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寒い冬がきて、キリギリスは死んでしまいました
有名なイソップ物語「アリとキリギリス」のラストシーンです。「キリギリスは死んでしまいました」を英語で表現するとき、以下の二通りでは何か違いがあるでしょうか。 1)The grasshopper died. 2)The grasshopper found itself dying of hunger. このような疑問を持ったきっかけは、ロイス・ローリーの最新作GOONEY the Fabulousの冒頭部分で、小学校2年生である主人公のクラス担任の先生がつぎのように言うからです。 "And so," Mrs. Pidgeon said, reading the final page of the book she was holding, "because the ant had worked very hard, he and his friends had food all winter. But the grasshopper had none, and found itself dying of hunger."
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>・・・以下の二通りでは何か違いがあるでしょうか。 基本的な意味としては違いはないと思います。 ただ非常に英語的な表現で、foundはdiscoveredの意味ですから 2)The grasshopper found itself dying of hunger. は、直訳すると 「キリギリスは餓死している自分を発見した」で、奇妙な 表現ですが、The grasshopper died.ということです。 ショーペンハウアーも著作のどこかで英語のこういう表現を ほめているのを読んだことがあります。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! もともとの話は、楽しみたいとおもってもまず働く、それも働けないときのためにね、とか、必要になるときのために蓄えろ、と言う事です。 これが子供たちに教えるコアと言う事になっているはずです。 ただ、今回のご質問での「このような表現を最後に使って違いは何なのか」と言う事で「後悔先に立たず」「最後になって反省したって何の役にも立たないよ」と言うフィーリングを出しているんだよ、だから、楽をしないでこつこつとがんばれよ、毎日ね、と言うトピックに「念を押して」いるわけですね。 これをしたのが宮本武蔵の五輪書だと私は言います。 五輪の書は私にとって「聖書」みたいなものです。 しかし、武蔵と言う人間が死ぬ間際になって「我悔い無し」と冒頭に「60回の生死をかけた戦いに負けたことはなかった」と言うせりふと一緒に書きはじめた五輪の書。 かなりの悔いを残したことを物語っている。 自分が後数日で死んでしまうと悟っていた武蔵、まさに、found himself dying with regrets. この五輪の書は、武蔵自身が主人公となって生きる方法を学校文法のように方程式で教えようとして者ではなく、考えながら読みその理解(フィーリング)を身に付けることによって、「自分を生かせ(活かせ)るようになる」と教え、そのためには、意味のあるトレーニングをしなくてはならないと、武道家だけでなく、世界中のビジネスマンが有無を言わせぬ実力を持つための教えとして認められている書物となったのです。 キリギリスも武蔵も結局は「自分の最後と言う命と交換」に「生きるすべ」を教えているわけです。 有無を言わせぬ実力は誰にでもつけることが出来るのです。 しかし、その方法を教えてくれる人があまりにも少ないわけです。 ほんの0.001%以下の日本人しか英語を使えないけど何十万人と言う文法学者さんがいるのです。 矛盾していますね。 今までの英語認識の状況傾向から見れば学校文法が廃れるのは目に見えていますね。 出来ることであれば、文法学者さんたちが目を覚まし使える英語にもっと関心を持てばキリギリスには決してならないでしょう。 しかし、習得姿勢を今日変えて「ありさん」にならない限り100%に近い確率で「やっておけばよかった」とおもう日が来るとおもいます。 そしてそれは今までかかった40年はかからないでしょう。 加速度的に変わってきている事実を見れば明白なのです。 Gが勝手に決め付けているだけだ、とおもうのはもちろんその人の自由です。 しかし現状を見なかった、必要なときに備えなかったキリギリスも無視しましたね。 語学習得は若ければ若いほどいい、と言う一種の常識がありますね。 それを知っていれば、なぜ私が「今日と言う日」をこれほど重要視しているか、「応用」出来るはずです。 つまり、ほとんどの人にとって、これからの自分の向上に関して、これからの人生で、今日が一番「若い日」なのです。 これが心身ともに事実を言っていることですね。 若いときの方が身に付けやすいと言うのであれば今日はじめるしかないのです。 じゃ、今日からがんばるしかないじゃないですか。 今日から毎日がんばるのです。 意味のあるがんばり、それをするのがいつか有無を言わせぬ実力を持つことにつながるのです。 ちなみに所ジョージの「花咲か爺さんの恩返し」にはこの話は出てきませんでした。 ただ、「ウサギとキリギリス」と言う自作話でキリギリスは死んでいく自分を見ながら最後に、ウサギではなくありとであっていたら人生が変わっていたかもな、なんて書いてあります。 G流英語道の極意<g>でした。 ではまたお会いしましょう。 See you at the top.
お礼
ありがとうございます! やはり「子供たちに教える」とか「生きるすべを教える」というのが、寓話の役割なのですかね。私は幼い頃、「蟻とキリギリス」の話に疑問を持っていました。いや、今でも持っているのですが…。 人は必ずや死ぬもの。自分らしくない生き方(キリギリスであれば、鳴きもしないでひたすら食べ物を集めるという人生?)を自らに強いて長生きしたところで、どれほど楽しかったことでしょうか。それよりも、思いっきり歌い、夏を楽しんで死んでゆくキリギリスの方が、歌も歌わずにあくせく働いて何年も生きるキリギリスより、うーんとすばらしいと思ったのです。確かに、冬に備えることができればそれに越したことはありません。しかし、それはないものねだりというものではないでしょうか。 まあこうなると、英語表現の疑問とは、かなりかけ離れてしまいます。しかし、実に気になるテーマなので、またどこかのカテで、取り上げることがあれば皆さんのご意見をお聞きしたいと思っております。
補足
この質問をとりあえず、締め切るにあたって、今回興味を持って見守ってくださった方々、とりわけ回答をお寄せくださった皆様に心より感謝をささげたいと思います。すべてのご回答に20ポイントを差し上げて感謝したいのですが、制度がそれを許してくれません。平にお許しください。すべてのお答えが、この上もなく役に立ちました。 「イソップ」は、10年以上前に保育園の英語教材で出てきて以来、心に留まっている作品です。そのときの園長先生の教材に対する姿勢のようなものがなぜかひっかかたのです。子供は放っておくと遊び呆けるから、蟻のように遊ばないで努力することを教え込まないといけない。この話は、本当にそういうことを言いたいのだろうか…。 そのとき読んで考えた本をまた読んで考えています。おもしろいことに、見えるものがずいぶんかわっています。本は変わっていないのですから、読み手である自分が変わったのでしょう。 皆様にもご参考になればと考え、その本を上げておきます: 1.中務哲郎著『イソップ寓話の世界』ちくま新書1996 2.小堀桂一郎著『イソップ寓話 その伝承と変容』講談社学術新書2001(原本は中公新書で1978刊) 3.中務哲郎訳『イソップ寓話集』岩波文庫1999 4.パエドロス/バブリオス著、岩谷智・西村賀子訳『イソップ風寓話集』国文社1998叢書アレクサンドリア図書館X このテーマは、引き続き考えてみます。どこかのカテで、質問を見かけましたら、興味を持っていただければ幸いです。
- tjhiroko
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こちらに「アリとキリギリス」の英語版がありました。 http://www.pagebypagebooks.com/Aesop/Aesops_Fables/The_Ant_and_the_Grasshopper_p1.html (今は便利な世の中ですね) これでは最後にここまで書いてますね。 > Then the Grasshopper knew: It is best to prepare for the days of necessity. キリギリスは死の直前に「必要なときのために蓄えておかなくちゃ」ということを悟ったわけですね。なるほど。 イソップはもちろん英語で書いたわけではないですし昔のことですから、原作がどうだったかは分かりません。結末はそれぞれの人の好みで書き方も変わるのでしょうね。説教臭く結末まで明示する人と、含みを持たせて考えさせる人と。 私もおかげで勉強させていただきました。ありがとうございました!
お礼
ありがとうございます! ご紹介いただいた英語のイソップ物語が、いつごろどのようにして成立したのか興味のあるところです。お話が、一定の形をとって語られ、広く人々に受け入れられるには、それ相当に理由があるだろうと思わずにはおれないのです。
- tjhiroko
- ベストアンサー率52% (2281/4352)
#2ですが、では 1)The grasshopper was dying of hunger. 2)The grasshopper found itself dying of hunger. での比較ということで思うところを。 やはり1の方は「キリギリスは飢えのために死にかけていた」と単に事実を述べているだけだと思いますし、2の方は「キリギリスは自分が飢えのために死にかけていることに気づいた」と、キリギリスの死に直面しての感情(死に対する恐れや後悔の念など)も文面からにじみ出るように感じます。 find oneself...で「自分が...であるのに気がつく」という意味ですから http://www2.alc.co.jp/ejr/index.php?word_in=find+oneself&word_in2=%82%A9%82%AB%82%AD%82%AF%82%B1&word_in3=PVawEWi72JXCKoa0Je やはり2の方が1よりもこの話の最後としてはふさわしいように思います。
お礼
ありがとうございました! このような質問に対して、今までに既に合計6つもの回答をお寄せいただきました。おかげで、英語の表現形式にとどまらず、それによって表現しようとしているキリギリスの心情にも思いを馳せてみることができました。キリギリスの心情といいましても、それは作者イソップの創意ではあるのですが。 それをきっかけに、再度イソップ寓話集の原作を紐解く気になりました。もちろん邦訳ではありますが。中務哲郎訳『イソップ寓話集』岩波文庫1999です。これには、「蟻とキリギリス」という話はなくて、代わりに「蟻とセンチコガネ」と「蝉と蟻」という話があります。 ここで、キリギリスの役をするセンチコガネ(別名フンコロガシ)も蝉も、反省も後悔もしてはいないのです。「蟻とセンチコガネ」の話で、語り手のことばとして、「このように、ふんだんにある間に将来に備えない者は、時勢が変わればひどい不幸にみまわれるのだ。」と教訓があるだけです。「蝉と蟻」の方はそれさえもありません。 The grasshopper found itself dying of hunger.という表現にキリギリスの反省や後悔の念が感じられるとすれば、彼にそう感じて欲しいと思った後の世の人の付け加えなのでしょうか。
- komimasaH
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1.は間違いです。その時点ではまだ死んでいないのです。 最後の格言はキリギリスの考えたこととして紹介されています。 英訳の一例はこちら。 http://www.bartleby.com/17/1/36.html
お礼
ありがとうございます! キリギリスが「死んでしまった」のでは、格言を残すことはできませんね。勉強になりました。 ここでは、英語表現として find oneself -ing にどのようなニュアンスがあるのかについて皆様のご意見を伺ってみたかったのです。ですから、1の文は書き直しが必要でした。すみません! 書き直し1)The grasshopper was dying. そして、これに比べて、2は、「自分はもう死んでいくのだと感じた/わかった」の、『感じた/わかった』部分に力点の置かれた表現になっているようだということが、みなさまからの回答でわかってまいりました。
- Ganbatteruyo
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Gです。 こんにちは!! このお話の教訓には(もっともこういうお話はみんなそうなんですが)、後悔先に立たず、をも教えていますね。 つまり、このお話ではやるときにやるんだよ、そうじゃないとキリギリスみたいに「死んじゃうよ」じゃ物足りないと感じませんか? ですから、この担任の先生も、Gみたいなストレートな老婆心丸出しの忠告・警告ではなく、子供たちに、この後悔先に立たずを教えてあげられるように説明しているわけです。 2)で、自分が死んでいくのが分かった、それも病気なんかではなく食べ物がないと言う自業自得で。というフィーリング表現をしているわけです。 1)では死んだ、と言うだけのことです。 あまり教育話としてはインパクトがなさ過ぎます。 かんばってすぐにでも来る冬に備えておけばこんなことにはならない、でも、冬がきて食べ物が自分のところになければ死ぬしかない、でも、冬が来ないことにはその冬の問題は分からないのが普通なのですね。 Proactiveの訓練がされていなかったのです。 アリであればもともと働きありなんですから自然にたくわえをするわけです。 (アリになれ、と言うよりも)キリギリスになるな、と言っているわけです。 何か英語習得方法に似ているような気がします。 いつか英語を使う日が来るのが分かっていないのかもしれないけど、そのときがきて「使えるように勉強しておけばよかった」と思っても遅いわけです。 今のうちにいつか使えるように勉強しておこう、と考えれば、この40年で何億人と言うキリギリスの二の前にならないはずなのです。 でも手っ取り早い、何か分かったような気がする学校文法を選んでしまうんですよね。 これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
ありがとうございます! Gさんのお答えをうかがうと、なんだかほっとします。
- jayoosan
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その物語の But the grasshopper had none, and found itself dying of hunger のdyingは死んでしまったのではなく、 「キリギリスは(アリとは正反対に蓄えも)何も持っておらず、(これからまさに)飢えで死なんとしていることに気がついた」という意味です。 キリスト教系のお話や芝居でよくある、 God. I am dying. 神様。私は死んで行きます→神様。あなたのおそばにまいります。 のような死が進行する表現は、日本人にはちょっとなじみが薄いかもしれません。
お礼
ありがとうございます!
- tjhiroko
- ベストアンサー率52% (2281/4352)
1)The grasshopper died. こちらは「キリギリスは死にました」と、キリギリス本人ではなく第三者(語り手)の立場でただ単に事実を述べているだけだと思いますが 2)The grasshopper found itself dying of hunger. こちらは「キリギリスは飢えのために自分は死ぬんだなということに気づきました」と、キリギリスの立場で語られた文だと思います。 遊んでばかりで餌を蓄えなかったために自分は死んじゃうんだ、と死の間際に自分の愚かさを悟ったというわけで、教訓話としてはこちらの方が効果がありそうですね。
お礼
ありがとうございます! 1)The grasshopper died. は、「(キリギリスが気がつこうと気がつかまいと、そんなことには関係なく、とにかく)キリギリスは死んだ」で、 2)The grasshopper found itself dying of hunger. は、「(キリギリスはまだ死んだわけではなくて)死んでいく自分に気がついた」というニュアンスなのですね。 英語で言い換えれば、 1)It is the fact that the grasshopper died whether it might realize it or not. 2)The grasshopper understood that it was dying of hunger. というところでしょうか? なるほど、比較する文がよくなかったようです。すみません! 1は、次の文にしなければ、比較できないようです。 1)The grasshopper was dying of hunger. こうしても、やはり(キリギリスが気がつこうと気がつかまいと、そんなことには関係なく、とにかく)というニュアンスになるのでしょうか。
お礼
「アリ」がとうございます! キリギリス人生をやっているMilancomとしましては、この話、いつも「なんだかしんみりとしたいいお話だなあ」と思って読むのです。ひと夏を存分に謳歌して、冬死んで行く。なんだかもののあわれを感じるすてきな生き方ではありませんか。いや、こんなことは置いといて…。 なるほど、「キリギリスは餓死している自分を発見した」なのか…。 「『ああ、ボクはもう死んでしまうのだな』キリギリスは思いました」 「だんだんと死が近づいてくるのが感じられました」 こんな表現、自然な日本語としてあるでしょうか? The grasshopper found itself dying of hunger.って、こういう感じなんですかね?