- ベストアンサー
言語学の観点から・・・
ある言語を「母語」と言った場合と、「母国語」と言った場合ではどういった捕らえ方の違いがあるでしょうか?違いを教えてください。 また「普遍文法(Unuversal Grammar)」って何ですか? さらに「認知言語学的な言語の捕らえ方とはどのようなものか?」教えて下さい。わからなすぎて頭がパンクしそうです。 私って言語学むいてないのかも・・・。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1)「母語」というのは、人には一つの人格と自我があり、人格統合が行われているとすると、その人格・自我が思考するときに使用する基本言語のことです。 思考と言語は別個のものではなく、世界の認識や把握も、思考を通じて行われ、その意味で、世界の把握も、言語と別個のものではなくなるのです。基本的な「概念(コンセプト)の言葉」とその意味的システムが、世界を把握する、一種の網になり、これは、統合された人格の場合、一つの言語で行われるのです。 バイリンガルの人などはどうなるのかと言うと、どちらかが母語になるか、または、どちらの言語も、十分な母語にならないで、中途半端な構造になってしまいます。たいていは、どちらかに主要機能が分極し、どちらかの言語で、基本的な思考・世界認識を行います。 年齢を取ってから、別言語を習得し、その言語で思考できるようになった場合は、ある程度独立した、別の世界把握のシステムが、サブシステムとして、言語能力のなかに構成されるということになります。 バイリンガルなどの場合は、二つのシステムが最初は混同されていて、区別されて行くにつれ、どちらかにウェイトが移って行くのです。二つのサブシステムになってしまうと、単一言語、つまりモノリンガルの人の思考や世界把握からすると、劣化した思考や、世界把握になります。 人間は、二つの言語では、思考や認識ができないのです。この場合、根源的な意味の思考や認識です。この言語が「母語」です。 「母国語」というのは、例えばドイツ系アメリカ人がいるとすれば、母語は英語だが、母国語は、アメリカ英語なのか、ドイツ語なのか、それは、その個人の考えで決まるとも云えます。何故なら、例えば、在日韓国人の人で、アメリカ市民権を取って、アメリカ国民になった人の場合、母国語は何かというと、韓国語だということになる可能性があるからです。 こういう人の場合、母語は日本語だということもありえます。日本に住んで育つと、どうしても、日本語が母語になってしまうのです。無論、韓国語が母語の在日韓国人もいるかも知れませんが、珍しいとも云えます。 「母国語」というのは、国籍のある国の言語ではなく、その人にとって、「母国」の言語であって、母国と思えるものがない人は、母国語がないのです(または、失われた国があれば、かつて過去にあった母国の言語が、母国語でしょう)。在日韓国人の人で、アメリカ国籍を取得した人の場合、母語は日本語、母国語は、韓国語ということになる例が基本だと思えます。 2)「普遍文法」は、最近は、色々な考えがあるようですが、基本的に、ノーアム・チョムスキーが提唱した概念です。無論、こういう考えは、彼以前にも、哲学者は普遍言語というものを構想していましたし、言語の人類普遍的な構造の可能性は考えられていました。 しかし、そういう構想を、理論的にモデルとして提示したのはチョムスキーです。これは、猿に幾ら言語を教え込もうとしても覚えないのに対し、人間の子供は、人種・民族・教育階層などに関係なく、言語環境が与えられると、その言語環境の言語を、母語として習得する能力があるので、「言語獲得」は、人間の脳の普遍的構造だと考えられるという事実から構想されます。 つまり、英語、日本語、ドイツ語などの「個別言語」に対し、人間の子供は、それらの個別言語環境に応じて、どの個別言語でも習得できることが、観察事実から出てきているので、あらゆる個別言語の個別文法の基礎に、人間の脳に起源がある、普遍的な「言語習得・獲得」の構造があると考えられ、この構造が持つ、根源的・基礎的な文法構造を、「普遍文法」と呼んだのです。 チョムスキーは、「生成文法」が、その普遍文法の一端を示していると考えました。すべての言語は、生成構造を持つからで、生成文法的に、同じ構造があることが、確認できるので、これが、個別言語の文法の基礎にある、普遍文法であるし、更に、詳細にその構造を研究しようとチョムスキーは試みたと云えます。 チョムスキーとは違うアプローチで普遍文法の研究をしている人たちもいるようですが、チョムスキーは、言語事実に即して、「統辞論的」に普遍性構造を確認しているので、これを無視するのは、おかしいでしょう。 3)「認知言語学」とは、わたしはよく知りません。しかし、言葉が新しいだけで、基本的に、このようなアプローチは過去から、ずっと存在しました。チョムスキーは言語研究において、シンタックス(統辞論)とセマンティックス(意義論・意味論)の二つの領域を当然考慮し、言語の行動的、表現的、機能的意味というものも研究対象に掲げていました。 しかし、彼は統辞論的な、普遍文法構造の分析に多くの研究を費やしたのです。しかし、後になって、シンタックス的な普遍構造以外に、意味論的な普遍構造の研究も重要であるとして、これを取り上げますが、十分な成果は、シンタックスの生成文法の提示のようには達成できなかったのです。 つまり、実は、ここからすでに「認知言語学」と新しく名前を付けた学問の基本研究対象は出ていたのです。チョムスキーの生成文法や、その統辞論的な普遍文法だと、「意味不明」の文章が幾らでも作られます。しかし、現実には、子供は、言語習得の過程で、「無意味な言葉や文章」は使用しなくなります。 つまり、「意味論的な」普遍性の問題があるのです。この言語の「意味機能」「世界把握機能」については、感覚運動シェーマや主観知覚が重要な役割を果たします。そう云った話を、参考URL4と5のページで見てください。5は、わたしの回答があります。参考4は、回答 No.2 を見てください。 言語の意味的・機能的側面では、感覚運動系や主観知覚が大きな役割を果たしており、例えば、比喩として、従来、直喩(シミル)と暗喩(メタフォア)が区別され、シンタックス的には、これは、比喩内容が明文で示されているのが、シミルで、示されていないのがメタフォアです。 従来の意味論では、メタフォアは、詩や人間の想像力・創造力のパワーと密接に関係するものと捉え、比喩の内容が、「隠されている・暗闇にある」という把握でした。しかし、例えば、「狼の魂を持つ男」という暗喩では、狼を知らない人にとって、これは一種の形式的な文章になるのですが、狼と出会った経験があり、その知恵や行動を目の当たりに経験した人にとっては、自分の知覚経験や運動感覚経験、色々な主観的な感情把握の総体として、この暗喩が理解されるのです。また、逆に、そのような把握経験に基づいて、このようなメタフォアが生成されるのだとも云えます。 言語は、思考と共に発達し、思考は言語を通じて「世界把握」を行うのだと最初に述べました。世界把握は、実は、「質問:参考4」の回答者が述べているように、世界の感覚運動的把握、更に、感覚・知覚把握、そして、感情や価値などの意味付けで把握されてもいるのです。 このような、言語と思考と世界把握の発達の様式を念頭におけば、言語の普遍的意味論的構造とは、感覚の認知、対象の認知、更に、意味の認知という人間の行為と密接に関係があるというか、実は、認知を通じて、思考・言語、世界把握は展開するのだとも云えるのですから、「認知心理学」とは、いまさらに、時代錯誤な発想だとも云えるのです。 時代錯誤とは、何か「新しい学問」のように考えていて、実際は、そういう方向の言語研究は、言語学の出発時点から存在していたと言うことです。色々なデータが集まって来て、チョムスキーの研究や、ソーシュールやピアジェの研究なども存在して、ここで、初めて、科学的に、世界把握(認知)と言語学・思考の関係を研究する道筋が出来あがったというか、「学問としての承認」が成されて来て、そのためには、従来にない、別の「学問名」を作ったのだということです。 >参考1:普遍文法-ノーム・チョムスキー >http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/fuhenbunpou.htm >参考2:RIKEN (The Institute of Physical and Chemical Research) >http://www.brain.riken.go.jp/bsinews/bsinews10/no10/issue1_1.html >参考3:認知言語学 >http://www.kyoto-su.ac.jp/~hiratuka/classes99/cognitive-j.html >参考4:No.203636 質問:ヒトの言語獲得について >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=203636 >参考5:No.261953 質問:“考える”ということについて。 >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=261953
その他の回答 (1)
母語とは主として母親が生まれた子供に話し掛ける言葉のことです。母国語は国を意識した表現です。母語と母国語が同じケースは単一民族国家の場合です。世界の多くの国は多民族からなっているので両者が一致しない場合が多くなります。例えば、北米にはヒスパニックと称されるスペイン語を母語とする人々が3千万人以上住んでいますが、彼らの母語はスペイン語、母国語(或いは国語)は英語になります。日本人の場合は現在は両者が一致していると言えます。 普遍文法は人間が生まれてから4-5才までに母語を覚える脳の働きを言語学的に説明した理論であり、科学的には未だ解明されていないようです。文法を知らない幼児がどうして言葉を正確に覚えて話せるようになるのか。この能力はある民族固有のものではなく人間が生まれながらにして持っている能力であり、それが普遍文法と呼ばれています。 認知言語学についてはよく分かりません。下記のURLを参考にしてください。 http://www.chikushi.ac.jp/clg/c03/zmb.htm
お礼
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません。 言語を言語で説明するのはとても難しいです。それは言語が変化しているからなのか、それとも完全にシステムが解明されていないからなのでしょうか? それなのになんの抵抗もなく使える人間はスゴイですね。 とても参考になりました。 ありがとうございます。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 言語学って本当に難しいですね。 私は大学でスペイン語を学んでいて、教員資格のため言語学を履修しています。 出された問題がまた難解で困っていたので本当に助かりました。 ありがとうございました。