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目を合わせてくれない
私の主人は、二人でちょっと真剣な話をする時や、 私が主人に対して本心を問うような時など 私の顔を見ようとしません。 とりわけ、ちょっとした感情の縺れを解消するべく 腹を割って話したいと思っているときに、よくそうなります。 なぜこちらを見てくれないのかと聞いたら 見る必要が無いからだ、とも言われました。 目の動きや顔の表情から本心を悟られたくないから? と私は踏んでいるのですが、 心理学では一般にどういう理由でこうなるのでしょうか。
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参考にしてください。ひとは自分の頭の中に一つの世界を持っています。普段は外の世界と重なっているので二つは一つと考えています。結構ややこしい話なのですが、頭の中の世界は主観的、外の世界は客観的という表現をします。主観的世界でその人は独裁者です。これは孤独ということにもなりますが反面思うとおりに世界を動かせます。これは普通、空想とか夢想〔あるいは妄想?)と言われるものです。ところが目は心の窓という言い方の心理学的根拠なのでしょうが、他の人に目を見られると独裁者は幻のごとく消えてしまうわけです。このことはこの独裁者にとっては大変なことですから眼をそらせたり、笑ったり(別の質問で、何故人は笑うのかという質問に対する答えとして私は侵入者を追い出すためではないかと答えたのですが、いま改めて考えてみると、相手の眼を凝視しながら笑うことは不可能であることに気がつきました。もし眼を合わせようとすると顔は笑っているが目は笑っていないという別の意味を持つ状況になります。つまり笑うと相手の視線を避けることにもなりますが、同時に相手の世界から退去することにもなるので、御互いほっとするのではないかと思いました。)して会話を続けようとします。眼と眼が合うというのは真剣勝負の相打ちのようなものですから普通の会話では時々相手の世界に入りこんで自分の意見を相手に植え付けると直ちに退去するというようなことをやっているのだと思います。 恐らくご主人は笑わないのではないでしょうか。まじめな方でしょうが、自分という存在のはかなさを熟知している繊細な神経の持ち主なのではないでしょうか。あなたに眼を見られると自分が生息している世界をあなたに占領されて自分は追い出されたような感じになるのではないでしょうか。逆にいえばあなたの意見を自分の世界のこととして受け取るためには眼をそらすことによってあなたの侵入を防がなければならないのではないでしょうか。ご主人は穏やかな方ですから目を見る必要がないという表現をされますが、実は眼があったら会話の話題はあなたの話題になってしまって御主人のものではなくなってしまうのではないですか。だから眼を合わせないのは自分の問題として考えたいというご主人の誠意の現われなのではないでしょうか。視線で射殺すというのは心理学的には文字どおりなのかもしれません。最も無視するという殺し方もありますが、これは別の話でしょう。
お礼
>自分という存在のはかなさを熟知している繊細な神経の持ち主なのではないでしょうか そうですね、自分に無関心のように見えますが、 それはある種の諦めのようにも思えます。 けれども、いろいろな物事に対して確固とした考えをもっており、常に自分で考えいますし、とりわけ、考え方の強制を拒みます。全体主義なんて大嫌いです(って、好きな人もいないか)。 これを考えあわせると、 >自分の問題として考えたいというご主人の誠意の現われなのではないでしょうか というのは大変納得の行くご指摘です。 他にも大変参考になる分析が多く、 うれしくなりました。 ありがとうございました。