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学校の歴史の論述問題なのですが
卑弥呼やヤマト王権の5世紀の大王たちは、なぜ積極的に中国に遺使したのか教えてください
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- sekai_s2
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5世紀の大王たちはヤマト王権の王ではありません。
- Roman0
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冊封という概念がポイントになります。 シナは、今もそうですが、中華思想という概念を基本として持つ文化圏です。文字通り、中央が華であり全世界の支配者であり、中央から離れた所に済むものは蛮族であり野獣であるという認識です。 従って、中央政府は蛮族たちが自分たちの実力で支配している地域に対し、「お前の支配権を認める」という認可権を、勝手に持つようになります。この認可する行為を、「冊封する」と呼びます。 全世界の支配者なのですから、その程度の権限は持っていて当たり前という考え方ですね。 支配権を認められないとしたらどうなるか。 実質的に、シナとは国交断絶状態になり、いつシナから攻められても、シナの属国(支配権を認められた国)から攻められてもおかしくない状況となります。 要するに、国家防衛のために、シナに遣使して冊封してもらうことが有効だったわけです。 むろん、当時のシナの国力からしたら、日本海を渡って日本列島に攻め入ることは難しかったのですが、権威というものは実力を超えて影響力を発揮するものです。
- araki04
- ベストアンサー率0% (0/1)
今度からは自分で調べてくださいねー、こんなのは割と簡単に見つかりますから。 まず、中国に使いを送りますね。「中国皇帝の徳を慕って」貢物を持っていきます。すると皇帝はそれを数倍も上回る沢山の品物と、状況によっては「封号」という称号をくれます。「漢委奴国王」とか「親魏倭王」とか。 つまり、適当に人数を整えて使いを送れば(ある程度の国力が必要ですが)、価値のある品物をくれるわけです。また称号は東アジアにおいては箔がつきます。 ただ、本来は「天皇」といっている以上朝貢はできないはずなのですが…中国としては朝貢をする国は格下ですから、勝手に「王」と名乗られては困るわけです。
- caesar-x2
- ベストアンサー率46% (251/542)
文明国家としての”箔”をつけるためと、 文化交流、先進技術の供与を受けるため、 さらには交易の許可を得るためです。 朝貢貿易というやつね。 ただ古代においては、日本の海事力と 度々変わる国際関係から 安定した貿易関係は築けなくて たまに行って貰って帰ってくるぐらいだったわけです。
お礼
ありがとうございます
- otyatya622
- ベストアンサー率29% (7/24)
No.1さんが仰る通り、宿題の丸投げはいけません。 簡単に言うと自分の国のためです。 詳しい内容は教科書や、歴史関係のサイトを探すと必ず見つかると思います。
補足
宿題ではないです。 授業中にとばした問題で教えていただけたらうれしいです.
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
ここは、宿題の答えを聞く場ではありません。
補足
宿題ではないです!!! 最初に書くべきでした・・。すみません。
お礼
すみません。父から貸してもらっているので、 あまりしらべられないんです。 回答してくださってありがとうございます。