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戦国の大男といえば?
戦国(江戸初期辺りまで)に生きた人の中で「大男」と呼ぶに相応しい長身と言ったら誰でしょうか。体格では肥満体や小男として伝わる話はよく聞く気がするのですが、長身というとイメージ以上のものがあまり思い浮かびません。 宜しくお願い致します。
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身長が書かれている中では、 1.三浦義意 7尺5寸 北条早雲に滅ぼされた三浦一族の中で一番の豪傑。 2.斉藤義竜 6尺5寸 3.山中鹿之助 6尺3寸 これには異説ありと書かれています。 文春文庫「武将列伝(二)」 などに拠る。 真柄十郎左衛門 も1と2の間と思われる。
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将軍さまで、大きい人・・徳川吉宗(180センチ) 小さい人・・徳川綱吉(142センチ) 同じ血筋なのに・・・。
お礼
そうして並べて頂くと確かに「大人と子ども」くらい違いますね。まあ、同じ血筋と言っても綱吉と吉宗では相当離れていますから「うちの親戚にすごく大きい人がいる」というくらいの感じではないでしょうか。ご回答どうもありがとうございました。
- Pinhole-09
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No.7です。 身長について、 「相州兵乱記」によると、三浦荒次郎義意(よしおき)は7尺5寸、85人力の剛の者。 真柄十左衛門は7尺で刃渡り5尺3寸の大太刀を振り回す。 こんな身長の者がいるなんて信じられない、との考えもあるでしょうが、 信憑性の高い江戸時代のデータでは、 文政時代の力士、大空武右衛門は身の丈7尺5寸、量(体重)35貫目(約140キロ)と書かれ、 幕末の剣士、大石進は7尺で5尺3寸の竹刀を振るいました。 これより前二者の値は誇張ではなさそうです。 ただ5寸きざみの可能性もあり、7尺5寸とは7尺~7尺5寸 7尺とは6尺5寸~7尺と見た方が良いでしょう。 それにしても85人力とは驚異です。
お礼
平均身長が低い時代だからといって「そんな大男いる筈がない」ということにはなりませんよね。それにしても八十五人力ですか・・もうそうなるとどのくらい膂力があったものか簡単に想像は出来ませんね。「八十五人力」ならもう「百人力」と言ってしまっても良さそうですが、そう言ってしまうと何だか現実味が薄れてしまうので避けたのでしょうか。それとも「米俵○俵持ち上げられたから八十五人力だ」というような基準でもあったんでしょうか。 貴重なお話ありがとうございました。勉強になりました。
宮本武蔵、6尺ほど。 医学的には、巨人症ではないかといわれています。
お礼
宮本武蔵もそんなに大きかったんですねえ。長い刀を用いていたせいか佐々木小次郎のほうがすらりと背が高いようなイメージでしたが、そうなるとやはり武蔵のほうが大きかったんでしょうか。ご回答ありがとうございました。
- imp-dsc
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身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg) の体格って誰だと思いますか? 皆さんは彼の名前は知っている筈です。知らなければおかしいとさえ断言しましょう。 彼の名は「豊臣秀頼」です。 私も最近知ったのですが今までのイメージはマザコンの小柄でひ弱い若者だったのですが調べてみて一気に覆されました。先入観ってつくづく当てにならないと実感しています。
お礼
No.5の方のところにも書かせて頂きましたが、秀頼と二条城で会見した家康が回答者さんの仰るようなイメージを抱いていたところ、思いの外立派な体格で驚かされたという話は聞いたことがありました。しかし実際それほど大きかったとは・・具体的な数字で見るとやはり違いますね。父方よりも母方の影響が大きく出た結果なのかもしれませんね。ご回答ありがとうございました。
マンガにもなっている、前田慶次郎利太(とします)は、190センチ以上らしいです。 前田利家も180センチとでかいのですが、義理の叔父、甥で、血のつながりは、ありません。 身長は、残っている、鎧から、推定されるようですね。 豊臣秀頼も、かなり、大柄とのことです。
お礼
前田慶次郎が実際にも大男だったというのはイメージにぴったりきますね。別に傾かなくてもいるだけで目立ってしまう感じです。鎧から推定されるのであれば相当信憑性もありますよね。秀頼は二条城で会見した家康が「思いの外立派な体格だった」という感想を漏らしたと聞いたことがあります。ご回答ありがとうございました。
- a-koshino
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藤堂高虎が六尺二寸、長曾我部盛親が六尺あったそうです。
お礼
藤堂高虎は幼い頃同世代の中では身体が大きく相撲が強かったというような話を聞いたことがありますが、そのまま成長したんですね。長宗我部盛親もそんなに大きかったとは・・それでは寺子屋の先生に身をやつしていても目立ってしょうがなかったかもしれませんね。ご回答ありがとうございました。
- sabercat
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既に名前が出ていますが、戦国時代の人物で背が高いことで有名と言えば、私も斉藤義龍を思い浮かべますね。 本当かどうかは今となっては分からないでしょうが、身長が六尺五寸あったという伝聞はかなり有名です。マトモに聞けば195センチ以上あったことになりますが、さすがにそれは大げさだとしても、180センチを軽く越えていた可能性は大きいと思います。 当時の男性の平均身長は160センチに届かなかったとも言われていますから、いずれにせよその頃の人としてはべら棒に背が高かったのではないでしょうか。 他は浅井長政も、背が高い人物だという伝聞が多く残っていると聞きます。身の丈が六尺あったと言われますが、これも本当だとすればかなり大きいですね。 もちろん他にも色々な人がいると思いますが、私の知識では戦国大名の有名どころしか浮かばないので…。
お礼
確かに180センチもあれば今でも十分大きいですよね。その頃の建物のつくりでは鴨居に頭をぶつけそうになることもしょっちゅうありそうです。廊下ですれ違うだけでも威圧感がありますが、本当に怖いのは戦場で出会った時でしょうか。浅井長政は美男子だったというような話も聞きますが、長身でもあったんですね。ご回答ありがとうございました。
- sophy215a
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有名どころでは美濃の蝮と呼ばれた斉藤道三の嫡男の 斎藤義龍ではないでしょうか。 身長は六尺五寸(約197cm)あったと伝承されております。 また北条家のお抱え隠密であった風魔小太郎も有名でしょう。 身長はなんと七尺二寸(約216cm!!!)もあったそうです。 (注・風魔小太郎は代々の頭領の名前であり、実在したかは微妙) この二人に限ったことではありませんが、 いわゆる巨人症(脳下垂体から分泌される成長ホルモンの分泌異常) によりどの時代においても群を抜いた長身の人物はいたようです。 (有名な人物ですとジャイアント馬場などもそうです。) というわけで、 戦国時代の長身ツートップはこの二人でほぼ確定かと思われます。 お粗末さまでした。
お礼
義龍は父に似ぬ容姿と体躯であったことから「御落胤」話をより深く信じてしまったのではないかというような話を聞いたことがありますが、そんなに大男だったんですね。風魔小太郎はそんなにデカイんじゃ隠密に向かないだろうという感じですが、頭領なら現場で動き回ったりしないんですかね? 冗談はさておき実際風魔小太郎というのはどれくらい実在した可能性がある人物なのでしょうか。確かにそういう集団があってそう名乗っていた人物はいたらしいという感じでしょうか。 早々にツートップ候補を教えて頂きありがとうございました。
- y1y9y8y1a
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詳しい身長は忘れてしまいましたが、朝倉家家臣の真柄兄弟は巨躯の持ち主で、普通よりも長い太刀を使っていたと何かの本で読んだような気がします。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。朝倉家臣の真柄兄弟というと直隆・直澄のことですよね。確か彼らの刀だと伝わるものが熱田神宮にあった気がします。やはりあれだけの刀を使うに相応しい巨躯の持ち主だったんですね。
お礼
七尺五寸とは・・これまた大男がいたものですね。まるで山が動いているかのように感じられたのではないでしょうか。山中鹿助なども大きかったんですねえ・・ちょっと印象がかわったかもしれません。そういえばどこぞにあった鹿介の銅像、あれなどもそのような大きさで作ってあったりするんでしょうか。現代でも十分通用する大男が結構いるものですね。ご回答どうもありがとうございました。