- ベストアンサー
外国人の日本語で書いた読書感想文
- 外国人が日本語で読書感想文を書きました。その内容は「本当の母親」という昔の話です。
- 町奉行の大岡越前守が、二人の女性の本当の母親を見極めるために独自の方法を使います。
- この話から、母親の偉さと、やり方が一つではないことを学びました。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
日本語として悪くないと思いますが、多少硬いところがあります。 私なりに添削させていただきました。 >前に日本語で読書感想文を少しい直して書きました。 以前ここで質問した読書感想文を少し書き直しました。 >間違い文法があるかどうか分かりませんから、ここで質問します 文法の間違いなどがあるかどうか分かりませんので、ここで再び質問します 読書感想文とのことですが、日本ではドラマとはTVやラジオで流される物語のことをいいます。そして、読書感想文は読んだ本の題名をまず書くのが普通です。 >何年か前に… 何年か前「本当の母親」と言う昔の話を読みました。 一人の子供と二人の女性がいました。二人とも、自分はその子の母親だと主張しましたが何の証拠もありませんでした。しかし、町奉行の大岡越前守は頭がよいやり方を見つけ、二人の女に力で奪えと命じました。二人の女はその子の腕を両側から引っぱりました。本当の母親は自分の子供の辛い顔を見たくなかったため、勝つ(=子供を得る)のをあきらめて先に手を放したのです。大岡越前守は放した女を勝ちと認めました。 本当の母親かどうかを、彼は自分の子供を愛する気持ちの強さで試したのです。私にはここが最も感動的でした。 「本当の母親」のテーマは,母親の偉大さの顕彰です。母親は自分の別離の悲しさ以上に自分の子供の辛い顔を見たくないのです。この話を読んだ時、私は母の偉さを思いました。私のお母さんも,この二十年間私をそば(傍ら、身近か)で支えてくれました。本当に母に「いつもありがとう」と言いたいです。 また、「本当の母親」から他の事も学びました。この話の町奉行の大岡越前守は頭がいいと思います。大岡越前守には、何の証拠も得られませんでした。しかし、やはり本当の母親はわかりました。大岡越前守のやり方と現実のやり方は少し違います。これは印象的でした。この世界にはやり方が何時もひとつだけではない事を学びました。 ご参考まで。
その他の回答 (2)
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
周囲の人々に聞いても確証が無い場合、実は、二人とも本当の母親ではないという可能性は排除できません。また、娘に辛い思いをさせないのが正しい母親だとも思われません。殊に、昨今の甘やかすだけの母親、友達感覚の母と娘を見るにつけ、そう思います。まあ、男の子ではないのですから、「千尋の谷」に突き落とすことも無いのでしょうが、子に対する最低限の躾は必要でしょうね。 ですから、多分、正しい判定は、手を引かせた大岡が判断するのではなく、二人に手を引かせた後、子に選択権を与えるということだったと思われます。子が、最後まで力強く引っ張ってくれる生命力(生活力)を求めるか、あるいは、経済力は二の次で、ただただ優しさだけを求めるかということになります。昨今の子の多くは、後者を選ぶということになるのでしょうか。または、二人とも母親として拒否することになるのでしょうか。そういう選択も、大岡は、尊重すべきなのでしょうね。まあ、私には、良く分かりませんがね。
- kusama1
- ベストアンサー率32% (162/493)
>少しい 少し 町奉行=現在の警察・裁判官に近い職業 >二人の女から何も証拠をもらいませんでした。 二人の女から何も証拠を得「え」られませんでした。 or二人の女には(親子を)証明するものが何もありませんでした。 >町奉行の大岡越前守は頭がよいやり方を使いました。 町奉行の大岡越前守は素晴らしい方法で解決「かいけつ」します。(or解決したのです) 頭がいい=賢「かしこ」いetc.. >先に手放しました方が 先に手放した方が >ここは最も感動的でした。 ここが最も感動的でした。 >母親の偉さを褒めることです。 母親の愛に(or偉大「いだい」さに)感謝「かんしゃ」することです。 >この話を読む時に、私は瞬間に母の偉さを思い出しました。 この話を見た(or聞いた・読んだ)瞬間、私は母の偉大「いだい」さを思い出しました。 >また、「本当の母親」から他の事を習いました。 また、「本当の母親」から他の事も学「まな」びました。 >町奉行の大岡越前守は、何も証拠を使いませんでした。しかし、やはり本当の母親はわかりました。 町奉行の大岡越前守は、何も証拠がありませんでしたが、(だけど・だけども)本当の母親はわかりました。 >町奉行の大岡越前守やり方と現実のやり方が少しい違います。これは印象的でした。 町奉行の大岡越前守のやり方は現代(or現在)のやり方と少し違うところが印象的でした。 >ですから、この世界に、やり方が何時もひとつ以上ある事を習いました。 ですから、この世界に、何時でもやり方はひとつではない事を学びました。 >ありがとうございます よろしくお願いします。