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大岡越前守の「越前守」について
(1)昔の人の名前で、「越前守」とか「左右衛門丞」のような部分は、何というのでしょうか。 (2)大岡越前守は実際は越前の国を与えられていなかったと思いますが、いつのころからこのように飾りの名前となってしまったのでしょうか。 (3)飾りだけの(?)名とは言え、何か基準があってその名が選ばれるのでしょうか。
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(1)「通称」です。通常はこの名前で呼びます。「太郎左衛門」なんかもそうです。、正式に任官できるのは1人だけですが、みんな勝手に自称する習慣になっちゃいました。 (2)前の人のご回答のとおりです。あと、官位制度がきちんと働いていた時代でも、越前守が越前の国を与えられたわけではありません。単なる地方行政長官です。 (3)通称には世襲が多いようです。 例えば仙台伊達家の場合、通称は代々「藤次郎」or「総次郎」、官位をもらって「陸奥守」です。 伊達家の場合正式な任官ですが、自称の場合も江戸時代は世襲が普通です。例えば伊豆代官江川家は代々「太郎左衛門」。当主になると通称=世襲名になるようです。
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- k99
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1)官位と言います。朝廷(江戸幕府ではありません)での役職です。既に朝廷に実際の統治能力は無かったので名誉職というか、肩書だけです。 左右衛門丞は遠山<金さん>景元の「左衛門尉」と拝察しますが、左衛門府という役所の「尉」というポストを表しています 2)朝廷が地方の実行支配力を失ったのは鎌倉時代からです。それ以前から、すでに朝廷のタテマエである公地公民制が荘園の普及によって崩壊していました。 3)日本の官位は「位階」というものによってつける官職が決まっていました(参考をご覧下さい)。 簡単に言うと、位階が人間の階級、官位が職場での階級だと思って下さい。 ですので、既に官職を持っている人ならば、それと比較して、持っていない者には比較的下級のものを、と言うことになると思います。あとは世襲もあったと思われます。
- 参考URL:
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E4%BD%8D,http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kani.html
お礼
ありがとうございました。官位でよかったのですか。カミ、スケ、ジョウ、サカン、それぞれ漢字はいろいろあるようですね。それから、時代が下るにしたがって、いいかげん、かつ飾りの名になってしまったようだと解釈して良いでしょうか。
- toro321
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○○守と言うのは、もともとはその土地の守護職ですが、戦国時代に自称するものが多く、いい加減となってしましました。 江戸時代になってからは、官位として残り、譜代の大名がその官位だけ与えられ、外様は領地を、幕府の懐柔策となります。 譜代には、官位はあるけど、領地が少なく、外様は官位はないけど、領地は多くと言った具合です。 江戸時代の○○守は朝廷から与えられたもので、ほとんどが従五位下ですね。 左右衛門○の○は全て、「じょう」と読みます。
お礼
なるほど、ただ単に官位の名が得られたのではなくて、いろいろな条件があったのですか。以前、勝海舟が、官位名を付けるときに、江戸あたりで一番小さい国は安房であったので、安房守とつけたという話を聞いたことがありますが、この話ほんとうかどうかわかりませんが。 ありがとうございました。
お礼
「通称」という語は、ある人から聞いたことがあるのですが、辞書を引くと、この件に関しての説明が、なかったように思います。ですので、ずっと疑問に思っていました。(1)の「みんな勝手に自称する習慣になっちゃいました。」というところは、実体のない空の格式ばかりこだわっていて、「何といい加減な」とおかしくなってしまいました。でも、何となくこの「通称」があると、名前が光ってきそうな気もします。 それから、世襲が多いということですね。ありがとうございました。