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『意識』という桎梏(しっこく)
真剣に悩んでいることがあり、相談させていただきます。 心理学、ということで、どうすれば「意識」というものをしないようにできるのか。 私はどうしてか、活字を追うときに、目の動きが鮮明に意識されてしまうんです。そればかりが、目にかかる力の負担が頭や鼻にかかるのも感じてしまうみたいで、読書が苦痛になってる次第でして、どうすれば意識という桎梏を克服できるのか、教えていただきたいのです。 目の動きというよりかは、文字の読み方を意識しているのでしょうか。前に、どういう風に読めば、より読みやすく正確に読めるか、という研究っぽいことをしていたせいもあり、それが常に離れないのです。 読み方というものばかりが意識されます。 しかも、それがかなりの目や鼻に負担をかけています。 (意識して読んでると、鼻が少しずつ痛くなってくるのがわかります) 昔はそんなことに悩ませられることもなかったのですが、最近からそういう状況が続いていて、藁にも縋る思いです。 読む、という一連の行為に執拗になっていたこともあって、余計に意識してしまうきっかけになってしまったのですが、もう、こんなに苦しむのはイヤなんです! だから、意識しまいと、自然に目の動きや読み方などを意識しないで読書できるようにと振舞うのですが、振舞えば振舞うほど立ちはばかるように意識されるんです。 どうか、助けてください! 1人でも多くの方からのアドバイスをお待ちしております。 お礼・補足は随時致します。
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質問者が選んだベストアンサー
なるほど…読書するのが好きなんだけど、その時に、読むという行為自体が気になったり、目や鼻が痛くなったりして、困っているのですね。 心理学でいう「意識」とは 1)「見る、聞く、覚える、考える」などをして自分や周りを監視すること、 2)自分の行動や認知を開始-終了できる様に自分や周りを制御すること ということらしいのです。 よくよく考えてみれば「意識」って、とても重要な役目を担っていますよね。(内面・外面の活動をうまくやるために監視とか制御とか…) でもtype19さんの場合は、なんていうか意識が強すぎてしまって、音読とか読書自体がうまくいかないということですよね? それでアドバイスなんですが、もうちょっと「読み方」や「音読ができないこと」に割く意識の割合を減らしたら良いんじゃないでしょうか。 例えば、僕はよく家で本を読んでいて、いろいろ気になって集中できないことがあります。そういうときは電車の中やカフェ、図書館など人が多い所にいって読むようにします。そしたら、周りの多くの情報に意識が割かれるため、かえって集中して読書できるようになります。 あともう一つ経験から、あまり百点がとれないということを悩まない方がいいと思います。課題があるのに「本に書いてある内容が全然わからない」「内容すぐ忘れちゃうよ」って悩んで「どうしよう、どうしよう」ってなって、結局、課題が出せなかったことがありました。ということです。 質問者さんは、作者の世界に浸りたいっていう思いを持っているのですよね。それが文学の醍醐味ってやつですね(僕はあまり本読む方じゃないので、勝手に言ってますが…)。なので、そう思って読んでいるのに、読んでる最中に「意識」という桎梏に縛られて、その世界に入り込めないのは本当に困る。だから現段階でその様に読めないのであるならば、読めるようになるまで他の作品を読むなどすればいいんじゃないかと思いました。
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- tenntennsevengoo
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ん~心理的な問題じゃないかもしれませんね。 神経的な問題かもしれません神経科にいってみては?
失明したと読書をあきらめる。 それでも読書したいときは、点字をマスターする。 それが面倒なら、これまでどおりの苦痛を伴う読書だったとしても、 自分の目で読める幸福をかみしめる。
昨日回答したものですが、もう一度書き込みますね。 私も本が好きなので何冊もバッグの中に入っている状態です。 読書をするという行為がそんなに苦痛なら、やはり少し本を読むことから離れる方がいいのではないですか? 昔はそんなことに悩むことは無かったのなら、体の機能に問題があるというわけでも無さそうですし、、、。 違う時間の楽しみ方をして過ごす。 楽しみ、知識を得ようとして読書しているはずなのに、 本を読むことで違うストレスを得ているのではないですか? リラックスしている自分に、意識しない自然に読む等、暗示をかけてみたり、そして落ち着いたら、また読んでみてください。 それでも駄目なら、私のアドバイスでは効かないんだとおもいます。 力になってあげたいですが、これくらいの事しか言えないみたいです。
>type19さんへの続き< 自分を知っておられる貴方なら少し、自然と戯れてみられたらいかがでしょうか? 少しお疲れのようですね! もし貴方に少しの時間があれば下記のようにすることがいいと思います。 ☆1000年以上前の中国で今の宗教の原型だろうといわれる・・・ 「諸縁吉祥福普天」 ・・・と言う事をことを言われた方がおられました。 その意味は、世の中で良いと言われる縁のなかに入ればあまねく天より幸せが舞い下りてくると…簡単に言えば人間は自然に頼る時は、自然に聞けと言うことでしょうか? そうすれば今の苦しみから逃れられると思います。 良くなれば又、普通の生活に戻ればいいのです。
回答が少しずれますが人間の体は順調に動いていれば、自分の体の中の事を感じさせない仕組みになっているらしいです。 たとえば走ると心臓の鼓動がはっきりと感じられますね! 人間の神経の仕組みは簡単なようで複雑だそうです。 例を上げて話をします。 私は心臓神経症で35年間も苦しめられた不安な毎日を過ごしている時に生活習慣病にかかり半身不随で社会復帰して頑張っています。 病気になって今までの生活習慣が変わったらその苦しみもなくなりました不思議ですね! (勿論、私を真剣に調べ手貰って→交感神経と副交換神経の切り替えが普通の人より悪かったみたいで→簡単な処方箋で抑えることが出来るようになりました) →貴方も信頼できる精神内科の先生の診察を受けてみることですね!
補足
そうだったのですかぁ~ 凄く深刻そうですね。 でも、良かったですね! すごく、タメになりました。 >人間の体は順調に動いていれば、自分の体の中の事を感じさせない仕組みになっているらしいです。 それは存じています。 「身体、この遠きもの」という本を読んだときに学びました。 そこでは「正常に機能していれば、素通りされる透明なものとなり、逆に齟齬といった乖離状態のような綻びがあれば、それは立ちはばかり、故に随意に動かすことができなくなる」ということが書かれていました。 だから、裏を返せば、きっと私の文字を読むスタイルにも問題があるのでしょうか。 なら、どうすればいいのか。 問題はそこなんですよね。 でも、物理的に読み方を変革するのは、それこそ無意味だと前に言われたことがありました。 本来楽しむものなのでしょうから、作者の創造す世界に酔いしれる。 それこそが読書の醍醐味。 なら、私はどうすればいいのでしょうか。
- tenntennsevengoo
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なにか問題をかかえていますね? 本の読書に夢中になれないんですね。 無理して読書しようと考えていませんか? 森田診療法をしてみては?
補足
調べてみたのですが、森田診療法というものがイマイチ理解できないのですが、一体、どういうものなんでしょう。 解決に繋がればいいのですが。 >無理して読書しようと考えていませんか? 読書はプロフィールにもあるとおり、趣味なんですよ。 でも、最近は趣味が出来なくなってしまって、必死に足掻いてる感はあるのですが。 趣味から義務になっているところもありますし。 でも、読書は好きですし、こういう辛辣な問題も解決して、普通に本の世界を堪能したいと渇望しています。 詳しくは#2の補足に書かれてますが、どうも頭の中で音読できないんですよ。 みなさんはやっぱり、頭の中で声に出して読んでますか? すごく疲れません? でも、逆をいえば、視読するよりも、内読した方が読みやすいんですよ。 速読の罠です。 声に出さないということは、それだけ神経を使いますし、目だけで文字を捉えようと、神経質になってしまい、結果、目とかに負担がすごくかかるのですから。
なんだか難しいことになっているんですね。 読んでいる自分の動きが気にかかって、本の内容が頭に入ってこないので困る、という解釈でいいのでしょうか? そんなときは、まったく違うことをして気分転換をしてはどうでしょうか。 あとは、鏡の前で本を読んでみたりしたら、自分の読書している姿がどんなのか分かって安心しないでしょうか?どうでしょう。
補足
>読んでいる自分の動きが気にかかって、本の内容が頭に入ってこないので困る、という解釈でいいのでしょうか? ちょっと違いますね。 正確には、読んでいる自分の動きが気にかかって、本の内容を捉えようとすると同時に、その身体的な負荷が、直接意識という桎梏の元に立ちはばかるというべきでしょうか。 内容そのものは普通に入ってくるのです。しかし、目の動きなどに意識が向いて、なかなか集中できないのは事実ですが。 語弊がないように言っておきますが、最近は目の動きよりも、鼻にかかる負担の方が意識されてます。 読むときにかかる圧力が鼻を内側から外側に押し出すようにかかってるみたいで、結構、くるんです。攣(つ)ったようにもなります。 これが最大の敵です!
- futoshi123
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森田療法はどうでしょうか?
えーとですね、文字を一字一句心の中で声に出していませんか? その為に正確に見ようとして目に力が入るのではありませんか? 私は速読を習い(途中でや止めましたが)覚えたのが読むのでは無く、視るという事で心の中で声にして読まない事です。訓練したら、今から読むぞーと思って視たら文字が頭の中に入っているそうです。そこに達する前に止めてしまったので確証はありませんが。 それと私が自然と身につけた方法ですが、文字を絵(イメージ)として捉え読む事です。目と芽、鼻と花、歯と葉、字を見ただけで大体分かりますし、視たらもっと正確に区別把握できると思います。 先ずは読むという行為をやめ見ることから始められては如何ですか。慣れたら視るに入られてはどうですか? 一人で難しかったら速読勉強されてみては? 見と視の区別調べましたが詳しくは載っていませんでした。見はなんとなくみて、視は意識してみると記憶しています。
補足
>文字を一字一句心の中で声に出していませんか? ええと、逆なんです。 私、頭の中で声が出せないみたいなんですよ、どうしてか。 無理やり音読しようとすれば、これまた音読しようという意識が妨げになって、綻びが出てくるというか、疲れてしまうんですよ。 でも、逆にいえば、音読だけに意識していえば、他の要因を意識しなくても済むのかもしれません。 文字は「読む」のではなく「見る」。 実は私も以前、速読をしていたのですが、中途半端にやめてしまって、その名残がかなり、意識の要因になってるのだと思うのですよ。 速く読むことよりも、どうすればより読みやすく視点の安定した読み方が行えるか、ということを意識していたので。 それで、こんな風におかしくなってしまったのですが。
- kobarero
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色々な回答があると思いますが、私の回答は多分ちょっと変かも知れませんが、次の2つのことです。 (1)生きていく上での「具体的」な目標を持つこと(大それたことでなくても良いです)。 (2)意識という桎梏を一生背負い続ける覚悟をすること。 「意識という桎梏」は「重い荷物」と考えます。重い荷物を背負っていても、具体的な目標があれば、よたよたしながらでも、一歩一歩、前に進むことはできます。それが自分の人生なのだと覚悟することです。目標達成に意識を集中すること。これが肝心です。
お礼
そうですね、確かに仰るとおりです。 やっぱり受け入れるという努力も必要なのでしょうか。 でも、趣味で本を読むということに、桎梏を抱えたくはないんですよね。 本来は楽しむはずのものが、苦痛だなんて皮肉なものです。 やっぱり、こういう感覚も慣れるものなんですかねぇ。
お礼
すごく、参考になりました。 今、学生なのですが、朝の行事で、朝読書なんてものを実施されているんですが、みんなで読んでいると、どうしてかあまり意識されずに読めるんですよね! それは単に15分という短い時間だから読めるのか、とか自分で思っていたんですが、いわれてみると、そういった理由なのかもしれません。 なんだか、答えへのヒントと端的にいただけたような気がします。 本当に感謝しています。 だんだんと答えが見えてきたかもしれません。 あれですよね、やっぱり意識に対抗するには固執にないようにするしかないのでしょうか。 でも、それってわかっていても、なかなか難しいことなんですよね。 だからこそ、gokkoさんの意見が参考になったんですが。 ありがとうございました!! しつこいようですが、感謝で胸が一杯です!!