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最近、論文博士ってどうなの?
先日、某旧帝大系の大学の先生と飲む機会があって、話題が論文博士に関することになったときに先生曰く 「文科省が基本的にはコース博士にしろってお達しを出したから無理よ。文科省に逆らってまでやる気概はうちの大学にはないし。 最近、大学によっては優秀な社会人向けに1年で博士が取れるというコースができたりして。1年とは言わず、3年の社会人向けの博士コースも充実しているけど、 裏を返せば、論文博士は異常に難しくなっているということ。 今は「論文博士を取ることは難しいのですか?」 論点としては、 1)制度として取得が困難なのか? 2)制度としてはあるが、運用として難しくなっている。 3)大学によっても異なるのでしょうか?
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私が1、2年前に大学に居たときに聞いた話ですが。 世界的に見て、論文博士というシステムで博士号を 出す大学というのは珍しいそうです。 そういうことで、世界の流れに合わせたい文科省 の人たちが主導で、そういうシステムで博士号を 取ることを序々に減らすということを決めて、 この5年くらいそのような風潮で減ってきている ようです。 ですから困難になりつつあるというのが現状だと 思います。未だシステムが無くなったわけではな いのですが、多分大学側や先生方が嫌がるのでは ないでしょうか。 またやはり、博士号を出していいかどうか決める のはやはり大学次第ですので、大学によってまだ 論文博士を出し易い大学というのはあると思います。 うちの研究室も、論文博士を取りたいと言って社会人が 来たことありますが、過程博士じゃないとよっぽど ものすごい成果を挙げていなければ難しいと言って 先生が説得していました。 但し、別の知り合いで論文博士を今年チャレンジした 人2人知っています。1人は旧帝国大へ、もう一人 は、普通の国立大で審査を受け、共に通っています。 繰り返しになりますが、この2人は超超優秀で成果を 沢山挙げている方々です。 また勿論、博士論文の審査をお願いする大学の先生 については、こちらのことを良く知っている先生に お願いしなければなりません。理由は、いうまでも ないと思います。 参考になれば。
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- a-saitoh
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論文博士ってのは、 3年間大学院に通わなくても博士号が取得できる ということですよね。でもどっちにしても大学の論文審査の主査にいろいろ添削というか指導は受けなければなりません。 今の博士課程だと、こういうことも出来ますが。 ・論文を書いて、論文誌に通す(何本か) ・大学院博士課程に入学する(主査になってくれる先生を探して) ・会社を辞めないし大学にも通学しない(毎日は) ・月に1回くらい、研究ミーティングに通いつつ、 これまで書いた論文をまとめて博士学位論文にする。 ・1年くらいで短縮修了で博士号取得 論文博士制度がなくなろうとしているのは、「そんな制度で授与した博士号は本物の博士ではない。そんな基準で博士号を出しているのなら日本の博士号は信用できない」とのプレッシャーを海外から受けたせいだ、というのは聞いたことがあります。本当かどうかは知りません。
- a-saitoh
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論文博士に存在意義はもはや無いですから。 今の課程博士の制度で、以前の論文博士は実質カバーされています。
補足
ご回答ありがとうございます。 >今の課程博士の制度で、以前の論文博士は実質カバーされています 今の課程博士の制度をよく知らないものですので、 申し訳ありませんが、具体的にどうカバーされているのかお教えいただけないでしょうか?
- 991108
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#1です。 質問の回答と少し関係ないかもしれませんが、 ちょっと考え方で少し意見のようなものを 書かせてください。 経済的に恵まれなかったから会社にいる。 そして、会社で働いているから研究成果があまり出来ない。 もしくは、成果を出すのに時間がかかる。 というのは、残念ながら現状では論文博士の 評価では何も考慮されないと思います。 これは仕方のないことだと思います。 会社勤めを4年以上してお金を貯めて、30歳過 ぎてから博士課程に入り直し、3年間学生をし、 過程博士で博士号を取った人を2人知っています。 金銭的にも精神的にも相当大変だったようです。 貯金してたといっても、卒業するころには500万円 くらいの借金が出来たようです。 常に博士号が取れるかどうかの恐怖感と、その後の 進路の不安が相当あって本当に後悔したと言っていました。 彼らは就職活動で企業のほとんどのところに 落とされたそうです。理由は、アカデミックな志向の 人間は会社には向いていないということのようです。 彼らはいま、ポスドクでなんとか働いています。 こういう人たち、大学に意外と沢山いるようです。 そのような人達を知っている大学の先生方からすれば、 社会人で論文博士を出すことについては、成果のみで 評価するしかないでしょう。 本当に博士号取りたいなら、苦しくても3年間研究だけ に打ち込めと大学の先生は思ってしまうようです。 (現に、うちの研究室の先生はそう言っていました。) 平均的に見ても、やはり3年間苦しんだ経験をした学生は、 将来それなりにその経験を生かして研究が続けられる と思いますし。 だから企業にいるにしても、よっぽど苦しんで成果を 沢山あげているひとでないと、なかなか難しいというの が現状だと思います。
補足
ご意見ありがとうございます。 >経済的に恵まれなかったから会社にいる。 そして、会社で働いているから研究成果があまり出来ない。もしくは、成果を出すのに時間がかかる。 というのは、残念ながら現状では論文博士の 評価では何も考慮されないと思います。 これは仕方のないことだと思います。 私もこの点に関して反論するつもりはありません。 当然、「論文」のレベルのみで判断すべきだと思います。 (何年かかったかということは議論すべきでないと思いますが。) むしろ問題にしたいのは、 すごく優秀な企業の研究者がいて、国際会議などで頻繁に口頭発表するし、そこそこその分科会でも名前が通っている。だけど、彼は博士を持っていない。 なまじ優秀だから研究所でもエース扱いで、役もついてしまったし、とても週に数回も大学へなんか行けそうもない。まして家族もあるし、職はやめられない。 そうすると、彼は一生博士はとれない。なにか、この制度は間違っているのではないかと思った次第です。 要するに、大学院博士課程に3年間通ったかどうななんて問題にせずに、優秀な「博士」論文を書いた人だけに博士を与えればいい、そういうことなのじゃないでしょうか? 現状だと、3年間通えば例えレベルが多少低くても、博士がもらえる風潮を感じます。
- wata717
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”世界の流れ”について,考える必要があります.博士論文をその人の”到達距離”とすれば,到達距離=速度 X 時間 です.同じ到達距離を20年かけてもよいのか,2年ですむのかということです.距離ばかりだけでなく速度即ち研究スピードも重視されるのが現在の”世界の流れ”だと思います.
お礼
ご回答ありがとうございます。 ただし論文博士の審査で暗黙のうちに“研究の速度”は評価の対象になっていますよ。博士課程の学生(30歳前)ならばボロボロの論文でも将来に期待するということで通りますよ。 一方、40歳の人が論文をもってきたら、この人は今以上に進歩はしないだろうということで、等身大で審査されると思います。 また会社に入ればわかると思いますが、必ずしも研究だけにずっと集中できない場合もあります。一方、博士課程の学生は研究だけやっていればいいわけです。 40歳の人が(25歳から)15年で書き上げた論文は、博士課程の学生が5年で書き上げたものの3倍時間がかかっているから、点数を1/3にしなければならないというのは、実情を考えるとフェアな判断だとは思えません。 会社に勤めている研究者で週に2日くらい勤務時間に大学に出向いて教授の指導を受ける状態を3年間も継続することができるなんて人は極めて幸せなケースでしょう。(論文博士の制度がないと、そうしないと企業の研究者は博士を取れない。) 経済的に恵まれていて30歳前まで大学に通っていたが、 大して優秀じゃない人が博士を持っていて、経済的な問題から、大学卒業後22歳で会社に勤めた優秀な人で現在学会でブイブイ言わせている人が博士をもつことができないってなにか矛盾している気がして。 ご意見ありがとうございました。
お礼
そうですか。 情報ありがとうございます。 特に完全に「論文博士」という制度がなくなったわけではないのですね。 研究をやる人には個性とか多様性が求められるわけですから、いろいろなキャリアパスがあるべきだと思います。文科省自体もそういっているはずです。 「論文博士」という制度をなくすということは、そういう発想に逆行しているかなと思いまして。 ありがとうございました。