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読点が多すぎる文章について
読点は文章を読みやすく、また、語句のつながりを明確にする目的で筆者が適宜入れるものだと思っています。 また、一方、「筆者の側から読み手にわかりやすく」という観点は、「筆者の側の驕りである」という側面もあることから、例えば、「会葬御礼」や「役員変更のお知らせ」などフォーマルな文章では、先方に失礼のないよう、一切読点を使わないという習慣もあることを知っています。 読点を入れすぎた文章は、読みにくいばかりでなく「相手に失礼である」と、私は考えているのですが、私のこの考え方は間違っているのでしょうか?
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お礼
ご意見、ありがとう、ございます。読点が、多すぎると、文章が、読みにくいことについては、どなたにも、同意いただけることで、今回の、論点では、ありません。 例示したようなフォーマルな文章では読点を使わない習慣があるそうです。そのことを知った際、「読み手は、読点といった補助を必要としない方々であるため、余計な補助をするのは失礼であり、敬意として句読点を省く」と聞きました。2番さんご指摘のように、文語体表現の名残りがあるのかもしれません。 このことから、逆に、読点の多すぎる文章は礼を失するものと考えてしまっていたのですが、どうやら、考えにすこし、飛躍(悪い意味の)があったようです。考えを改める必要があるのかもしれないと思い始めています。 (でも、このコメントの最初の文って、読みにくい以上の違和感ありませんか)