- ベストアンサー
日本語での認知の歪み
言語相対性仮説ってありますよね。それとチョムスキーの生成文法。 言語習得は認知を決めるのか、先天的に普遍文法があるのか。 現在は後者が中心で前者が弱く認められているということなんだと思います。 日本語での物の認知って、やはり特色があると思うのですが、いったいどんなことだと思いますか。 以前、英語で今日あったことを書いてみると意外にすごい論理調で整理されたように思えます。 ただそもそも第2言語は考えて書くからなのかもしれないですが。 もし弱くも影響するとして日本語しか使わない生活だとどんな神経など認知上どんな歪みや弱点などあるのでしょうか? (日本語がおかしいとか否定しているのではなくて、もちろん日本語はちゃんとした言語だと思ってます。) そして、都合よすぎますが、もし日本語を補完する言語があるとすれば、何になるでしょうか。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
noname#212313
回答No.2
その他の回答 (3)
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4
- Erdbeerkegels
- ベストアンサー率33% (155/468)
回答No.3
- TooManyBugs
- ベストアンサー率27% (1472/5321)
回答No.1
お礼
「直感と熟慮」は確かに使う脳の部分も違うようです。 >画像イメージは言語化すると曖昧になることが知られています いわれてみればそうかと思います。 印欧語はそうなんですね。 ご回答ありがとうございます。