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江戸時代の犯罪について
大岡越前以前の時代では「犯罪者の親族も同じように裁かれる」というような制度(法律?)があった、と以前聞いたことがあるのですが、本当にあったのでしょうか?あれば、なんという名前の制度だったのでしょうか? できれば詳しく教えていただけるとありがたいです(○親等以内、とか)
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五人組という制度が豊臣秀吉の時代に制定されています。 これは五人または5戸を単位として構成し、キリシタンの摘発や相互監視を行わせ、連帯責任で罰するものでした。 その後、行政の下部機関として利用され、年貢の共同納付、相互扶助、なども行われ共同責任制を義務づけられたことは変わりませんでした。 この為店子という借家人が犯罪を起こした場合家主も罰されるというケースも生じました。 武家でも同様に不都合があった場合、親類縁者まで罰せられる事もありました。 従って一門の代表者は同族一門の監督に責任を負い、監視や介入を行いました。 夏目漱石の歴史小説「阿部一族」はこのような事実を活写しています。 大石内蔵助が嫡男を残して妻子を離縁したのも妻子まで罪が及ぶのを避ける工夫でした。 どの範囲まで及ぶかは事の重大性や、関係者の数などでまちまちです。
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- m-jiro
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法律名としては知りませんが、一般には「連座」といわれています。 Wikipediaにあるので下に貼っておきます。 芝居などでヤクザは無宿人の場合が多いですが、無宿人になると家族がいないことになるので連座が及びません。また長屋の大家さんにも及ぶことがあったようですね。大家さんが店子に対して口うるさいのはこういった理由があったためです。 連座を適用された有名な人物では佐倉惣五郎がいます。一揆を指導したため子供まで死刑になったとか。もっとも正確な史実は不明なようですが・・・ 詳細はwebで捜してみてください。 赤穂浪士で有名な大石内蔵助も江戸に下る前に妻子を離縁していますが、連座の適用から逃れるためのようです。Wikipediaの大石大三郎(内蔵助の嗣子)の項に解説があります。
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回答有難うございます。 子供まで死刑なんて・・・江戸時代はなにかとシビアですね・・・。webで調べてみると、刑罰の殆どが罪人を殺す刑で驚きます。 昔の人は死に方にこだわりを持ってたんでしょうか・・・。 参考URLのところはとても役に立ちました。ありがとうございました!
お礼
「連座」は五人組の延長線みたいなものだったんですね・・・! なるほど!と納得しました。 兎に角、詳しいことを教えていただきありがとうございました。本も好きなので、教えてくださった夏目漱石の本も読んでみようと思います。 丁寧なご回答ありがとうござました!