- ベストアンサー
年頃の娘に対する親としての愛情の価値観について
娘が婚約者を見つけてきた時、(客観的にみて、総合力・人間力において水準を上回る好感度抜群の青年です。) ところが、娘の両親は否定こそしませんが、満足もしません。 どうやら、特に母親の趣味性に合わないようです。 そこで娘は、「私は両親の影響を強く受けています。20年間手塩にかけて育ててくれた育成に手抜きがない限り、私は両親のものの見方、考え方に感化されている訳だから、両親の総合した(集約)判断力が養われている。 私が選んだ相手が気にくわなくとも、それは皮肉にも両親が選べと教えてくれた男性であり、誇らしく思っている。 周りにも鼻が高い。だから自慢の娘と自信を持ってもらいたい。」と説得することにより、反論はしませんが、黙ってしまった状態が続いており、得心には至っていないようです。 娘の幸せを望まない親はおりませんが、母親の本音は自分自身の理想を娘に押し付けたいようです。 娘の反論は、「今でもお父さんで良かったと思っていますか?満足していますか?」に対して母親は「勿論よ!」と 応えるそうですが、「でも、日頃不満ばかりを訴えているじゃない、私は一生従順な嫁になりたいのよ。その価値を彼氏に認めているのだから」と、言っても頑固一徹です。父親は風見鶏で付和雷同だそうです。 私は相談を受けて、「妥協して夫婦になるとお尻に敷いてしまいがちだが、主人を尻に敷くことは女の幸せではない!」と断言する娘さんの定見に共感しますが、皆さんのご見解は如何ですか? また、大きくしてもらった恩返しは別の形でしたいが、親の趣味性を含めた判断を要求するのは、部分的な親の私物化であり、真に娘の幸せを望んでいることにはならないと申しております。 (このことは、社会的に未熟な娘に対する親の心配やアドバイスではないことを踏まえご回答下さい。) 満足させるアイディアをお願いします。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
結婚を哲学で解決、はないんじゃないか、、、とまず前置きしつつ、 娘が母親を説得する方法をさがしていらっしゃるとなると なにかがずれている。 たしかに本人同士のことではあっても、なおかつ家の、親の手の中ですすめられる事柄でもあって、 祝福されて結婚したいという子供の願いはせつないけれども、 祝福しろ、という思いを親にぶつけるところには なにかずれがある。 手続き上の。 スタンダードな手続きが、古い日本にはあって、 それは、青年が第三者をたてて、娘の両親の信頼を得るというものです。 青年がいちばん信頼している人物、社会的に、人間的に、 こんな大人の背中を見て修行していますといえるような人物。 母親好みの男性お一人か、または同年代以上のご夫婦で。 世渡りは手続きであるから。 直接もみあわないことですね。
その他の回答 (10)
婚約者のご両親がいらしたら いちど 娘さんの両親と会っていただいたら いかがでしょうか。婚約者の尊敬する人でもよろしいかと。 説得する必要はないと思います。お話をするだけでよいのではないでしょうか。世間話でも何でも。 あとは 時間をかけて気長にと存じます。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
そうですか。。。 ヤフー知恵袋はまた膨大なんでしょうね。 以前データ漏洩したこともふまえて きっと今はセキュリティなんかもしっかりしているんでしょうね。 僕は今のところ教えてGooを使わせてもらってますけれども。。。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
心にもないお世辞を耳にするとき歯の浮く様なといいませんでしたでしょうか。間違いでしたら御免なさい。硬いものを食べると歯が浮くのは入れ歯でしょうか。 斯くあるべきと、青春時代のはじける若さで正義を求めた若者に、大人たちはどの様に対処すれば良いのでありましょうか? 質問は子供達がその様な親に対する対応の仕方なのです。 質問は問題にがはのに変えてもよろしいでしょうか。 大人たちがすべきことは、子供たちがそれぞれの場において安心して暮らせる世の中を創ることではないでしょうか。青春時代をはじける若さで正義を求めることをしなくてもいいような、生きることそのものを楽しめるような社会を創造することだと思う。 それを孔子とか孟子は尭や舜が世を治めていたころの上古に見出した。 美しい日本はどうなんだろう。
公共の意見を聞きたいのですか。 まわりの家庭は。 まわりの親子は。 精神的な危機に陥る方々の多くに見られる特徴に、 いまあるもの、いままであったもの、の価値を気にするんですね。 ごみだから捨てちゃえば、と言ったって聞きませんし、 なかなか良いほうだよ、と言っても聞きません。 これからのほうが大切だよ、と言っても、頭でわかっても目を上げようとしない。 あきらめ、と勘違いしているところもあって、 納得したところで惨めになったり、悲しむんですね。 なぜ、過去や、現在の価値を高く見積もりたいという気持ちを捨てられないか、わかりますか? 本人が、混同しているんですよ。それが自分の価値だと。 アイデンティティを賭けているんですよ。 「親」や「環境」は、アトリビュート、属性でしかないものなのに、 アイデンティティだと思ってしまうんです。 自分で自分を高く見積もりたいがために、 お父さんやお母さんの言葉や心に価値があってほしい、となる。 過去のすべてを、尊敬できるものであったことにしたくなる。 現在の自分を否定しないために、アトリビュートという宝物によりかかる。 最後の4行だけでも、くだらないことだとご本人に伝えてもらいたいですね。 何の義理も無いけれど。 お父さんやお母さんのおもちゃであることをやめたいなら、 おもちゃ箱に価値を見出すのはもうやめなければ。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
反論してませんが、黙ったままの状態が続いており。。。 で 何が問題なの? どういう立場の人間か知らないが 全体に説得の仕方が理屈っぽく歯が浮く印象を受ける。
補足
『歯が浮く印象を受ける』と云うことは、気障な文章内容と判断なされて不快な気分になられたのでしょうか?固い物が食べられない場合に歯が浮く感じがすると言われます。 気障で固い質問なのかを悩んでしまいますが、彼女はYahoo!知恵袋で相談しまくったのだそうです。何方の意見も『蛙の子は蛙でよい、子は親の辿った道を歩むものだ!』との回答ばかりだったそうです。 私は、「Goo知恵はレベルが違うよ」と当初は伝えましたが納得しませんので、私が質問投稿しているのです。質問の前提が違うことにお気付きください。彼女は恵まれた両親を持つ貴方をうらやましく思っているということです。 彼女の両親は風見鶏で、多数派の意見に付和雷同するなさけない親の後姿を見てきて、とても尊敬に値しないと悲しんでいるのです。 『何が問題なのか?』と仰いますが、悲しんでいる理由が問題なのです。 「今でもお父さんで良かったと思っていますか?満足していますか?」に対して母親は「勿論よ!」と応えるそうですが、「でも、日頃不満ばかりを訴えているじゃない、私は一生従順な嫁になりたいのよ。その価値を彼氏に認めているのだから」と、言っても頑固一徹です。 この矛盾が問題なのです。 私は正しいか間違いかの問題よりも、楽しいか楽しくないかの問題だと考えます。 『反論はしませんが、黙ってしまった状態が続いており』に、つきましては、人の心は量り難いものですが、両親は心の中で「そうだ!そのとおりだ!」と純粋であった幼い頃が彷彿としているのではないかと私は推察します。 例えば「老いては子に従えというからなぁ」とか、親の器量を見せない限り、子供の師表にはならないと思います。 一流の会社で長年勤めている父親ですから、模範や手本となるものは多々あることは認めておりますが、ことこの件においては失望しております。 烈火の如く「付和雷同の何が悪いんじゃ!」と言って認めるものは誰一人おりません。まして自分の親だから悲しむのです。この娘さんは他人の親には尊重します。 ですから、世の多くの親御さんは話題を変えたり曖昧にしてしまうのではないかと思うのです。 斯くあるべきと、青春時代のはじける若さで正義を求めた若者に、大人たちはどの様に対処すれば良いのでありましょうか? 質問は子供達がその様な親に対する対応の仕方なのです。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
貴方という素を親は創った。 素は素である。 蛙の子は蛙。 これは決して悪い意味ではない。 と思う。 今のところ 素は素でしかない。 真意はまだ伝え切られてはいない。 何時のときも 最後の最後まで 自らの支えとなるのは 親の後姿 いいにつけても わるいにつけても そしてそれをのりこえて生く。
1です。お返事拝読いたしました。 それは人生というものを楽しんだり苦しんだりして花や実とするうえで、 非常につまらないことなのでは? 親を愛する愛しかたにも工夫を、夫を愛する愛しかたにも工夫を、 そうして女性は、子を愛する愛しかたにも工夫があることや、 自身を愛する愛しかたにも工夫があることを学んで、磨かれていくのではないですか? ひとに多くを望んではいけない、たとえ親でも。。。 若い娘らしいプライドというのも貴重なもので、本質主義であったり、潔癖であったりしますが、 それを曇らせることを恐れてはならないということを、少しずつ覚えてはいかがでしょうか。。。 自分が傷を引き受けてみて、本当に傷がどこについたか、確認するということも大切ではないでしょうか。。。 これをよくわかっていただけるとよいのですが、 おそらく、その傷は、親子の密なつながりに、深く刻まれるのです。 親子が少し、他人になれる、よい機会です。結婚というのは。 青年が仲人をたてるのは、とても礼儀にかなったことです。 その実力が備わっているというのも、青年のめぐまれた資質の一つです。 家だろうと、環境だろうと。。。。 その環境に生まれ、育っていなければ、その青年ではないのですから。 親の目は、そんなものも見て、手塩にかけた娘の将来を考える。 つながってきた時間の重みは、娘にはみえないけれど、親には見えているから、 続いていく時間も、それとつりあうものであってほしいと考えるでしょう。 これは主観や趣味や価値観や打算アリでしょう。 なんてことをわざわざ言わなくてすむように、もともと、 第三者が「某の息子の某が、お宅様のお嬢様をお見染めしました」と 仲介することになっていたのです。 それから、青年を引き合わせていたのです。大正時代くらいまでは。 先入観が先、というのは、あながち間違ったことでもないです。
- agrippa
- ベストアンサー率9% (5/51)
親は先を生きてるからね。 どっちの方が人を観る目があるかって言われりゃ どっちだと思う? それはさておき 哲学のカテに質問することを思いつくくらいの人なら 自分の言葉で説得してほしいね。
- garcon2000
- ベストアンサー率25% (32/125)
大原則として 子供の結婚に親は関係ありません。 以上
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
親というのは生んで育ててもらったありがたい存在でありまた同時に自身の肉体の親ではあるけれども「魂の親」ではないのですね。 言い換えれば肉体的に親子でも魂的には別人なんですね。 「自らの欲するところに従い則を越えず」というのはこの魂としての自分への戒めなんですね。 娘さんが魂として選んだ伴侶であれば、肉体の親が介入する余地はないんですね。それだけですね。
補足
そうなんです。社会規範とのずれを相談してきたのです。 政略結婚も現代では、ずれとも言えるかも知れませんが、まだその方が 子供達にとっては理解があると申しております。 貴方の仰るように、しかるべき仲人を(政治家)立てて式に臨むと申しておりますが、そのデュープロセス(適正手続き?)では、 もろ手をあげて喜ぶ風見鶏の親だそうです。 本物思考を望む若い二人にとっては、その性分がなさけなく、なんとか 彼氏の良さを分かってもらおうと相談に来ているのです。 当初の質問欄にも記しております様に、親の趣味性を含めた判断を要求するのは、部分的な親の私物化であり、真に娘の幸せを望んでいることにはならないと申しております。 しかし、古今単純に娘の幸せを望んでいるとは申せ、それに気付かず 親の自己満足を無意識下に含めた我が侭(これも自覚なし)を押し付ける親に対する対処対応を質問しているのです。 つまり、この場合のずれとは、世の多くの親のずれであります。 娘さんの言うことには、彼氏の家系や財産(当人も事業家です。)を両親に伝えると大賛成する親に失望しつつ 親孝行もしたいのです。 面倒だから、両親にありのままを言っちゃおうかと娘さんは言いますが、 「一寸待て、Goo知恵で聞いてみよう」と言って皆さんに相談しているのです。 彼氏の親は、子供は自分の作品だから息子の決めた女には口を挟まないと言って何度か食事を共にしているそうです。 彼氏は娘さんの実家に二度挨拶に行ったそうです。