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心はどこにあるの?
「こころ」はどこにあると考えますか? わたしはそんなもの存在しないと考えますが皆さんはどうお考えになりますか。よろしければそう思われる理由も教えてください。 最近夜も眠れません
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- ohebeing
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質問者のsousei さんが10年前からお困りのようなので、他の質問サイトの同じ質問に、同じように解答します。 まず、「心」の定義が必要です。定義次第で存在するか否かが決まります。死後も存在するとされる「霊魂」のようなものであれば、存在しないと言えるかもしれません。しかし、「心」が欲求や感情のようなものであれば存在するでしょう。だから科学的に検証できるような「心」であればどこにあるかを説明することができます。その前提で解答します。 もともと漢字の「心」は、心臓の形を描いたもの(象形)で、血液を身体中に滲(し・シン)み渡らせる中心であることから来ています(『漢字源』)。和語の「こころ」も、同質のもの(内臓)が一つに寄り固まる「凝(こ)る」という言葉から来ており、身体の中心的位置を示しています(Wiki)。おそらく身体を動かす何かが、心臓などの内蔵にあると考え、精神的な意味の「心」になったのでしょう。 では、質問の「どこにあるか」という問いに対しては、今日では、心臓などの内蔵(さらに身体も)を制御するのが「神経系(自律神経)」ということがわかっていますから、「心」もその中枢である「脳」にあるということになります。 人間を含めたすべての動物が、外界(環境)の刺激に適応(反応)しながら身体を制御して生きているのですから、脳中枢にある「心」は、「身体をコントロールする」ために活動しています。 そして、身体をコントロールするしくみは、外界の情報を適応的に処理するため欲求と感情がまず判断し、さらに詳細な情報処理判断(思考)のために、言葉(言語記号)が用いられます。したがって、心は、生きるための欲求を実現するために、まず感情が判断し、必要なとき言語的思考が働いて、最終的方向を決めるのです。 心の中での「欲求・感情・言葉」(心の三要素)のはたらきは複雑ですので、模式図を示しておきます。詳しくは下のページをご覧下さい。
- y_kakasi
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昔の質問なので、もう解決されているかもしれません。しかし10年経過しているので、最新の説得力ある解答になるかもしれません。 まず、「心」の定義が必要です。定義次第で存在するか否かが決まります。死後も存在するとされる「霊魂」のようなものであれば、存在しないと言えるかもしれません。しかし、「心」が欲求や感情のようなものであれば存在するでしょう。だから科学的に検証できるような「心」であればどこにあるかを説明することができます。その前提で解答します。 もともと漢字の「心」は、心臓の形を描いたもの(象形)で、血液を身体中に滲(し・シン)み渡らせる中心であることから来ています(『漢字源』)。和語の「こころ」も、同質のもの(内臓)が一つに寄り固まる「凝(こ)る」という言葉から来ており、身体の中心的位置を示しています(Wiki)。おそらく身体を動かす何かが、心臓などの内蔵にあると考え、精神的な意味の「心」になったのでしょう。 では、質問の「どこにあるか」という問いに対しては、今日では、心臓などの内蔵(さらに身体も)を制御するのが「神経系(自律神経)」ということがわかっていますから、「心」もその中枢である「脳」にあるということになります。 人間を含めたすべての動物が、外界(環境)の刺激に適応(反応)しながら身体を制御して生きているのですから、脳中枢にある「心」は、「身体をコントロールする」ために活動しています。 そして、身体をコントロールするしくみは、外界の情報を適応的に処理するため欲求と感情がまず判断し、さらに詳細な情報処理判断(思考)のために、言葉(言語記号)が用いられます。したがって、心は、生きるための欲求を実現するために、まず感情が判断し、必要なとき言語的思考が働いて、最終的方向を決めるのです。 心の中での「欲求・感情・言葉」(心の三要素)のはたらきは複雑ですので、模式図を示しておきます。詳しくは下のページをご覧下さい。
確かに心は目に見えるものではありませんからその存在を信じないのはもっともだと思います。 しかし私は、心の存在を信じています。 そして私たちの心は頭と胸を中心とする体中全ての部分に“宿っている”と、そう考えております。 では心は存在すると仮定して、私の意見をどうぞお聞きください。 心は、物理的にいうならば、頭にあると考えるのが正解であるはずです。 しかし、私たちの心が頭に在るとき、即ち頭で考えているとき、果たして私たちはそれは心であるといえるのでしょうか? つまり、恋をしたとき、感動したとき、緊張したとき、悲しくなったとき、いわゆる私たちが心の問題とみなすものにぶつかったとき、はじめに最も痛くなるのは胸だと思います。そしてそれを心の問題と認識するのは頭です。 もしくはその逆もあり得るかもしれませんが、要するに、頭だけがあっても心は生きることができないと思うのです。 例えば次の作り話を読んでください。 ある青年はとてもよく勉学に励む者だったので頭では恋や感動、悲みの存在を知っていたけれども、それがどのようなものかは知らなかった(なぜならその感覚を経験したことのない者に言葉で説明して分かってもらうのは不可能なことだから)。 しかしある日聴きにいったコンサートで、胸のうちでなにかときめくようなものを感じた瞬間、これが感動であるということを悟った。 また逆の例えならば、 自分では知らず知らずのうちにある少年に恋をしてしまっていた少女は、それが恋とは知らずに、毎日毎日胸が躍って仕方がないのでなぜだろうと考えたとき、初めて自らが恋に落ちていることを悟った。 後述の方は私の経験でもあります。 このように考えると、心は、胸のうちでのみ実感出来、また更に脳を通して認識できるものなので、胸(つまり心臓)と脳に潜在するものであると思います。 しかし、心はこの部分だけには留まっていないということは、私たちの体がよく教えてくれます。 例えば、悲しくなったとき、涙があふれてきます。 恋をしたとき、思わずため息をついてしまいます。 舞台を前に緊張したとき、ついついあくびがでてしまいます。 これらは、胸や頭の内だけでは留められないほど膨らんでしまった心たちなのだと、私はおもっています。 よって、私は、心は全身に宿っている見えない光、即ち森に住む精のようなものだと考えております。
- sakanakama
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確かに、どこにあるんでしょうね・・? でも、夜も眠れないほど感慨深くなっているということは、心が働いているんですよね。 「こころ」とか「感情」というものは、言葉という形であって、本当の「こころ」や「感情」は常に変わり続けるものだから、形に出来ない。存在するけど、流動的だからどこどこにあるとは言い切れない。
- sonsaku
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5の回答をされているselferさんの文章の「機能主義」という考え方に近いとも思うのですが,少し行動学的な心理学の立場から回答してみたいとおもいます. 以下は,『心理学』(鹿取廣人 1996 東京大学出版会)からの抜粋です. 「こころ」とは,生体の<より複雑な>行動を支えている内的過程をさす.それは,物質的には,高次の中枢神経系ないし脳の活動である.(p19) 与えられた刺激に対して一義的に反応が決まらず,最終的な反応がおこなわれるまでに一時的に保留されたり,状況に応じた変化が生じて,情報の保持や変換が刺激と反応の間でおこなわれることから,なんらかの内的な過程の存在を仮定する必要が生じてくる.そして,内的過程の存在が一般に「こころ」と呼ばれているものなのである.(p20) 以上の記述を読んで,わたくしがイメージしていた,こころとはこのように言語表現されると,ぴったりだなと読んでてうれしくなりました. これをもとにして,わたくしなりに回答すると, 「こころ」とは,物理的なものではなく,したがって,どこかに存在しているわけでもない,概念である.「こころ」の働きをうみだしているのは,脳であり,「こころ」の働きとは,脳の細胞の活動のことである.それぞれの心の働きの種類によって,脳のなかでも活動する場所が違う(例外もありますが). 今まで,心理学を勉強してきたなかで,自分のイメージから回答してみました. 1つのものの見方,捉え方ということで.
心と体の関係は、光と影の関係です。 体はあるけど心が存在しないというのは、影だけを見て光がないというようなものです。 明暗が認知できるのは光があるからです。 光があるから影が現れるのです。 心が本体であり、体は影つまり幻影であると考えます。 私の心は永遠に不滅。 滅びゆく体は私の影に他なりません。
お礼
体がなくなっても本当に心は不滅なのでしょうか? どうもありがとう。
- musumehusahose
- ベストアンサー率27% (10/36)
私も、心はないと思った事がありました。 今も解決してないんですけど、自分で一応納得したのが 「体だけじゃ、何もできなくて、動くことと言うかやる気が大事」 なんだから、こころが居るんやろうなぁ・・・・と思いました。 すっごい、朝が憂鬱で起きあがる事もするのが辛かったときに思いました。 心は脳、な気がするけど。酸素と結びついたヘモグロビンを運搬してくれる血液を体の隅々まで送ってくれる心臓も大事だと思います。 でも、体中に命令を下すのは脳だし、メンタルヘルスケア系のお薬は たいてい、脳に影響のあるお薬だと思うので・・・こころは脳? しかし、鬱な病気が身体に症状が現れる場合もあります。 内科で診てもらって、なにか納得行かないときは、心療内科も訪れたらよいと思います。 無理にまとめますと。 心という臓器はないけれど、心を無視して生きるのは避けた方がよいです。 こころは、あると思います。生きているのが辛いな等と思ったときは 「精神科、心療内科等」を他の臓器を診てもらうのと同じような気持ちで 受診なさればよいと思います。 聞かれてないようなことで、結論だしてしまいました。
お礼
どうもありがとうございます。
- mimosa2001
- ベストアンサー率22% (121/539)
ちょうど最近読んだ本に、そのことが書いてありました。 脳の学者さんが言っていた言葉です。うろ覚えですがこんなかんじ。 …こころは、脳が機能している状態のことを指す。 人間の体を分解しても、「こころ」は出てこない。 それはちょうど、車やバイクを分解しても「スピード」が出てこないのと 同じことだ… かなり納得しました。 この本、面白いですよ。興味があれば読んでみて。 「海馬」という本です。検索すればすぐ出てくると思いますよ。
お礼
ありがとう! 早速見てみようと思います。
- hirohiroro
- ベストアンサー率20% (53/255)
難しい・・・ですね。こうやって答えようとしているのに、どう表現したらいいものやら? 目に見えないもの≠「存在」しないもの、でしょうかね。もし言うなら。 souseiさんが夜も眠れないくらいになっているこの質問。それを考えたり、思ったりするのが「こころ」というものなのでは?と思います。 (でもこれじゃ答になっていませんね?きっと) これは、宿題として持ち帰りたいと思います。また考えがまとまって、締め切られていないようでしたら、登場させてもらいます。
お礼
ありがとうございます。 自分で考えても答えがはっきり出そうにないので再登場を期待してます。 どうか私を納得させてください。 よろしくお願いします。
心って、目には見えないもので、とても難しい問題ですが、例えば、体の何処かに心があるとします。 そうしたとしたら、その体の持ち主が死んでしまったら、身体は火葬されるか、埋められてやがて消えてしまいますよね? 死んでしまったら終わりですよね。 でも、魂と言うものは生き通しだと思うのです。 人間の身体を生かしているのは心=魂ではないのでしょうか?体の中にあるのではなく、心が身体を支配しているのですよ。逆だと思います。 魂が抜けたあとの肉体は腐ってしまいます。 しかし、心は生きていて、一つの個性を持続していると思うのです。ただ、目に見えないだけで。 心は肉体にはないと思います。(脳とかにも) 心が身体を着ていると言ったら良いのでしょうか? 説明が難しいですが。 心が身体の細胞の一部なら人間は今の体が死んだらもう、永遠に終わりです。この先何千万年も長く感じますが、それ以上に永久に終わるのですか? この一生で永久に終わりですか? 身体に心があったら、体が死ねば個性も何もかも全て消え去るのです。 この永遠と言う長い時間これからずっと、貴方は無になるのでしょうか? 考えたらとても恐いですね。私は、宇宙に投げ出されるような感覚になりますよ。そうだとしたら。 何だか質問と離れてしまいましたね。 心が細胞などの一部にあったら、恐いです。肉体は消えてなくなるのですから、本来無です。 その背後に心があるのです。 貴方は肉体ではないのです。 私個人的にはこの回答は自信が有りますが、普通の常識から言ったら、理解出来ない方の方が多いと思いますので、自信なしにしておきます。 そして、上手に説明も出来ませんでしたので。 ごめんなさい。
お礼
いえいえ、HIMICHANさんの意見なんとなくですが分かる気がします。 こんなこと考えてると私も怖くなります。 どうもありがとう。
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お礼
確かに心というものは概念であるとした方が正しいかもしれないですよね。 すこし先が見えたような気がします。 どうもありがとうございました。