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英語の基礎

英語を基礎からやり直したいという場合には中学の英語からやり直すことを進める人が多いですよね。中学の英語といえば、仮定法とか分詞構文などを除く文法事項を体系立てて英文和訳を主体としていますが、 少し疑問が沸きました。 会話をするにも確かに文法は必要です。しかし、不定詞の分類とか最近質問にも出た5文型とかがどこまで重要なのでしょうか? 現に中学の英語が得意な人でも大半は簡単な会話さえ出来ないのが現状ですよね。 趣旨が曖昧かもしれませんが、英語の基礎というのは具体的にはどんなものだと思いますか?

みんなの回答

回答No.8

Gです。 北京での最後の日となりました。 >英語に限らず、何でも基礎こそが難しいのではないのかと。 良くぞ言ってくれました。 この事がなされていないのが日本での英語教育なのです。  基礎を教える事の出来る教師があまりにも少ない、と言うことでもあります。 しゃべれない教師がどうやって英語の基礎を教える事が出来るのだろうか、と言う事に結局なってしまうのです。 基礎とは、言葉ある限り挫折と言う壁が来ると言う事実を知ること、来るのであればそれに勝てるものを生徒に持たせる、それには英語は楽しい、英語を使えるようになれば狭くなった今の世界で多くの得をする、生まれてきてから12年間こんなにも多くの事を身につけられてきた事実をよく見つめれば義務教育の最後の3年に英語を身につけられる力はもうすでに存在する事を立証されている、イギリス人でさえイギリス訛りでしゃべっているのだから日本人だって日本語訛りでもいい、誰でも、今ぺらぺらの人でもはじめはブロークンイングリッシュだった、短い簡単な表現でも十分分かってもらえる、とにかく使う、英語は日本語と同じように死ぬまで向上できるものである限り今日できないと言う事はできないと言う事ではない、英語の発音は日本語の発音とは違う、そして、日本語表現ではなくその表現を使うフィーリングを大切にする、などなどなど、すべて中学一年の一学期に洗脳させる事が出来るのです。 完璧な英語でネイティブと同じような発音が出来なければ恥ずかしい、と言うのであれば、しゃべれない英語教師がいる事はそれの100倍も恥ずかしい事なのです。 読み書きを日本の英語教育は重要視していると言いながら、どれだけの日本人がメールのやり取りが出来、新聞を読み、日記が書ける、と言うのでしょうか。 会話をする事が英語教育ではない、と断言するための反論の言葉としか取れません。 矛盾しているからです。 基礎とは積み重ねが出来る土台作りなのですね。 それを今の中学教育ではしていないのです。  そして、おかしいともいえるように、独学を始めるようになってから「中学の教科書に戻りなさい」と言うアドバイスを、私も含めて、言うわけです。 どこか、矛盾を感じませんか? 独学で中学の教科書を使えば基礎を身につけることが出来て英語をつけるようになる、と言っているのです。 断言しているのです。 つまり、教科書と言う教材を認めているのですね。 じゃ、何で同じ教材を殆ど無料で使わせてくれる機会を作っている中学の英語教育では「使えるようにはならない」のでしょうか。 それは、教える教師自身が教材を使えないと言う事なのです。 独学以下の教育って何でしょう。 一人なら出来るようになる、でも教師がいるとできるようになりにくい、と言う結果を今まで何十年もやってきているわけです。 誰もそのことについて反省をしていません。 そして私のようなものが言うと、「過激だ!」と言われるのです。 最高の英語教師と言う教師を中学で使う、いい意味での洗脳が出来る教師を中学で使う、それだけ高い給料を払っても良いじゃないですか。 日本国としての投資なんですから。 なぜ、ALTなど矢と言う必要があると言うのでしょう。 それ自体が、英語をつけるようにさせたいと言う気持ちが政府にはあるからでしょう。 しかし、あるにもかかわらず、教えられる教師を育てようとしない、矛盾もいいところです。 彼らに払う税金をなぜ英語教師養成に使わないのか、なぜその分だけ高い給料で中学英語教育に「基礎作り」のために雇わないでしょうか。 矛盾だらけだと思いませんか? 学校教育では無理、と言うのは、現状では無理でしょう。 大きな問題は教えることの出来る教師がいないからです。 教える教師がいれば、いなければ出来る教師を養成すればいいのです。 出来る教師がいれば一クラスに100人生徒がいても出来るはずなのです。 なぜなら、基礎はどの生徒にも基礎だからです。(モチベーションとは何百人生徒がいても出来るのです。 なぜって、「目を覚ます」だけの事なのですから。)  出来ないからやるのです。 やるから出来るようになるのですね。 とかくできるからやる、興味があるからやる、のは自然です。 ほんの「出来ないからやるんだよ」の基礎を植えつけるのは中学の英語教育では「教える事が出来る教師になるための」必須項目なのです。 そして、そんなに難しい事ではないはずなのです。 難しいのは政府がこの簡単な事に気がついていないだけなのです。 気がついていないから、この簡単な事を教師にも植え付けて教育員としての資格の中に取り入れていないわけです。  「英語、うまいね」と助詞抜きで外人さんに言われて、「もちろんさ、学校で教えてくれるからね」と自信を持って言える英語教育は実現できるはずと私は信じています。 専門用語を作り、その用語を覚えさせ、頭の混乱させて人生の6年間と言うものを無駄とも言える事を子供たちにさせているのです。 英語はすでに「知識の学問」ではなくなったのです。 使えなく出はならない時代になったしまったのです。 明治のころとは違うのです。 知識的にも心理・精神的にも基礎さえできていれば英語は使えるようになるのです。 基礎は大切だ、と言いながら基礎を作ってあげない日本の英語教育に批判的になる事はそれほど「過激」な事なのでしょうか。 ただ、これは日本の英語教育だけではない、と言う事は私は知っているつもりです。 使えるように教える事の出来る指導員を作り出すための指導方法に人生の半分を使ってきた私としては自称指導員がどの分野でもいる事は十分分かっているつもりです。 そして、どれだけ「基礎」と言うものが大切なのか、そして更に、何が基礎なのか(この方がもっと今回のご質問にあっていると思いますが)を知っているつもりです。 そして、私は死ぬまで私なりの向上を目指しているつもりでもあります。 (日本語をもっと勉強しろよ、と言われるくらい、しなくてはいけないことも分かっているつもりです) そして、この何が基礎なのか分かっていない日本での英語教育だからこそ基礎を作る事が出来ないわけです。 学校文法を「向上」させるためのと言う名の元で「今までの学校文法では説明できない事柄を説明するために」新しく専門用語を作っていますね。 そしてそれを学生に覚えさせているのです。 学校文法の根本的な、言ってみれば、基礎的定義が出来上がっていないまま学校文法を押し付けているのは残念としかいえません。 より難しいものにしてしまっているわけです。 英訳するときに、日本語文章をそのまま辞書に書いてある単語に変換するのではなく、何を言いたいのか、つまり、フィーリングは何なのか、同じ日本語の表現でいろいろなフィーリングが含まれており、文章だけを英文にして違うフィーリングを出したいときには使えない、と言うそれこそ「基礎となるべき」日本語の理解なしで、どうやって英語に直す事ができると言うのでしょうか。  このカテでもありすぎるくらいありますね。 日本語の表現を英語にしたいと言う質問に対して、ほんの「ひとつ解釈」に基づいた英語分を示し、これが訳だ、というのが現状なのです。 すみませんは、I'm sorryだけの謝るときのフィーリング表現だけではないのですね。 Thank youと言っているフィーリングの表現のときでもあるのです。 そして、謝るのではない、Excuse me/usと言う時にも使いますね。 日本語単語だけでもいろいろな英単語がフィーリングによって違う単語を選びますね。 じゃなんで、日本語文章で違うフィーリングがあるんだからそれに基づいて「文章を選ぶ」と言う事をしないのでしょうか。 これは、アメリカに38年住んでいなくても、さらに、海外に住んだ事がなくても出来るはずなのです。 中学一年のときにこの観念を教えれば良いだけの事なのです。 言葉としての観念を植え付ける、私が言う洗脳、を中学のやわらかい頭脳に与える事は出来るはずなのです。 なぜなら、「基礎」だからなのです。 学校文法と「社会文法」および「自己文法」の違いをはっきりさせる事で、#7さんがおっしゃっている「(学校)文法用語だけを覚えてこれは、xx文型だとか、従属文だから、云々 なんて言うことは(社会)文法でもないでしょう。何文型でも構わないのですが、英語の(社会)文法的に正しいものを使えれば良いのです。」(括弧の中は私が入れました)ということなのです。 社会的に認められた表現方法が「ものをいう」のであって学校文法はただ「使えないくせにでかい口をたたく」という表現に私はしてしまうわけです。 過激すぎますか? 社会で使えない部分を学校文法と呼び、学校で教える使える文法は学校文法ではありません。 学校でも十分、特に中学では、社会文法を教えてくれているのです。 もっともっと日本人が英語コンプレックスを持たずに使えるようになって欲しいという気持ちが私にはあるからこそこのカテで書いている事を知ってください。 批判は、それを実現するためにはもっともっと多くの人に私が書いている事を認識してもらいたいために必要な「必要悪」と私は考えています。 他の人たちにも私の考えを読んでくれる機会を作っていただき感謝しています。 そして、今回のご質問に対して、何かのヒントになればうれしいです。 

noname#111031
noname#111031
回答No.7

実際には、習った英語をちゃんと頭の中に収めていないので、書けない、喋れない(発音練習は中学、高校、大学の一般的授業では無理)と言うことになるのでは? 読める積りに成りがちですが、実は読めていないのでは。だから、簡単な文章も口から出てこない、書けないということに成るのでしょうね。これは、自分の経験から感じていることです。 業務上英語を読んだり書いたりする場合、特別な、所謂分野別専門用語というものを除けば、中学、高校などで覚えたものを使えば略OKです。 しかし、英語で、英語国で生活したことがありませんので、通常の生活で使うであろう語彙は大いに不足しています。 文法はちゃんと覚えるべきですが、文法用語だけを覚えてこれは、xx文型だとか、従属文だから、云々 なんて言うことは文法でもないでしょう。何文型でも構わないのですが、英語の文法的に正しいものを使えれば良いのです。

noname#47281
質問者

お礼

前回の外国語のカテの質問にもお答えいただき ありがとうございました。 まあ、この質問の明確な趣旨は#5、#6さんのお礼で書いたことです。 英語に限らず、何でも基礎こそが難しいのではないのかと。料理で言えば玉子焼き、音楽で言えば #5さんが挙げられたバイエルのようなものですかね。私が外国語Aで外国語Bを学習するというのも、外国語Aの基礎をどれだけ確実なものにするかだと思うんです。でも、この基礎が日本人には難しく、基礎が不十分でも、もっと上のランクは日本語の支えで成り立っているような。

回答No.6

Gです。 こんにちは!! 英語の基礎ってなんでしょう。 そして英語とは?のこの二つを考えればかなりのヒントになると思いませんか? 日本には試験のための英語と呼ばれているものと英語を使えるようになる英語習得があるのです。 試験のための英語には基礎がありますね。 そして、その基礎は、私に言わせれば、使えるようになるための英語の基礎、ではないのです。 いくら中学の(試験のための)英語をやり直してもまったく効率の悪いものとしかいえません。 しかし、中学の文法を使えるようになるための文法習得であれば、いつも私も言っているように、中学の英語を勉強しなおすのは大変「必要」ともいえることなのです。 しゃべれない中学教師がしゃべれる(使える)生徒を作り出せるわけがないのですね。 しかし、試験のための英語と呼ばれる物、つまり試験を受けていい点数を取るための解答をすらっと出せるようになるための教育、一夜漬けでもいいのです。 その次の試験がどうなるかは考えにも及ばなくてもいいとされ、英語で進級できなかった人はまずいないのが現状だと言う事に誰も不自然さを感じていないのです。 学年が上がれた知識も自然に積み重ねられている「はず」なのです。 しかし、できないまま6回も進級して(最後は卒業ですが)来た人にとっては、実は進級するたびにより深いアリ地獄にはまっていっている事なんて気にする「英語ができる人」なんて日本にいるのか非常に疑問なのです。 そして、試験がなくなってから気がつくのです、今まで6年間何をやってきたんだろう、って。 そこまで考えられる人さえもいなく、「英語は一言も分かりません」じゃ何かおかしい以上のものがあるわけです。 英語を英語と言う「言葉」として認識させるのが中学の教えなはずです。 それができるようになれば、10年で日本は変わります。 言葉であると言う基本的なものから「基礎」を作り上げていくような教育方法は日本にはありません。 はっきり言って、「独学」しかないのです。 基礎は使う、と言う事のほか何もありません。 日本で生まれながらもフランス語と英語ができるmyrtille55さんであればこの解答はもうできているはずだと思いませんか? 夢の中でもいい、頭の中のシナリオ作りでもいい、とにかく、自分から使う事を教えられていれば、日本人の50%以上がたどたどしくても使えると言う人は出てくるはずなのです。 TOEICで満点をとりながら聞き取ったりしゃべる事は難しい、と言う事すらおかしいと思いませんか?  基礎ができていない、と言う事になるのです。 基礎ができていないのに満点??? WW2の特攻隊です、それじゃ。 必ず死にますからね。 死ぬための離陸。 離陸できれば一応満点なのです。 学校文法(試験のために作られた文法と言う名前を借りたもの)には基礎を大事にしていません。 そして、この試験のための学校文法の割合が少ないのが中学で習う英語なのです。 だからこそ多くの人、私も含めて、中学の英語をやり直しなさい、試験のためではなく自分のために、と言うしごく基本的な考えに落ち着くわけです。 私は中学の英語教科書の最新のものを贈られました。 これさえしっかり教えてくれる教師がいればまず一般会話は問題ないとすらいえる教材です。 しかし、教材をフルに使える教師がいない状態がまたもや20年30年続くのであれば、どうしようもないわけですね。 20年で何億人の犠牲者でしょう。 犠牲者と言うレッテルを使っているのは私だけです。 どうして、英語を習ったと言いながら、それも高い資格を持ちながら使えない若い人たちがいる事にもっともっと関心を持ってあげられないのでしょうか。  それには、もっと基礎的な、根本となるものに気がつき、学生が受ける教育への改革を促そうとしないのでしょうか。 英語を習う人は中学の基礎をやり直せと言うのであれば、できる人は「教育の基礎をなり直す事」に力を入れようとすべきだと思いませんか? いつまでも自分はできるんだから質問に答えればいいということではなく、その質問をもつという状況にした原因を覆す回答をあげる必要がある、と思いませんか? おなかが痛いからと言ってその場限りの痛め止めではなく、その痛みの原因を直してあげるのができる人の「出来る様になった事・人」への小さな恩返しであるはずだと私は思うわけです。 と言う事で、中学の基礎は「試験のための学校文法が少ない」と言う理由から私はアドバイスしています、と言う事になります。 これでいかがでしょうか? 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 #5さんのお礼でも触れましたが、英語を介して他の外国語を学習している人と言えば、Gさんが挙げられます。でも、こういう学習をそつなくこなせるということは、英語の基礎がしっかり出来ているからこそだと思います。 あと、全然関係ないんですが、Gさんなら the fist on the hipsと聞いて、the arms akimbo と反射的に浮かぶと思いますが、これって 学校式の英語では難しいのではないかと。

  • genmai59
  • ベストアンサー率45% (1214/2675)
回答No.5

5文型なんて用語がでてくるのは高校からで、中学ではそういうことはやらないと思うのですが。でも、英語の基本的な構造を知らなければ、文章を理解できないですよね。 英語は楽器の演奏によく例えられます。文法を理解するのは、楽譜の読み方や指の押さえ方を覚えることにあたるでしょう。実際に会話をするのは、曲を演奏したり、自分でアレンジしたり、さらには即興で演奏するようなことだと思います。 英語が得意な人でも簡単な会話さえできないのは、楽譜の読み方は知っていても、弾く練習をしていないからです。でも、楽譜の読み方は知っているので、楽譜を見ながら何度も練習すれば、次第に弾けるようになります。 楽譜の読み方を知らずに、音だけで覚えて楽器を演奏する人もいます。音楽というのはもともとそこから始まったものなので、そのほうが正統なのかもしれません。でも、耳から聞いただけで音を再現したり、美しくアレンジしたりできるのは、ごく一部の天才だけじゃないでしょうか。 普通の人が音だけで弾くと、メロディはだいたいおさえられても、微妙なところを間違えたりします。また、でたらめな指使いでは、複雑な指使いが必要になったときに指がついていかなかったりします。音楽理論を習わずにフィーリングだけで曲をアレンジしたりするのは、本当にむずかしいことです。 バイエル程度の曲なら音だけ聞いて自己流で練習すればだいたい弾けても、楽譜を読んだり音楽理論を知らないと、先へ進むのがむずかしいわけです。また、習得するのにものすごく時間がかかります。 英会話の場合でも、基礎的な文法など知らなくても、ネイティブとしょっちゅう話をしていれば、日常会話など最低限のコミュニケーションはすらすらできるようになって、「あの人はペラペラ」と思われるかもしれません。でも、そういうケースでは、自分の思想をきちんと伝えて議論したりはできていないことが多いのじゃないでしょうか。 中学で習うような基礎的な知識を知っていれば、練習するだけでのびが速いし、さらに上に行く足がかりにもなるわけです。 それから、英語のやりなおしで、中学の英語を勧めるというのは、2つのケースがあると思います。 1つは、英語が苦手な高校生や受験生に、中学からやれというケース。これは、英語は基礎から積み上げていく必要があるので、最初からやり直さないと、どんなに努力してもうまくいかないからです。これは、数学など他の教科でも言えることです。中学で習う因数分解ができない生徒が、微分・積分が解けるわけがありません。 もう1つは、大学生や社会人で、一通り英語の知識を身につけた人が実際に使えるようにする練習をするために、教材として中学教科書を薦めるケースです。これは、簡単な教材のほうが練習しやすいからです。オーケストラの総譜が読める知識があっても、一度もピアノを弾いたことがない人が、いきなりピアノ協奏曲の練習をしても、なかなか弾けるようにはならないんですよ。練習したことがない人は、やはりバイエルから始めたほうが、練習が楽だし、上達も早いんです。 大学受験などでむずかしい英語の知識を身につけた人は、そこを誤解していきなりむずかしい英語を話そうとするので、うまく話せなくて挫折することが多いのですね。そういう人に対して、最初は「中学教科書レベルの教材で練習しなさい」と言われているわけです。

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 んーと、そう言えばビートルズは譜面が読めないんですよね。でも、あれは特殊な例なので普通の人は正攻法で行くべきでしょうね。 >それから、英語のやりなおしで、中学の英語を勧めるというのは、2つのケースがあると思います。 私が問題にしたいのは2番目のケースです。ネーティブの小学例学年の英語の教科書という選択肢もあると思いますが、こちらは敷居が高いかもしれませんね。 私が思ったのは、中学の英語って文法毎に体系的に整理していますよね。そして、1000語から2000語の英単語に日本語の訳語を結び付けて、和訳したり、書き換えたりするのがメインになりますが、これって基礎って言えるの? って疑問が沸きました。 例えば、英語を介して他の外国語を学習するとします。でも これって Gさんのような人を除くと極めて不合理になるのではないかと思われます。しかし、その学習法の難しさは、高度な英語の知識だけでなく、 もっと根本的な英語の基礎がしっかりしていないのではないかとも思うんです。

  • komimasaH
  • ベストアンサー率16% (179/1067)
回答No.4

もし、英文法をはじめから、というのなら、中学生と同じことをやってもつまらないでしょう。山崎貞「新自修英文典」をお勧めします。 私は高校生のときに、教科書とは別にこの本で自修しました。はっきりいって、学校の授業とは格が違うと感じました。 とはいうものの、アマゾンでusedで売っているものの お値段が、49800円!桁をまちがえてるのではとびっくりしました。図書館に行けばあるのでは。 http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4327760668/ref=dp_olp_2/503-9670123-3732710 ネットで英語の教師の方のブログを読んでいたら、英文法の本は古ければ古いほどいいとか、初版本がいいとかいわれているそうです。学校側がもっとやさしくしてくれというものだから、どんどん内容が易しく、スカスカになっていくからだとか。

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 あのお、折角回答を戴いて恐れ入りますが、そういうことではないんですが

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.3

どのような言語もそうですが、口と耳が基礎だと思います。 日本の外国語教育は目学問に偏重しているように感じます。 文法はかなりの会話が出来るようになるまでは却って邪魔だと思います。 >英語の基礎というのは具体的には 簡単だが重要な会話が基礎だと思います。 たとえば これ何? これいくら? といったようなことじゃないでしょうか。

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • yuu111
  • ベストアンサー率20% (234/1134)
回答No.2

今の中学生はあまりそういうのやらないですけどね。 勉強法の話とかするときは、勉強のしやすさも無意識に考えてしまいますかね。 そりゃ、「ネイティブと頻繁に会って、その人は外国語教育にも精通していて、適度に文法的なことも交えながら実践的に・・・」なんてことがあれば理想的かもしれませんけど・・・ねえ(笑) 本当は、「基礎はなにか」なんて考えなくても、中1からちゃんと積み重ねてこれば大丈夫なんですよ。 でも、英語で悩む人は途中で挫折しているわけで、そういう人は、例えば中1から高1の内容を数ヶ月で終わらせないといけないわけです。 そうなると、アドバイスは受験に直結したものを厳選する感じになるんでしょうね。 会話が苦手なのはやらないからなだけで、できる人はすぐにそれなりの会話ができるようになりますよ。 文法とか五文型は、読むときにより正確に内容をつかむために必要なんであって、文法を知ってるから読めるとかいう問題ではないと思いますよ。 つれづれになりました・・・

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この疑問の発端ですが、英語圏の人が母語として英語を覚えるのと私たち日本人が外国語として英語を覚えるのとでは まるっきりプロセスが違いますが、大学生で難しい英文を読める人でも ネーティブ幼児と会話さえまともにできないのではないでしょうか。単なる練習量の他にも色んな要因があると思いこの質問を出しました。

noname#64345
noname#64345
回答No.1

しゃべることですね。

noname#47281
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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