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演歌に対する疑問
今日ある場所(観光地のバス停そばで近くの屋台から)で演歌を延々と聞かされる機会がありまして、演歌に対して、いろいろ思うところがあります。 なぜ「マイナーペンタトニック」「メジャーペンタトニック」という、音楽的にはいわば貧しい内容のものが受け続けるのでしょうか? それから、演歌を愛するこころとは、「音楽」を愛しているのか、「詩」を愛しているのかどちらなのでしょうか? 日本と西洋の庶民的音楽事情について、西洋の老人は、メジャーマイナースケールの豊かな響きのポピュラーソングをもし好む傾向があるとすれば、それが日本の典型的庶民的老人とどう性格人間的に相関があると考えられるでしょうか? 以上、大変抽象的な質問ですが、関連事項も含めたご回答をいただければと。
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まず、マイナー・メジャーという西洋音楽の理論に無理やり日本音楽を当てはめるのは少し間違っているように思います。ヨナ抜きには長調か短調かよくわからないような中性的な響きがあります。私はこういう淡白な響きがとても好きなんですね。 「上を向いて歩こう」は名旋律ですよね。スコットランド民謡にも中性的な淡い響きがあります。「蛍の光」とか。西欧中世の教会旋法で作られた聖歌も長調なのか短調なのかはっきりしない美しさを持つ旋律が多いです。はっきりとした長調、短調で曲が作られるようになるのはバロック時代以降です。 私に言わせればブルースだって演歌同様に貧弱ではないのか? と問いたくなります。それが、米国のポピュラーミュージックというだけで有難がるのはどうなんでしょうね。 「詩」と「音楽」を分けるのはどうかと。そもそも長唄、能、歌舞伎などの日本音楽の概念ではそのように分けること自体無意味だと思うのです。声が楽器の一種に隷属し、詩が近代文学に組み入れられてしまうことなどなかったのですから。 あえて日本人の音楽嗜好を論じると「くさい」音が好きなんですね。典型的なのが三味線。純粋な音は好まれないのです。信長の時代に西欧からオルガンが入ってくるのですが、一向に興味をもたれなかったそうです。 ですから演歌のような「くさい」音楽が好まれるのです。それに、音楽教育もなく、手軽に楽器を楽しむことができず、音楽再生機がなかった時代に手軽に庶民に受け入れられるのは歌いやすい音楽なのです。「貧しい内容」ではなく、「歌いやすさ」なのです。
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- Ishiwara
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(1) 私も、観光地で演歌を延々と流されて、大いに迷惑しましたが、彼らはサービスのつもりでやっているのですから、しかたがありません。私たちも、自分の趣味を他人に押し売りしないように心がけましょう。 (2) 演歌は、浪曲の文化を継承したものです。浪曲は、各浪曲師特有の節回しに、いろいろな物語の歌詞を付けて成り立っています。浪曲から演歌への移行期には「奈良丸くずし」とか「虎造くずし」と呼ばれるジャンルがありました。その成り立ちからみても、現在の演歌では、歌詞のほうが優先で、メロディは、既存のものとまったく違わないようなものがあっても、不思議ではありません。また、浪曲には十分なストーリーがありましたが、演歌はストーリー性も中途半端で、芸術の中では極めて低い地位しか持っていないと思います。
お礼
ストーリ性ありませんね。浪曲は知りませんけども。芸術性が低いので受けているというシビアな見解もあります。
No.2です。 書き忘れましたが「こぶし」というのもそうですね。 楽譜には表せないテクニックです。 人によって付け方が違います。 これも理屈を超えているでしょう。 ブルースなどの黒人音楽にも似たようなテクニックがあります。
演歌の場合は歌ってる「人」ですね。 「音楽」や「詩」はオマケです。 曲はいろいろ試してみて心地よく感じる流れがあったらそれでいいんです。 だから演歌なんていうのはどれも似たような流れです。 本当は全て同じでもいいのですが著作権があるから同じ物を歌えないだけなんです。 そのためカラオケなどで下手な「人」の歌を聞かされたらJPOPなどより不快に感じる人も多いと思います。 本人は好きな歌手になったつもりで気持ちよく歌ってるのでしょうが。 私も最初はクラシックから入ったので理論が先に来てましたが、ブルースを練習したときからそんな理論は通じない事が分かりました。 ハーモニカなので声は関係ありませんが、演歌と同じくどれも似たような流れです。 しかし演奏する「人」によって深さが全然違います。 アマチュア時代にはベテランプレーヤーをコピーしてそっくりに演奏できるようになりましたが、比べてみると深みが違うのです。 この壁に何年も苦しめられました。 理論が通用するのはヨーロッパ生まれの音楽だけだと思った方がいいです。 その他の国の民族音楽でもそうですが理屈なんて無いのです。 長年の試行錯誤で心地よい物が残っただけの話です。
お礼
「詩」と「人」の重視、いわば精神性ということが音楽性に先行している分野なのでしょうね。よく分かってきました。ブルース然りです。ハーモニカを演奏なさるんですね。珍しいのではないですか。技術理論を分かった上での心が実は最後の鍵なのかもしれませんね、
- t78abyrf9c
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↓が参考になるでしょうか。 日本音階はなぜ短調なのでしょうか http://kikitai.teacup.com/qa2305286.html 老人にポップス好きがいないのはなぜか http://kikitai.teacup.com/qa2300343.html >演歌を愛するこころとは、「音楽」を愛しているのか、「詩」を愛しているのかどちらなのでしょうか? についてですが、私が思うに「詩」に対する感情移入が強いように感じます。 演歌に限らず、邦楽を好む(あるいは、邦楽しか受け付けない)人は、詩に対する拘りが強いと感じますし、カラオケで歌う事が好きな人と正比例するようにも感じますので、本人の意識としては音楽を聴いている感覚だとしても、結果的に言葉を意識して聴いている割合が大きいのではないでしょうか。 ちなみに、私の場合は、子供の頃から音楽を聴いても殆ど詩が頭に入らない性格だったようで、自然とインストも好んで聴いてました。 今でも詩に対する拘りは殆ど無いのですが、日本を感じさせる音や詩は、やはりマイナー系な感じになるのかも知れないと思ったりもします。 (それが何に起因するのかは、正直分かりません。)
お礼
詩を重視するのですね。それで答えが分かった気がいたします。 邦楽は「詩」ですか、なるほどと思いました。 私も詩が頭に残らない性分です。
お礼
中性的(中世的)な響きはいいですよね!上を向いて歩こうがそうなのですか!素朴な感じします。スコットランドというとどうも渋すぎと思っていたのですが、音の組み合わせ方によるのでしょうね。ブルース然り貧弱です。 それらを「くさい」と表現すれば、たしかに多数派の支持は得られるのでしょうね。