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蘇民将来

蘇民将来は備後風土記に記載があるように、備後地方の伝説に端を発するものと思っているのですが、どうして上田市や八坂神社などとつながりが出来たのでしょう?

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  • kigurumi
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回答No.2

興味を持って調べてみましたが、これといった決め手は発見できませんでした。 が、ひとまず 一つの情報として書きますね。 八坂の八。  この八がつくのはスサノオを祭ってある神社。 八坂神社は明治の廃仏毀釈運動で今の名前になりましたが、その前は祇園感神院だったようなんですね。 何故、備後の民話が八坂神社の方にもあるのか。 私の考えでは、中心が京に移ったから。 古代の日本の歴史は、記紀(日本書記と古事記)からしか知ることができません。 (一部中国の書物から知ることはできますが) 各地の伝承を整理したのが記紀ですが、その他に各地に風土記も残っており、3つの内容を見ると詳細になると違ってきている。 風土記が、その地方の伝承を残しているのかというと、それも怪しいのですが、日本の中央の思惑で作られた疑いのある記紀より信憑性は高いと思います。 前調べていて、倭国のあった時代に、日本という国があったと思わせる記録が中国の書物に残っているようで、日本という国は古代は、どこかの勢力が全国を統一して支配していたわけじゃあなかったことはわかりました。 連合国家であった大和朝廷は、地方豪族を取り込もうとして、大和朝廷を祀ろわない(服従しない)集団を蝦夷と呼んでいたらしいんですね。 (だから蝦夷とはアイヌ人のことではない。) で、古事記の三分の一は出雲一国の神話で占められている。 古代大和王権にとって最大の政治的・宗教的テーマは、巨大な武力と経済力、進んだ文化を保持している出雲王国の支配だった。 そして、何かがあって取り込んでしまったと思えます。 蘇民将来の話が残っている備後風土記も、大和朝廷に取り込まれる前にそこらの地方にあった民話だと思うし、スサノオのモデルになる人物も実在の人物だと思うし、彼は大陸から来た勢力のリーダーだったとも思えます。 農耕と鉄の技術を持った進んだ集団だったと思います。 が、大和朝廷に数でやられてしまったのかもしれない。 大和朝廷は宗教的なものも取り込んでしまい、自分達の文化にしてしまったのではないかと思います。 そこも支配下においていたが、中央を近畿地方に移すことになり、それで宗教的なものも近畿に移したのではないかと思います。 で、禰宜が鴨しょって が起こり、禰宜は神職の肩書きで、鴨は加茂氏で、加茂氏は神職を一手にやっていた氏族で秦氏の中の神職担当で、全国にその宗教を置いて支配するため、加茂氏が禰宜を連れてやってくることになった。と。 だから各地にスサノオの民話がある。 じゃないかと。 で、中央が近畿に移ったので、八坂神社となった神社がそのトップになったんじゃないかと。 伊勢神宮も松尾大社ももとは中国地方(山陽山陰地方)にあったものが、中央が近畿に移ったため、今の場所になったと思えます。 取り込んでしまったが、祟られてしまったので、こりゃいかんと場所を移動していって、今の場所になってやっと祟りが収まったとなったみたいです。 取り込んで乗っ取ってしまった?? 出雲大社の神は大国主神だったそうで、八口を平定したと風土記には記されているようなんですね。 八口? ヤマタノオロチ? スサノオが退治したことになっているが。 スサノオの勢力が大国主の勢力を平定した??? 記録では大国主が引退表明したことになっている。 が、すんなり引き渡したのか? 何故か出雲大社では、他社とは逆向きにしめ縄がかかっている。 しめ縄は結界の意味もあり、大国主の祟りを封じ込めた という話もあるんですね。 (もちろん出雲大社の宮司は否定しているらしいですが) 尚、蘇民将来の話を聞いたとき、思い出したのが、ユダヤ教の過ぎ越しの祭り。 内容がそっくりです。 だから蘇民将来という名前なのか、、、とも思ったほどです。 そして、古事記の創世記の部分、ユダヤ教の創世記の部分と似ている。 これはもう 歴史というより古代 日本に渡ってきた人が自分達の民族の伝承を集団で維持して住んでおり、それを連合国家として取り込んだ大和朝廷が日本の歴史して利用したのではないか、、、と思えます。 記紀の内容。 全くの嘘ではないでしょうが、異国の話と土着の話が混合してしまっており、勢力を持ったものが、目的を持って記紀を作ったのではないかと思えます。 そして古代の勢力争いが少しわかる。 記紀や古事記を見ると、矛盾が見える。 片方ではいい人で、片方では乱暴者扱いで書かれている。 ある思惑があり作られた書物には、当然 自分達の都合の悪いものは、悪者としてかかれるんですよね。 それを踏まえながら読むとおもしろいようです。

soramist
質問者

お礼

大変面白い推論でした。

  • DieMeute
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回答No.1

蘇民将来に出てくる宿を乞うた旅人(老人とか武塔神とか言われている人)の正体は「須佐之男命」であったと言われています。そして「須佐之男命」は仏教では「牛頭大王」と同一視されています。 その為、「須佐之男命」や「牛頭大王」を祀った神社、お寺では蘇民将来にまつわる祭りや厄除けの茅の輪を扱っているところが結構あります。神奈川や岩手にもあります。 八坂神社や上田市もそうしたつながりではないでしょうか。 八坂神社の創建には諸説ありますが、その初めは「牛頭大王」を祀った神社であったそうです。 上田市では信濃国分寺の蘇民将来が有名ですが、ここは土着の民間信仰としてあった蘇民将来を創建時に取り入れたと聞いています。 今のように医学が発達していない大昔の人々にとって、疫病は非常に恐ろしいものだった筈です。そうした中で蘇民将来の話の茅の輪を使った「疫病除け」は、人々にとって一つの希望、助け、ではなかったかと思います。その為、各地に広がっていったのではないかと思います。 また、これにプラスして信仰、信者を集めたい地方にある神社、お寺が蘇民将来の話を扱うようになったのではないかと思います。

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