください。 たとえば わたしのこのgooにおける質問やら回答やらをごらんください。読んでみると そのことはお分かりになると思います。いかにわたしの言い分が 受け止められているか その情況をじっくり観察し その結果で判断しさらに考えていかれるとよいかも知れません。 そうですね。それがいいと思います。――いくつかの事柄は ここでお示ししようと はじめ 思いましたが このgoo欄での発言などを もしご覧になれば じゅうぶんではないかと考えたのですが いかがでしょうか。 そこには書いたことのない点をひとつご披露します。 《関係の絶対性》ということを言った人がいます。(《共同幻想》とも言った人ですが わたしは その人の全体としての思想には同感しかねるので くわしくは今書きません)。ですから 孤立の気分 / 景色が違う / 何をしているときも自分で自分を監視しているみたい / この感覚を一度覚えるとドキドキがとまらなくなる等々 これらすべては 関係から・つまり外から・つまり人びとからも来ると捉えてみてください。 (友だちは あなたの状態が 自分たちとは違って見えるという感じを持っているかも知れないと同時に その孤独に耐えうるあなたに驚きをも感じている・ゆえに自分はというと心許無い・ゆえに不安だ・ああドキドキしてきた・・・このような友だちの側の感覚が あなたにやって来ていると取ってもよいと思います)。 このことによれば もう均衡だとか調和だとか中庸なり穏健なり いわゆる《和を以て貴しと為す》なる観念が その観念の謂(いわ)れのない共同心理としては その雲も霧も晴れて 見通しのよい情況を呈するでしょう。誰も 和を以て貴しと為すのでないなら 波風を立てるなどということを自分からはしないでしょう。といったこのくにの世の中の情況もからんで来ているのではないでしょうか。 bon voyage!!

noname#194289
noname#194289
回答No.3

それほど悩むことではないと思います。物事を真面目に考える人が必ずいつか出会う疑問です。多くの人は自分が死ぬと判ったときにはじめて考えることです。私も同じ問題を持っています。見る自分と見られる自分とを分けてみると貴方が不安になるのは見る自分を見ようとしているからだということになります。たとえとしてそれは暗闇を明かりをつけてみようとしているようなものだということです。あるいは蛇が自分の尻尾を呑み込もうとしているような無理に決まっていることなのだと思います。たとえはともかくとしてみる自分は見ることはできないからこそ見る自分で居られるということではないでしょうか。つまりどんない頭のよい人でも見る自分としての自分の正体はわからないということです。分からないというのは能力の問題ではなく、分からないからこそ自分が存在できるということです。昔の偉い哲学者であるデカルトも同じことを言っています。デカルトさんの天才をうらやむよりも彼の真面目さを見習うべきだと私は思っています。あれほど宇宙の謎を考え抜いたアインシュタインだって自分のことはわからないと言っています。「一番理解できないのは宇宙を理解できることだ」この彼の言葉は実は理解しようとしている自分の正体は私にもわからないと言っているのだと思います。このように考えることは何にも役に立たないようですがひとつ言えることは、「誰でも自分の正体はわからないのだから、容貌とか財産とか才能の違いとは別にすべてのひとはこの意味で平等でしょう」という結論です。

  • mgsinx
  • ベストアンサー率36% (83/228)
回答No.2

僕もある時突然似たような感覚が目覚めた瞬間がありました。 その後はしばらく自分の空間的、あるいは社会的存在について思い悩みました。 自分だけが他人とは違う厄介な性質を持っているのではないかとか、自分は外部の全てのものから孤立している孤独な存在だ、などと考えるとよく不安になりました。 何というか、今まで自分が信じてきたことが全て疑い深く感じられるような不思議な感覚でした。 今もごくたまに同じような感覚に襲われますが、以前に比べるとそれほど不安は感じません。 この感覚に慣れたということもあるでしょうが、おそらく自分に自信が持てるようになったということだと思います。 別に自分だけが他人と違ったっていいじゃん、とか、むしろ他人と違う考え方ができて良かった、と思えるようにもなりました。 今までの自分の常識を全て覆し、自己流の考え方(自己流の哲学?)で行動しています。 自分の悪いところばかり見てしまうとあまり良くないような気がします。 自分の良いところも見つめ、自分とうまく付き合っていけるように努力してみましょう。

noname#52753
noname#52753
回答No.1

誰でもちょっとは似たようなことがあるのかも。 私もちょっとは似たようなことはありましたよ。 私は、短大生の時、この短大に通っている私は別人のような感じがするというか、ほんとに私が今この場所に立っているのか、座っているのかと思ったことが何度もありました。私であって私でないような感じ、何度もありました。 思春期には質問者さんのようなことを考えるのかもしれません。憶測ですけど。 少し気にしすぎです。意識しすぎです。 楽しいことをいっぱい考えましょうよ。

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