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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:脳に適正な言語の使用(言語数、距離など))

脳に適正な言語の使用(言語数、距離など)

このQ&Aのポイント
  • 日本では日本語しか使わず、生活をしている人が多いです。
  • 世界では複数の言語を使って生活する人も多いですが、脳の機能的には2つか3つの言語を使用する程度が適切なようです。
  • 日本語を母国語にする人が普通に脳を活用するのに適した範囲はどの程度なのかは明確ではありませんが、言語の距離や習熟度などによっても異なるようです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

脳にも適正というか、質のようなものがありまして 個人差もあると思います。 複数の言語を同時に学ぶことで言葉が遅れる子もいますし 言語の遅れが論理的知的発達の時期に影響することもあることを考えると 必ずしも複数がいいともかぎらないのかなと 脳の情報処理で言えば、言語が得意なタイプと 実践や映像から理解するタイプとがいます。 言語が苦手なタイプが複数言語を処理することで いらぬ負荷を背負って効率が悪くなることもあるのではとも思います。 たしかにスイスの方などで生まれながらに、家庭はフランス語 住んでいる地域がイタリア語圏で、学校ではスイッチジャーマンでした みたいな人も居て他のヨーロッパ系の言語から日本語まで使いこなしてる人も居ましたし 語順で言えば、世界中のいろいろな言語で違いますね 音の聞き取りやすさというのとはまた別のじゃんるだと思います ハングル語を話す、といいますが「ハングル」は文字のことなので 話すのはいわゆる朝鮮語、ということになります。 最近は韓国語、という表現が増えましたね。なのでまあ韓国語ということにしましょうか。 英語が国際語ですしよく使われるので学ぶのは仕方ないと思います 旧植民地の人たちだってそれまでは母国語だけだったわけですし… 特定の言語を使うと、どちらかがどうしても優位に立つ、ということで 国際語には新しい言語を、と作られた「エスペラント語」というのもありますね。 脳の使わない部分を活性化することは、非常時のバイパスも増えるし 活動野がひろがって良いこともあるとは思いますが 多方面を使う方が能力が上がる人も居れば、特化型の方が活きる人もいるのでは って思います。 多言語の国家が優れているかと言えばそういうわけでもないですし… ただ日本はスポーツなんかだと早くから一つのことに絞って鍛えすぎる感はありますが 一定年齢までは多方面やってみるのもいいと思いますけどね。 赤ちゃんの脳には細いシナプスがあちこちに張り巡らされ 使う物は強化され、使わない物は処分されていく、といいます。 これは生まれ落ちた環境に適応して行く能力の高さだと思います。 だから小さいうちにはいろんな刺激をしてあげるのがいいとされています。 興味深いのは、自閉症のセットバックと呼ばれる、赤ちゃんのうちには 健常に育っているのに途中から後退してしまう場合です。 これの一説に、チンパンジーなどではある時期に不要な回路の刈り込みが行われるのだが この刈り込みが過剰に起きた状態がセットバックになるのではという説です 逆にADHDだっただろうと言われる人が偉人に多いのは 彼らは過剰な命令信号が出ているために落ち着きなく次々と衝動が起きて行動する反面 その過剰な信号で雑多な回路が残されるために 普通の人がたどり着けない、飛躍的な発想や型にはまらない発想ができるのでは という説です。 ただ、偉人レベルでもなければ後者は落ち着き無いために一つのこともなかなか身につかない 多くは社会では不適合な行動に繋がるというデメリットもあります。 なので、脳の異なる部分を刺激することが必ず良いかどうか、と言われると 人によるのでは、と思います。 個人差があるので、全員というわけではありませんが 脳波男性は右脳女性は左脳が発達していると言われています その分将棋などでの実力差は圧倒的に男性の方が強い人が多いですね。 図形や地図も女性より男性の方が得意な場合が多いです。 そして女性は右脳と左脳をつなぐ繊維が男性より太いのです。 この役割が別れていないことも認識力などの低さに影響すると言われる反面 言語野を司る左脳がマヒした場合でも、女性の方が言語能力をわずかでも保持しやすい という実験結果もあるようです。 日本の偉人の一人、南方熊楠なども、驚異的な記憶力と、多数の言語を操るマルチリンガルでしたが かれはてんかんがあり、電気信号の刺激が脳に影響していたのではとも言われます 彼も問題行動も結構ありましたが、すばらしい成果と能力を示しています。 それで、極端な例にはなってしまいましたが つまり脳にはある程度適正もあれば、環境や状況に必要とした発達をするわけです 日本人には日本人の得意とする分野がありますし 多言語で発達していたら、今みたいな細やかさ正確さを売りにした技術が伸びたかどうかはわかりませんし… これは狭い世界や価値観で競争してきた結果でもあると思うので。 ご自身が認知症防止や、多言語を学んだ方がどうも調子がいい、というなら そうすることが合っているのだと思います。 ただ脳の機能はあまりに複雑な上に、後天的なものだけではない向き不向きもあります。 環境が必要としていないことに労力を傾けて活性化されることで得られるメリットと それに費やされる浪費のあいだに出来たはずのことのバランスもあると思います。 おもしろいのは最近「手話」についてです。 彼らのやはり文法は口話者とは違うと言うことなのです 伝え方のストレートさ、てにおはがないこともあるとおもいますが そのことに注目してそれを伝えようとしている方がいます。 とても長くなってしまいましたが… 最後に興味深い演説のサイトを紹介しますね

参考URL:
http://digitalcast.jp/v/13403/

その他の回答 (3)

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.4

普通なら、日本語以外に1つ外国語を少々できれば十分かと思います。これからの小学校からの英語が実用的な英語教育になってくれればそれで十分。 英語で日常会話ができるくらいなら、文の構造・語順なども違うので、ちょうどいい刺激になるかと思います。難しい過去完了とか文法用語は覚えたくありませんが。 そして、ラテン語系統としてフランス語が第二外国語にできると、さらに名詞に性別があったりそれで変化したり格変化とかでアタマが全く異なる次元で動き出すので、それはアタマをいじめるのが好きな人にまかせてトライリンガルになってもらいたいものです。

回答No.2

質問者の補足説明で意味が分かりました。 私の考えでは、知能指数120位の人で外国語は二つ。知能指数140以上の人で外国語は三つ程度が良いと思います。これはかなり高レベルの学習内容という前提です。 そうではなくて、簡単な日常会話程度の水準であれば、凡人でも五つ位の習得は可能でしょう。

回答No.1

質問文の最後の部分が、日本語として意味が不明です。その部分は何を質問しているのですか?

noname#209756
質問者

お礼

質問ありがとうございます。 日本語だけだと脳の活用度が低いのではと思って。 たとえば、日本語とスペイン語、イタリア語あるいは日本語とハングル語、中国語などどれが脳の活用で適正かという意味です。

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