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あなたの眼から観える日常や世界は現実といえますか?

あなたの眼から観える日常や世界は現実といえますか?

みんなの回答

noname#25297
noname#25297
回答No.8

哲学における“現実”とは“現に存在しているもの”と定義されております。つまり、現に存在しているものを“認識”する概念を“現実”といいます。 さて、ご質問を勘違いしていたようです。 「・・・眼から観える日常や世界は現実といえますか?」 「自分の見ている世界は、真の姿をとらえていますか?」 これは 「現実を真実の姿として正しく“認識”しているか?」 ということだったんですね。 “真の姿”が“現実”として事実存在するかどうかはともかくとして、先にも述べたとおり、実態のあるものは無く、すべては仮の存在なわけですから、わたしの場合は“実相”を“実相”として“執着”しております。 ・・・いい質問ですネ。哲学にはよくありますが。  ANo.4 でした。 ゴキゲンヨウ!!! (^^)v

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >哲学における“現実”とは“現に存在しているもの”と定義されております。 >現に存在しているものを“認識”する概念を“現実” そうなんですね。なるほど。 >「現実を真実の姿として正しく“認識”しているか?」ということだったんですね。 そうです。 >実態のあるものは無く、すべては仮の存在なわけです 実に、シンプルであり、意味深な存在。ですね。 追加でご回答して下さりありがとうございました。<m(^_^)m>

  • adwd
  • ベストアンサー率19% (11/56)
回答No.7

今、私の眼に見えている世界があります。そして、それは夢の世界とは違うリアリティを持っています。この生々しく見えている世界を人々は「現実」という言葉で呼び習わしているだけです。 「現実」とは実際にあるものではありません。“概念”です。現実そのものはどこにもありません。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >この生々しく見えている世界を人々は「現実」という言葉で呼び習わしているだけです >「現実」とは実際にあるものではありません。“概念”です。 >現実そのものはどこにもありません。 新しいご意見ですね。 なるほど。 まわりを見ている私自身の意識だって、統合された上に出来上がったものだし、実にうやむや、あやふやなものだと思っています。 う~ん。またまた考えそうです。これは。 ありがとうございます。

  • sekisei
  • ベストアンサー率38% (94/246)
回答No.6

暇つぶしにこういうの考えるのが好きです。 回答ではなく補足要求なのですが・・・。 個人的にはこの問いにあいまいな点があると思っています。 質問者様の問いを少し言葉を変えると”自分の見ている世界は現実と同じか”になると思いますが、この質問文中の”現実”の内容があいまいに思えるのです。 また”現実”について未だに私たちは厳密な定義ができていないのではないでしょうか。 哲学的な”現実”も私はよく知りませんがたぶんいろんな説が出てるのでは無いかと思いますし、物理的にもまだまだ完全にはわかっておらずに研究中だと思います。(あと社会的現実もありますね) もし質問者様が質問文に使われた”現実”に質問者様なりの定義があったのならそこを質問文に記載されないと回答もできにくくあいまいなものになります。 質問者様の思われていた”現実”をある程度お教えいただけますか。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >問いにあいまいな点があると思っています。 あるかもしれません。すべてのわからないことは、うやむやな内から始まると思っています。 >”自分の見ている世界は現実と同じか”になると思いますが、この質問文中の”現実”の内容があいまいに思える あいまい。そうかもしれません。う~ん。 「自分の見ている世界は、真の姿をとらえていますか?」 に、なるのかなぁ。 >”現実”について未だに私たちは厳密な定義ができていない >たぶんいろんな説が出て そうかもしれません。各人個々あるのかもしれません。 >物理的にもまだまだ完全にはわかっておらずに研究中 そうですよね。物理の分野でもわかってないことがたくさんあって、それがどれ位あるかは誰も知らないでしょう。 質問をしたつもりが、輪郭すらできていなかった事をご指摘頂きありがとうございました。 でもなぜか、私の思考パターンっていつもこうなんですよね。www。

noname#155689
noname#155689
回答No.5

> 主観は、目の前で起こっている、又は、周りでおきている事に対して、  真意を得たとらえ方が出来ていそうですか? > 真実の現実は、御都合や先入観や思考によってバイアスを受けたものでは決して無くて、  それ以前の何の介入も全く無い状態そのもののことをいう 現象に対して「真意」や「真実」があるという前提が すでに勝手な思い込みではないかと思います。 豚が「美味しい」のは私にとって「真実」ですが 豚にとっては「関係ない」ことです。 あれ?例えが変ですかね(お腹がすきました)。 現実とか真実というのは「誰(何)にとって」という視点が入ってこないと 意味をもたない(ただ、在るだけ)と思うのですが。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >現象に対して「真意」や「真実」があるという前提がすでに勝手な思い込みではないかと思います。 なるほど。削ぎ落としていくと、実はそうであるのかもしれません。し、そうなんでしょう。 全ては、然りそのまんま。介入の無く残されたそのまま。然り。 ふむふむ。ありがとうございました。

noname#25297
noname#25297
回答No.4

般若思想(インド哲学)では“実体のあるものは無い。すべては仮の存在である。”とされます。 つまり、“目の前で起こっている、又は、周りでおきている事に対して、そもそも真意はない”ということになります。 主観で見ることを“執着(しゅうじゃく)”といいます。 しかし、“真意は無くても、真実の姿ではある”ということになっていて、これを“実相”といいます。 空想ではない以上、すべては現実です。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >“実体のあるものは無い。すべては仮の存在である。” >“目の前で起こっている、又は、周りでおきている事に対して、そもそも真意はない” のご紹介に対し、 >主観で見ることを“執着(しゅうじゃく)”といいます。 >“真意は無くても、真実の姿ではある”ということになっていて、これを“実相”といいます。 なるほど。ど、おもいました。 真実の現実は、御都合や先入観や思考によってバイアスを受けたものでは決して無くて、それ以前の何の介入も全く無い状態そのもののことをいうということでしょうか。 考える余地を与えてくださり、ありがとうございます。

  • bababa8
  • ベストアンサー率17% (5/29)
回答No.3

こんにちは。 「物体が有るのか無いのかを問うのは無益な事である。」(D・ヒューム) この言葉から、貴方なりの答えを導き出して下さい。懐疑主義の渦に陥らない様に気を付けて下さいね!?

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >「物体が有るのか無いのかを問うのは無益な事である。」(D・ヒューム) 意味深遠な言葉ですね。皆様には、様々な角度からご指南を頂けて嬉しいです。考える手立てにしたいです ありがとうございます。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.2

>あなたの眼から観える日常や世界は現実といえますか? 観えるにしろ見えるにしろ、見えているものが現実なの です。それ以外の何を現実というのですか?

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >観えるにしろ見えるにしろ、見えているものが現実なの です。それ以外の何を現実というのですか? むつかしいです。 ありがとうございます。

noname#79085
noname#79085
回答No.1

(1)今、現に事実として存在している事柄・状態。  「きびしい―を直視する」「理想と―との違い」「―に起こった事件」 (2)〔哲〕 現に事実として与えられていること。また、そのもの。  (ア)理想に対してその素材や障害となる日常的・物質的なもの。現状。  (イ)現に存在し活動するもの。想像・虚構や可能性ではなく、現に成り立っている状態。実際の存在。実在。 (3)実現すること。  「光明より流れ出づる趣味を―せん事を要す/野分(漱石)」  〔actuality; real などの訳語〕 以上ウィキからのコピーですが、哲学(2)に沿って考えるならば「言える」 畑違いですので、薄っぺらな回答ご了承下さい。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >(イ)現に存在し活動するもの。想像・虚構や可能性ではなく、現に成り立っている状態。実際の存在。実在。 現実って、実際に起こっている事に対するその人の主観を言うのかなぁ?良くも悪くも関係なくも。 質問の仕方が悪かったのかもしれません。 「主観は、目の前で起こっている、又は、周りでおきている事に対して、真意を得たとらえ方が出来ていそうですか?」 と、質問内容に付け加えようかな。どうしようかな。 ありがとうございます。

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