• 締切済み

自我の目覚め~みなさんはいつから自分という存在を理解しましたか?

文章が分かりづらいと思いますが、読んでいただけると幸いです。 僕は、24歳の男です。 ここ三年程前に、自我というものに目覚めた気がします。 その前までは、ずっと本能というか感覚の世界の中に生きていました。 その頃は、考えるということよりも、直感的で感覚の世界で生きていました。 例えば、悪いと思ったことをしたら、恐いとか、感覚の中にこうなるんじゃないかという論理があったような気がします。 だけど、いつも漫画を読んで不思議だったのは、主人公が自分の中で会話をしているということです。 それが、いつも不思議でならなかったんです。 自分の中で自分と話しているということが、僕には理解できなかった。 みなさんは、それはいつから出来るようになりましたか? なぜ、そんなことを言うかといえば、三年前に彼女といるときに退行(赤ちゃん返り)のようなものが起きました。 その時に泣きながら「お母さん、行かないで~」とずっと叫んでいました。 家庭環境が、すごく複雑だった僕にとって、多分昔から孤独だったのだと思います。 子供の僕にとっては、訳が分からず、ただそれを自分ではないと思い込むことによって、 その辛い自分を守るために、自分ではない違う人間がやられていると思うようにしたのでしょう。 そういう所から自分が来ているのかなと思いました。 その退行が起きたときに、初めて自我というものに目覚めた気がしました。 自分ではない人間が、泣いている。 すごく冷めている自分がそこにいて、初めて「この子は過去の僕か?」という言語で自分で自分を客観的に捉えている僕がいました。 その時に、初めていつも漫画で見ている、主人公が自分の中で会話している感覚が理解できたような気がしました。 思えば、それまでの僕は自分の事、私というものを深く考えたことがありませんでした。 自分が何になりたいのか、何者であるか、どんな性格か。どうしたいのか。 今までは、すごく直感的に、感覚的に生きていました。 非常に流されやすく、そして人から自分がここにいるんだって事を多分わかってもらいたくて、 色んなことをしていましたが、全て人に対して、自分がここにいるんだという叫びそのものでした。 存在を認識してほしいという欲求です。 自我に少しづつ目覚めた僕は、今すごく人との差異を毎日感じています。 なんというか、置いていかれている感じです。 自我に目覚めている人にとって、多分昔から自分というものに対して考えてたからかもしれませんが、 意思や「こうしたい」と思うものがあって、また自分がどんな人間かというものも知っているような気がします。 でも僕はそれが今だもって分からないし、 また内在的な自分と、現実の僕が一体になってくれない、自分にいつも腹がたちます。 自分というものを認識したのは、いつ頃からでしょうか? そして、何かを考えている時は、音声が聞こえるのですか? それとも文字が見えるのですか? 僕は考えている時は、文字が見えます。 映画のように字幕で言葉が出てくるんです。 なぜそんなことをいうのかといえば、僕はよく考えている自分が消えてしまうからです。 本能の僕になっている時は、自分が何をしてるか全くわけのわからない状態になってしまうんです。 自分という認識を逃がしたくなくて、いつも考えている状態に置いていたくて、 そのヒントが欲しいんです。

みんなの回答

回答No.3

その辺の高校生ですが回答させてもらいます。 自我というか、自分の存在について考え出したのは最近です。 自分は将来どうしたいんやろ、とか 部活で自分はどんな位置づけで、自分の性格だったり長所も短所も自分なりに理解した上で何ができるのか とか考えてるうちになんとなくですが自分がわかるようになってきた気がします... でも自分と対話とかはしたことは無いです。 こうしたいって考えるからそのまま行動に移したり...とかなんかそんな感じです。 音声も字幕もなにもないです。 でも自分を認識して、きちんと向き合えてるのですから、 きっと内在的な自分と現実の自分が一致できると思いますし、 自分のことが段々みえてくると思います。 たいした回答じゃなくて申し訳ないです。 でも、是非内在的な自分と現実の自分を一致させてもらいたいなってみてて思いました。 色々思考錯誤してみてください。

  • 62560UT
  • ベストアンサー率50% (1/2)
回答No.2

私はまったく正反対のタイプです。 自我に目覚めたのは小学校1年のときで、現在18歳ですが、目が覚めている間はずっと頭の中に言葉が聞こえてきます。 べつになりたくてこうなってるわけではないです。ヒントとかもわかりません。 逆に無我夢中になるための秘訣を知りたいですw

noname#38456
noname#38456
回答No.1

趣旨と違うかも、しれませんが、ヒントとしての回答。 哲学的というか、心理学的に、いまの肉体にある表層意識の他に、その奥に潜在意識というものが、存在しているものと、言われてます。 そして心が透明だったころは、ある程度、その奥にある潜在意識からおりてくる欲求、正確にはデーターなのだが、これを素直に読み取れるものなのです。 だから、質問にある疑問??を感じるものと。 例えば・・ですが・・自分としては泣いている、怒っているという意識が、出ていない??はずなのに、心の奥の方で、泣いている、怒っている気持ちを感じるなどの欲求、感覚が、出るものと。これは、あくまでも"なんとなく??"感じるという程度。 こういうことが、おきなくもないのです。 >僕は考えている時は、文字が見えます。 >映画のように字幕で言葉が出てくるんです。 これが、もし本当(本当にそうなの??ですか??)だとして・・私も似た体質なのだが・・その状態に頓着せず、つまり、それを意識せずに、幻影と割り切りましょう。 その方が、精神的な健康を害さない、一番の方法となので。 あと、趣旨にある"自我"、これを表現した意味合い、なんとなくわかるのだが、まだまだ奥が、深いものが、あります。 とにかく幻影と割り切り、さらっと"お付き合い"が、一番。 (上記と重複しますが) あと、できれば、質問の内容を、もっと整理して質問しましょうね。 さっぱり、わからないから、ごめん。 以上