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「蘇民将来符」の授与元と門口に掲げる地区を教えて

  退職後、伊勢志摩を旅行した折、1年中、厄よけの「蘇民将来符」を付けた、しめ縄を門口に掲げている家を多く見かけ、大変興味を持ち、いろいろと調べるようになりました。ネットの「八日堂蘇民将来符」・「客神の足跡」・「蘇民将来 wikipedia」の全国資料以外で、付与元の社寺や護符(木製・紙製)を門口に掲げている(あるいは、掲げていた)地域・地区をご存じの方が有れば、是非ともお教え下さい。   ネットで2ヶ月間検索し、栃木県茂木町・稲城市・小金井市・豊田市・鳴門市・出雲市・熊本市・隠岐等にも存在することを知りましたが、ネットでの検索は限界に達しました。   最近の旅行中、岡崎市内の民家の門口で偶然にも護符を見つけ、該当の神社で配布開始年代やその切っ掛け、配布範囲等をお聞きし、資料も頂戴しました。   蘇民将来信仰は、平安時代にまでさかのぼる民間信仰ですが、まだまだ全国に数多く残っていると思われます。新たに判れば、そちらへの旅行を計画したいと思いますので、よろしくお願いします。  

みんなの回答

  • cat96-76
  • ベストアンサー率21% (10/47)
回答No.1

京都の祇園祭りの始まりはは、1100年前の東北大地震に起因して貞寛11年に 当時の国の数66基の矛を立てて鎮魂と悪霊退散を祈念してのこと。 現代では、32基の山鉾で厄除けの粽(ちまき)と護符が用意されます。 八坂神社と各山鉾町の粽には 我は蘇民将来の子孫也 と書かれています。 宵山の日に、山鉾をその粽をもとめて巡り 持ち帰りて玄関に掲げるのが 現在に1000年以上続く祇園祭りの主体です。 

masawah19
質問者

お礼

  回答頂き御礼申し上げます。私は生粋の京都人で、祇園祭のことは一応承知しております。実は32基の山鉾の全ての粽に「蘇民将来子孫也」の護符は付いておりません。例えば、綾傘鉾の場合、大原神社の護符を付けています。なお、33基目となる、3年後の巡行復興を目指す大船鉾では、昨年より護符を付けて従来の粽を頒布しております。  蘇民符を授与する全国の有名社寺は、HP「客神の足跡」、HP「蘇民将来符-その信仰と伝承-」でほぼ把握しております。それ以外で全国区ではない社寺や地区を探しております。豊田市足助神社、隠岐郡知夫村の具体的事例は知人から知りました。岡崎市神明宮の護符は自分の足で見つけました。その他、徳島県美波町・牟岐町の事例は、徳島県立博物館のHPで承知しております。その他今宮神社・北岡神社・大杉神社・八雲神社、悪石島はHPで確認しております。地方に埋もれた「蘇民将来符」や「蘇民信仰」の残滓を追い求めています。  とりあえず、ご回答頂きましたことには、御礼申し上げます。

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