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were to と単純動詞仮定法で、話者の想定している非現実性に違いは感じられますか?
If Japan were to develop nuclear weapons,... If Japan developped nuclear weapons,... この2つの文は同じと考えていいでしょうか?話者が想定している非現実性に少しでも違いは感じられますか?
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江川泰一郎氏の英文法解説(p.258)に、以下の記述があります。 'were to ~'が単一動詞の仮定法過去と交換可能の場合もあることはQuirk)の次の例文を見ても明らかである。 If she tried / were to try harder next time, she would pass the examination. (今後もっとしっかりやれば、テストに合格するだろう) 両者の相違点といえば、were to ~はやや文語調で、頻度が低いことくらいである 一方、杉山忠一著英文法詳解によれば were toは強い仮定を表し、(仮定法過去)よりさらにいっそう実現性の少ない仮定を意味する」と書かれています(p.299)。 つまり江川氏によれば、「were to」=「仮定法過去」であり、その差は「文語調」か否かと、「(使用)頻度」ぐらいであり、杉山氏によると「were to」>「仮定法過去」であり、前者のほうが実現性が少ないことを意味するということです。混乱しますね。 私はそれほど違いはないうように思います。もし、現実性を想定していれば、「If Japan develops ~」や「If Japan should develop ~」という表現になるはずです。この表現を避けて「were to develope」「developed」を使っているわけです。 したがって、話者が非現実性を想定していることは明らかです。それ以上に非現実性の程度を考えても実質的な意味はあまりないように思います。 ところで、仮定法について考えるのはとても面倒です。それは、「気持ち」の問題が前面に出てくるからです。「気持ち」の問題は結局、個人個人の問題です。たとえば、だれかが She is my wife. と言ったとします。内容は客観的なものですから、これにより聞き手は「彼女は彼の妻である」ということがわかります。しかし、 My wife is very beautiful. を聞いても、「この人の奥さんはvery beautifulである」ということはわかりません。「very beautiful」というのは、主観的な判断であり、「気持ち」の問題だからです。わかるのは、「話者は、自分の奥さんをvery beautifulだと思っている」ということだけです。あるいは、本心は別のところにあるかもしれませんから、正確に言えば「話者は、自分の妻はvery beautifulだと言いたいのだな」ということがわかるだけです。 「My wife is beautiful.と言った場合とMy wife is very beautiful.といった場合に、話者の想定している自分の妻の美しさに違いは感じられますか?」 「very」があるので、後者のほうが意味は強いと、一応は言えます。しかし、両者ともに「She is not (very) beautiful.」と言っているわけではない以上、それほどたいした違いはないように思います。ましてや客観的なことは、実際に拝見しない限り、いずれの表現でも判断できないわけです。 さらにこれを、「話者がveryをつけた場合と、つけない場合で、【聞き手】の感じ方に違いはあるのか?」と考えても、それは【聞き手】次第です。ここら辺を考えていると、 「私の妻が美しいと私が思っていると、あなたは思っていると、私は思って…」と眩暈がしそうになります。 仮定法の問題で混乱するのは、本来主観的な内容であるにもかかわらず、「表現形式」という「客観」から、その主観的な「気持ち」を「客観的」に判断しようとするからではないでしょうか。 ★自分でも何を書いているのか、わからなくなったのでやめます。