当時の台湾はいくつもの、互いに言葉が通じナイ(日本の「方言の違い」どころではない)民族に分かれ、恐ろしい風土病が蔓延していました。
そのため戦っても新しい病気を持ち込むリスクがある上、戦いの結果土地を得ても言葉が全然通じないので耕す労働力として使役できませんので無駄でした。そのため、「統一して云々」という発想が産まれなかったものと思われます。
中国人は尖閣に各種資源が発見された今になって「中国は海洋国だ」とか言っていますが、大陸国です。元が日本を攻める時だって巨船が作れず半島人に任せたそうです。
余談ですが、中国歴代王朝は「海を越えてやってきた」ということを高く評価し、おおむね日本の使節を朝鮮半島の使節よりも上席に置いたそうです。
つまり、中国人は海が苦手。大陸に土地がたくさんあるのに、わざわざ海を越えて台湾に遠征して病気になる必要は感じなかったので中国人が行くということもありませんでした。
(高尾あたりに)欧州人の小さな街ができた歴史はあるものの、病気が怖くさらに共通語や統一王朝がないなどの理由から侵略しても採算に合わないとして、「侵略を受けません」でした。
日清戦争頃でも風土病とその治療薬として麻薬が蔓延し、中国人から「化外の土地」と評価されていました。中国文化の及ばない無価値な地域という意味です。
日清戦争の賠償の一部として日本が「台湾をよこせ」と要求した時も李鴻章は「あんな化外の土地を欲しがってどうすんだ。欲しければ(熨斗を付けて)プレゼントする」という意味のことを言って日本人のバカさ加減を嘲笑したとか。
日本の総督は原住民を「高砂族(たかさごぞく)」と総称し、まずは麻薬を公認するなどから始めすこしずつ麻薬をやめさせました。また教えた日本語は、共通語として歓迎されいまも日本語が話せる古老は多いそうです。