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最新の南京大虐殺の犠牲者は何人という意見が有力なのでしょうか?
日本の南京大虐殺研究の第一人者の笠原十九司氏は1997年に発行した著書の岩波新書「南京事件」にて 南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。 と述べております。 この笠原氏の著書が発行されてからかなりたちますが、現時点での最新の南京大虐殺の犠牲者数は何人という意見が有力なのでしょうか? 私の知る範囲の南京大虐殺の犠牲者数に関しては、2005年7月21日の人民日報(http://j.peopledaily.com.cn/2005/07/21/jp20050721_51967.html)では「日本軍将兵は南京城内で無差別な放火・殺害・暴行・略奪を繰り広げ、暴虐極まりない反人道行為を犯した。(中略)その数は30万人以上に達した。」とあり、 また、笠原氏はSAPIO1998年12月23日号で 拙著「南京事件」(岩波新書)・「南京難民区の百日」(岩波書店)を読んでくだされば分かるように南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが場外、郊外長江岸でおこなわれたのである。 とあるので、笠原氏の主張する南京城外の犠牲者数と人民日報の主張する南京城内の単純計算して、「犠牲者は50万から60万」という意見が有力なのでしょうか? しかし、よく耳にするのは「南京大虐殺の犠牲者数は30万人」という意見がほとんどです。 最新の犠牲者数に関する意見とその意見が載せられている本やホームページがあれば教えてください。
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- Mumin-mama
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ゆーちゅーぶで下を検索してみてください。 南京保衛戰 (抗戰真實記錄影片)
- yamamoto_p
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もう議論は出尽くしていますが、私にも言わせて下さい。 まず誰を信頼するかという問題ですが、歴史家の中では秦郁彦が圧倒的に信頼できます。それは南京事件以外の著書も見れば明らかです。秦だけが精度が高く、なおかつ右にも左にも寄ってません。 まず「南京大虐殺」と言った場合、それは中国(と日本の一部学者)が主張する「日本軍が民間人30万人を虐殺した」という事件であって、捏造です。犠牲者数を云々する前に、民間人の大量殺害をした事件は存在しません。 それに対して秦郁彦などが呼んでいる「南京事件」は捕虜を大量殺害した事件です。秦によると、南京城内外の20万の死体のうち、殺害された捕虜が3万、民間人が1万となっています。 民間人は日本軍と便衣兵との戦闘に巻き込まれたか、便衣兵と疑われて処刑されたか、あるいは一部の日本兵が不逞を働いたケースもあるでしょう(あるいは中国兵による暴行殺害も考えられます)。 しかしこの事件は、飽くまで捕虜を殺害した事件と考えるべきです。もちろん、便衣兵だからといって手続きもなしに処刑していいはずがなく、違法です。ちなみにそれ以外の死体は戦死です。 日本軍と中国軍との間で第二次上海事変という、かなり大きな戦いがありました。その戦いによる犠牲者がほとんどです。
- suguru726
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秦郁彦氏が『南京事件』を書いた以降、あるいは笠原氏が同名の著作を書いた1997年以後、日本の歴史学者が被害者数を大幅に変更したり、推定の幅を狭めるような決定的資料は出て来ていません。このことは中国においても同様です。 人民網日本語版の記事は記者が書いたのであり、かならずしも学問的に正確な見解ではありません。旧世代の歴史家、孫宅魏氏や新世代の張連紅氏にしろ、南京市の範囲で30万人が殺されたという認識であり、南京の城壁内において殺害されたものが30万人であるとは言っていません。一方、笠原氏が考える南京事件の範囲は南京特別市です。 日本の「市」が中国では「城市」であり、中国語の「城内」はしばしば日本語の「市内」を意味することがあります。南京では当時でも南京市内=南京城内ではなかったのですが、記者はそこのところがよくわかっていないようです。 笠原が「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが城外」と言っているのは、否定派が城内で30万人も死体がない、などと見当違いの否定論を述べ立てるのに対して注意を喚起したものであって、城内の虐殺死体が数千、万単位に達していないという意味ではありません。ちなみに二つの主要な埋葬団体である、紅卍字会と崇善堂の城内の死体の埋葬数の和は9342名です。また、第16師団はユウ江門から近い範囲で掃討を繰り返し多数死体を城外に搬出しています。 もう一点、pen2007さんの「笠原氏が、南京城内における被害者数は数万どころか数千もいなかった、と主張している」という理解には問題があります。城内から中国軍敗残兵の疑いでおそらくは数万人の中国人が連行され城外で集団殺戮されています。殺戮は城外であっても、もともと城内の住民であったものが多数含まれています。城内における死体数は先に挙げた通りですが、城内にいた市民の被害は9000名にとどまりません。 被害者数の推定には埋葬団体の埋葬数が基礎的な資料となります。両団体の埋葬が合わせて15万5000人、それ以外の埋葬団体のものも合わせると19万人になります。ただし、いったん簡易に埋葬されたものが再び表土が流れて露出したものを再埋葬したものなどもありますので、一般に両団体の計がよく使われます。この他、農村部では自分の家族や、村の被害者などを自分の手で埋葬したものもあったでしょうし、日本軍も少数は焼却、埋葬したと見られますが、その数は不明です。この他に揚子江に逃げている市民などが狙撃されたり、揚子江中に投棄された市民、元兵士が、数万人単位であると考えられます。 中国側推定では揚子江に投棄されたり、焼却された死体を19万人と見ており、埋葬されたもの15万人と併せて34万人とし、固い数字として30万人としています。日本の歴史学者との違いは投棄・焼却の数字をどう見るかの違いとして見ることができます。日本軍の資料は中国軍兵士の虐殺に関する情報は充実していますが、民間人の虐殺数に対する情報は少なく、中国側における調査・研究が進まないとこれ以上の進展は見込めない状況です。
- suguru726
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秦郁彦氏が『南京事件』を書いた以降、あるいは笠原氏が同名の著作を書いた1997年以後、日本の歴史学者が被害者数を大幅に変更したり、推定の幅を狭めるような決定的資料は出て来ていません。このことは中国においても同様です。 人民網日本語版の記事は記者が書いたのであり、かならずしも学問的に正確な見解ではありません。旧世代の歴史家、孫宅魏氏や新世代の張連紅氏にしろ、南京市の範囲で30万人が殺されたという認識であり、南京の城壁内において殺害されたものが30万人であるとは言っていません。一方、笠原氏が考える南京事件の範囲は南京特別市でかなり広範囲です。 日本の「市」が中国では「城市」であり、中国語の「城内」はしばしば日本語の「市内」を意味することがあります。南京では当時でも南京市内=南京城内ではなかったのですが、記者はそこのところがよくわかっていないようです。 笠原が「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが城外」と言っているのは、否定派が城内で30万人も死体がない、などと見当違いの否定論を述べ立てるのに対して注意を喚起したものであって、城内の虐殺死体が数千、万単位に達していないという意味ではありません。ちなみに二つの主要な埋葬団体である、紅卍字会と崇善堂の城内の死体の埋葬数の和は9342名です。また、第16師団はユウ江門から近い範囲で掃討を繰り返し多数死体を城外に搬出しています。 もう一点、pen2007さんの「笠原氏が、南京城内における被害者数は数万どころか数千もいなかった、と主張している」という理解には問題があります。城内から中国軍敗残兵の疑いでおそらくは数万人の中国人が連行され城外で集団殺戮されています。殺戮は城外であっても、もともと城内の住民であったものが多数含まれています。城内における死体数は先に挙げた通りですが、城内にいた市民の被害は9000名にとどまりません。 被害者数の推定には埋葬団体の埋葬数が基礎的な資料となります。両団体の埋葬が合わせて15万5000人、それ以外の埋葬団体のものも合わせると19万人になります。ただし、いったん簡易に埋葬されたものが再び表土が流れて露出したものを再埋葬したものなどもありますので、一般に両団体の計がよく使われます。この他、農村部では自分の家族や、村の被害者などを自分の手で埋葬したものもあったでしょうし、日本軍も少数は焼却、埋葬したと見られますが、その数は不明です。この他に揚子江に逃げている市民などが狙撃されたり、揚子江中に投棄された市民、元兵士が、数万人単位であると考えられます。 中国側推定では揚子江に投棄されたり、焼却された死体を19万人と見ており、埋葬されたもの15万人と併せて34万人とし、固い数字として30万人としています。日本の歴史学者との違いは投棄・焼却の数字をどう見るかの違いとして見ることができます。日本軍の資料は中国軍兵士の虐殺に関する情報は充実していますが、民間人の虐殺数に対する情報は少なく、中国側における調査・研究が進まないとこれ以上の進展は見込めない状況です。
- platon3
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おそらくこれが最新でしょう。 人民網の記事から。 http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/14/jp20070814_75227.html 「犠牲者リスト」に8242人が記載されているそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 多忙にかまけて、お礼を述べるのが遅くなり申し訳ありませんでした。 正直なところ、質問を締め切らずにもっと多くのご回答をいただきたかったり、 あるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところがあったりするのですが、 今回、お礼が遅れたように私のほうが多忙のため教えてgooを利用するのが困難な状況なので、 これで質問を締め切らせていただきたいと思います。 もしかしたら、将来、教えてgooのIDを取得しなおした上で、今回と似たような質問やあるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところを質問させていただくこともあるかと思いますので、そのときはどうかよろしくお願いします。 ご紹介の記事を読みびっくりしました。 南京大虐殺発生から数十年で犠牲者リストに記載されているのが10000万人以下ということは、 今まではまったくといっていいほど犠牲者の割り出し、算定に労力を割いてこなかったのでしょうか。 東京大空襲の犠牲者の約8万から10万の方々達はかなり前から大部分が身元が特定されていると思うのですが、今回のご紹介の記事からは中国は南京大虐殺の研究には労力をほとんど割いていないのではないかと思ったりしております。研究に労力を割かないのであれば研究が進むはずがないですよね・・・。 当分、この教えてgooを利用する時間が取れないことだと思いますので、 今後数年間は南京大虐殺の研究が進み真実が少しでも明らかになるのを待とうと思います。 どうもありがとうございました。
- suuh
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かなり前に書いていた回答文があったので、流し込みます。 南京事件の被害者数30万は、ティンパーリという外国人記者が当時書いた、「揚子江デルタ地帯における中日両国軍の戦闘の結果、少なくとも30万の一般中国市民が命を失った。」という興奮した文を現地の日本当局が検閲・押収したそうです。当時、広田外相はあまりに荒唐無稽な報道をされるは困るという意味で、電文を押収しその内容を大使館に伝えたそうで、その暗号電文がアメリカに解読され、情報公開によって、「当時の日本政府が認めた」と近年中国で宣伝されているそうです。 この範囲は、「上海から揚子江岸にいたる直線距離でみても三百キロ程の広い範囲」です。当時の(1938年)一月二十二日 、中国の新聞である大公報でも転載されたそうで、その中には、「南京の日本軍の軍規が弛緩し、ほしいままに市民を虐殺していることを非難した。最近まで難にあったものはすでに一万人を越え、十一歳の幼女より五十三歳の老婦人まで全て汚され、強姦された者はおよそ八千から二万人であり、掠奪事件は枚挙にたえない。」( 南京事件資料集・中国関係資料編P31 )(以上孫引き) というのがあり、はっきり範囲が違うのですが。 そして、この「30万の一般中国市民」というのが直接は何の被害者なのかはわからず、単に難を逃れて人口が減ったりしたことを中国人の噂で聞いた程度でしょう。 しかし、中国では近年宣伝されている(いた?)そうで、敗戦当時もそういう風に曲がって記憶された可能性はありますね。アメリカ人が南京軍事法廷に伝えた可能性もあるし。(個人的想像) 今の30万人は南京軍事法廷が始まりです。 http://www.china.org.cn/Beijing-Review/Beijing/BeijingReview/Japanese/99May/bjr99-19j-16.html(現代中国サイトなので、修飾表現と資料の混同に注意)「捕虜となったわが軍民で、日本軍によって機関銃で集団射殺され、死体を焼いて証拠を隠滅された者は、単耀庭ら十九万余人いる。このほか、個別に虐殺され、その死体が慈善機関によって埋められたものは十五万余体あり、被害総数は三十万人以上に達した」 南京の法廷が信用できるかといえば、武勇伝だったはずの100人斬りの記事を証拠にして、二人を民間人虐殺の戦犯とした判決を見れば、調査と判断能力がわかろうというもの。 そして、ネットでこの南京軍事法廷がともすれば忘れられがちなのを見ると、ろくな数字的根拠がなかったのだろう、と思いますが。 東京裁判をネットで見ると、「検察側は「集団的に殺害された19万人以上、個別に虐殺された15万人以上」つまり合わせて「34万人以上」という主張をしたそうですが」、判決文からの引用として、 「日本軍占領後の最初の六週間に、南京とその付近で虐殺された平民と捕虜は、総数二十万以上に達した。この種の推計は誇張されたものではなく、死体埋葬班およびその他の団体が十五万五千体の死体を埋めた事実によっても証明することができる。・・この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江に投げ込まれたかその他の方法で処理された人たちは計算を入れられていない」 あるいは「“南京は30万の兵で守られていたが、12月12日に陥落した。8万の日本兵は狂乱状態になり、組織的に2万の女性を強姦し、20万人を殺害した。”」 をだそうです。 この埋葬団体の内分けが、紅卍会約4万、崇善堂約11万。 埋葬数について、11万埋めたという崇善堂がほんとは活動実態が無くろくに仕事ができないとか、りっぱにやれるという反論とかあるようです。 現地での赤十字活動は紅卍会の方がもともと主だったようで、崇善堂はボランティアだが紅卍会は宗教団体なので戦乱の中でも資金力組織力があり、日本の大本教とも交流があり、紅卍会の活動がはるかに活発なのが当然だと、私は思いますね。 いや崇善堂はボランティアだから不定期にいくらでも集まる・・なんていうなら、数字をちゃんと残す必要もない組織だろうし、埋葬計画は進行していなかったことになるし。 ただ、崇善堂は個人が埋葬した数字をかってに集計した可能性がないとは言えないが、それは南京軍事法廷の数に合わせたという想像と五十歩百歩程度の、空想のレベル。 しかし、日本が敗戦となり、そういう二者の立場や感情は、どうなったかなどと想像しますが。 そして、4月以降の埋葬状況はどういうものだったのかの様相はあまり語られてないみたいですね。 笠原氏のような20万以上虐殺派の数字を信じるかは、かなり党派によるでしょう。 城外の数字の根拠が何かは本を読んでないですが、アマゾンの書評を見ると数字に疑問が大きそうですね。 また、南京事件を城外に広くとろうとする笠原氏の見方は、数ヶ月前ネットで中国の新聞記事を見た記憶では、毎年大学がやってる調査で数千人レベルをまだ越えてなさそうです。 また、捕虜にした中国軍の曰く、「日本に捕まると殺される、下がっても味方の督戦隊に殺される、だから我慢して閉じこもるしかない」という話があるようで、そんな風に脅迫されて戦わせられていたのなら、見捨てられた形で取り残された南京戦で隊がバラバラになったら、たいてい中国軍に戻らないと思うので、数字の合わない行方不明兵士はほとんど逃げたと思うし。 中国側が数字も範囲も変えないのは、南京軍事法廷からの根拠以外を持たないからでしょう。 他の理由として、そういう調査は共産党にとって薮蛇とか、日中戦争全体を南京30万で象徴していることを守っていたいとかもあるのでしょう。が、その一方、残虐さ宣伝に熱心な気がするので、あてにならないとも思う。 中国の方では、ようやく30万は政治的数字だと言う人が出てきたようです。ご存じでしょうが。 Ganymede氏が考察を書かれていますが、 目を転じてアマゾン書評で、笠原氏の「南京事件」と秦氏の「南京事件―「虐殺」の構造」を見比べると、「最新有力と言われる説なんかない」という感じですね。 なお、100人斬りの判決は、「証言はあるいは嘘なのかも知れないが、当時かなりすえもの斬りがあったらしいことからして、あからさまな嘘とは言い切れず、歴史を語ることを目的とする本にほんの一例として本多氏が載せても、落ち度とはいえない。また、歴史上の記述に遺族が名誉棄損で訴えるのは限界がある。よって証言の真偽は詳しく語る必要はない。」、というもののようです。 私は、この手の兵士の虐殺証言は、日本軍のひどい状況を訴えたいために恨みのある上官のせいにして表現したのが本心かな、などと思いますが。昔のほら話世代のことだしね。 なお、私は量と質は同じものの裏表だと考えています。人間性の問題として考えても、組織というものの考察にしても。政治的象徴だと了解し合えば別でしょうが、小中学教科書に30万40万と書かれるとそうは行かないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 多忙にかまけて、お礼を述べるのが遅くなり申し訳ありませんでした。 正直なところ、質問を締め切らずにもっと多くのご回答をいただきたかったり、 あるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところがあったりするのですが、 今回、お礼が遅れたように私のほうが多忙のため教えてgooを利用するのが困難な状況なので、 これで質問を締め切らせていただきたいと思います。 もしかしたら、将来、教えてgooのIDを取得しなおした上で、今回と似たような質問やあるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところを質問させていただくこともあるかと思いますので、そのときはどうかよろしくお願いします。 皆様のご回答を拝読させていただいた感想ですが、 suuh様がご指摘のように私も 最新有力と言われる説なんかない と言う考えを持つに至りました。 当分、この教えてgooを利用する時間が取れないことだと思いますので、 今後数年間は南京大虐殺の研究が進み真実が少しでも明らかになるのを待とうと思います。 どうもありがとうございました。
- suuh
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こまったことに書き直せないんですね。追加になってしまった。 裁判内容はここの方が正確でしょう。参考URLへ。 『 調査によれば虐殺が最もひどかった時期はこの二十六年十二月十二日から同月の二十一日までであり、それはまた谷壽夫部隊の南京駐留の期間内である。中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。死体が大地をおおいつくし、悲惨きわまりないものであった。』 だいたい、南京城内に攻め込んだときが中心で、とくにそのように殺戮命令が出ていたことになっています。 なお、これから見ると、裁判というにはジャーナリズム人民法廷という感じがします。いわゆる百人斬りもありますが、どうも南京城内での一般人虐殺競争にしか読めません。今の百人斬りは捕虜のすえもの斬りであり、当時は戦闘中の武勇伝報道でしたが。
- suuh
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断片的な集合ですが答えます。あまり確認し直してないのでそのつもりで。 30万という数字はよくある象徴的な数字のようです。 全く別のことですが、上海から南京までの間に、30万の犠牲だか人口減だか難民だかが出たということを欧米の記者が、噂として聞いています。集計などしようがないはずで、中国の象徴としての数字でしょう。 南京陥落の2,3ヶ月後の数字では、2万人が殺されたと国民党は欧米に訴えていますが、もちろん噂の集合です。数字の性格はよくわかりません。 さて戦後、東京裁判のために証人を捜したところ、誰も名乗り出ず、中には中国兵のやったことだというものもいたそうです。この話の出処は検事側の文書の始めの方らしいのですがよく知りません。 その後、南京軍事法廷が開かれるということで再び証人集めをしたときには、3000人?だかの証人が集まったということです。 集団?的殺害が19万、個別的?殺害が14万、合わせて33万。犯人は特定の部隊だか連隊だかが中心で、松井司令官が犯罪を戒める演説をした二月初めまでの二ヶ月ほどが虐殺期間だということです。範囲は南京城区とその周辺だったかと。この部隊だかのトップが死刑になったはず。 この数字は東京裁判の検事調書にも採用され、東京の方では根拠として、崇善堂12?万(これがきわめて疑わしいとされます)と紅卍会4万の埋葬記録合わせて十数万、ほかいくつかの埋葬団体による数万以下(二万以下だったかな)の数、計19万ほどが出されています。川に流されたりして組織的な埋葬記録にないものを合わせて33万でしょうね。最終的には、東京裁判では20万という数が有名ですが、判決が一度に出されず個別に少しづつ出ていることもあって、そのたびに数字が違っているとか言われたりしています。松井司令官は南京事件を防げなかった責任で裁かれています。 現在も中国共産党は、この国民党時代に出された南京軍事法廷の数字約30万を維持しているというわけです。 なお、南京の人口ですが、南京が攻められるときに首都を移すということで、首都機能に関する人口は一気に出て行きました。南京に駐屯したり集散していた中国軍もほぼなくなり、関連の人口が減って100万という元人口から大幅ダウンしたことは当然だといえます。
- k318
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『南京虐殺』の徹底検証」(東中野修道著)によると 「東中野教授は、さらにベイツが根拠とした「埋葬記録」そのもの にさかのぼって検証をする。面白いことに埋葬を担当した紅卍字会 は、日本軍、および、ベイツらの国際委員会の両方から、埋葬費用 を二重取りしていた事も明らかになる。両者の投入人員、処理期間 の記録はほぼ一致しており、そこから4万体という埋葬記録が水増 し請求であり、最大でも1万3千から5千の間である事を検証する。 さらに、この1万数千という死体を、分析していくと、最終的に 「日本軍の民衆殺戮を示す史料は、皆無なのである」[1,p416] という結論にたどりつく。 この本は昨平成10年8月に出版されたが、それ以降、この著書 を批判論難するような本も論文も出ていない。南京虐殺を主張する 人々が一様に押し黙ってしまった感がある。これだけの根本史料を 突きつけられて、なおかつ「南京虐殺」の存在を証明する事ができ るのか。厳密に学問的な手続きに則って組み上げられた事実と論理 の力を見せつけたようだ。 両方の本を読み比べれば、プロガンダと真の学問との違いが、よ く分かる。国際派日本人にお勧めしたい一書である。」 ・ 国民の油断 歴史教科書が危ない! 西尾幹二・藤岡信勝著 PHP研究所 ・ 渡部昇一の昭和史 渡部昇一著 ワックBUNKO ・ 日中戦争 知られざる真実 黄文雄著 光文社 ・ 「南京事件」日本人48人の証言 阿羅健一著 小学館文庫 ・ 朝日が明かす 中国の嘘 田中正明著 高木書房 ・ 新ゴーマニズム宣言special 戦争論 小林よしのり著 幻冬舎 ・ 新ゴーマニズム宣言special 戦争論3 小林よしのり著 幻冬舎 ・ パール判事の日本無罪論 田中正明著 小学館文庫 ・ 新 歴史の真実 前野徹著 経済界 ・ 三光 第1集 中国帰還者連絡会編 光文社 ・ 新「南京大虐殺」のまぼろし 鈴木明著 飛鳥新社 ≪参考HP≫ ・ 国際派日本人養成講座「先入観を打破する定量的検証を」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog015.htm ・ 国際派日本人養成講座「新聞の読み方(2) 平気でうそをつく人々」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog028.html ・ 国際派日本人養成講座「南京事件の影に潜む中国の外交戦術」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog060.html ・ 国際派日本人養成講座「人物探訪:松井石根大将」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog081.html ・ 南京大虐殺はウソだ http://www.history.gr.jp/nanking/ ・ 東京裁判 http://www.history.gr.jp/tokyo/ ・我が子に伝える誇りある近代史 http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/kindaishi.htm#4_1 南京事件 諸説の紹介 http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist3_3_4.htm http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist3_3_7.htm 第1話 東京裁判(極東国際軍事裁判) http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_1.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。 多忙にかまけて、お礼を述べるのが遅くなり申し訳ありませんでした。 正直なところ、質問を締め切らずにもっと多くのご回答をいただきたかったり、 あるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところがあったりするのですが、 今回、お礼が遅れたように私のほうが多忙のため教えてgooを利用するのが困難な状況なので、 これで質問を締め切らせていただきたいと思います。 もしかしたら、将来、教えてgooのIDを取得しなおした上で、今回と似たような質問やあるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところを質問させていただくこともあるかと思いますので、そのときはどうかよろしくお願いします。 ご回答の >両方の本を読み比べれば、プロガンダと真の学問との違いが、よ く分かる。 という箇所はまったくそのとおりだと思います。 (もっとも私は肯定派ですが・・・。) 南京大虐殺の肯定派も否定派も自身の主張を唱えるだけで共同で研究していないというのが、南京大虐殺の研究が進まない一因だと思います。 肯定派も否定派も追求しているのはただ一つの真実であるのですから、もっと交流があってもいいのではないかと考えたりしました。 そのほかにもご回答で多くの書籍をご紹介いただきましたが、多忙でとても読むことが難しいので、南京大虐殺については専門家の研究が進むのを待とうと考えております。 当分、この教えてgooを利用する時間が取れないことだと思いますので、 今後数年間は南京大虐殺の研究が進み真実が少しでも明らかになるのを待とうと思います。 どうもありがとうございました。
- sudacyu
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申し訳ないのですが、ネットの中では今のところ資料を発見できないでいます。 私の言う6万と言う数字は、日本軍の当時の資料からほぼ確実と思われる数字で、最低線を示しています。戦後に南京周辺の行方不明者を数えたら相当大きな数字になるでしょう。それには避難して餓死・病死全て含まれますし。 資料は高校のときに使った世界史の資料集に記載されていたものです。蔵を見てみましたが、世界史の資料集は発見できませんでした。出版社など不明です。すみません。 1.紅卍字会による埋葬死体 4万3071 これは有名な数字でこの回答の中にもありました。 2.部隊指揮官クラスの佐官クラスの手記(複数) 便衣兵狩りを行い、民間人と区別がつかないので、処置したとの記載。 注:陸軍士官学校では将校に手記を付ける習慣を植えつけて、記憶に頼らず記録で確認した上で軍事報告書の作成を行うようになっていました。ですから、佐官クラスの手記は極めて重要で、報告書よりも資料的価値が高いと考えています。 3.死体処理の費用についての資料。 ネットの中で見つけたら投稿します。悪しからず。
お礼
ご回答ありがとうございます。 犠牲者数6万人と言う説の根拠を教えていただきありがとうございます。 >注:陸軍士官学校では将校に手記を付ける習慣を植えつけて、記憶に頼らず記録で確認した上で軍事報告書の作成を行うようになっていました。ですから、佐官クラスの手記は極めて重要で、報告書よりも資料的価値が高いと考えています。 このあたりのことは全く知らなかったので、以後参考にさせていただきます。 No.17様も含めて回答者様のご意見を拝読するとこの10年の間に特に虐殺者の数の主張に大きな変化はなかったと考えたらいいのかもしれませんね。 あと、城内での被害者数は否定派から大虐殺派まで、その主張に大きな隔たりはないのかと思っておりましたが、主張に隔たりがあるかの確認すら難しそうですね。
補足
ご回答ありがとうございます。 お礼欄に投稿したかったのですが、文字数制限のため補足欄に投稿させていただきます。 多忙にかまけて、お礼を述べるのが遅くなり申し訳ありませんでした。 正直なところ、質問を締め切らずにもっと多くのご回答をいただきたかったり、 あるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところがあったりするのですが、 今回、お礼が遅れたように私のほうが多忙のため教えてgooを利用するのが困難な状況なので、 これで質問を締め切らせていただきたいと思います。 もしかしたら、将来、教えてgooのIDを取得しなおした上で、今回と似たような質問やあるご回答者様のご回答の中で詳細を説明させていただきたいところを質問させていただくこともあるかと思いますので、そのときはどうかよろしくお願いします。 suguru726様より >秦郁彦氏が『南京事件』を書いた以降、あるいは笠原氏が同名の著作を書いた1997年以後、日本の歴史学者が被害者数を大幅に変更したり、推定の幅を狭めるような決定的資料は出て来ていません。このことは中国においても同様です。 とのご回答をいただきましたが、他のご回答者の方々のご回答も拝読の結果、 私もsuguru726様がご指摘のように1997年以降に被害者かずを大幅に変更するような証拠は特に発見されていないという考えに至りました。 それとは別に >日本の「市」が中国では「城市」であり、中国語の「城内」はしばしば日本語の「市内」を意味することがあります。南京では当時でも南京市内=南京城内ではなかったのですが、記者はそこのところがよくわかっていないようです。 という箇所ですが、私は人民網の邦訳前の記事を見たわけでも、仮に見たとしても中国語が読めないため、suguru726様がご指摘のように記者がよく分かっていないで書いたものかどうかは断定できないので、この箇所はご意見として記憶しておくということでとどめておきたいと思います。 もうひとつとして、 >pen2007さんの「笠原氏が、南京城内における被害者数は数万どころか数千もいなかった、と主張している」という理解には問題があります。城内から中国軍敗残兵の疑いでおそらくは数万人の中国人が連行され城外で集団殺戮されています。殺戮は城外であっても、もともと城内の住民であったものが多数含まれています。城内における死体数は先に挙げた通りですが、城内にいた市民の被害は9000名にとどまりません。 ここがよく分かりませんでした、SAPIOの記事を読んでも笠原氏は南京城内では数千人も犠牲者がいなかったとの趣旨のことを明記しておりますので、それ以外の解釈はできないと思います。もちろん、suguru726様がご指摘のように殺戮が城外でももともとは城内の住民であった人たちが多数含まれていることは承知しております。しかし、人民網の記事はまさに城内で大量殺戮が発生したと言うような書き方だったので、城内では数千人も犠牲者がいなかったという笠原氏の主張とかなり隔たりが見られたので質問させていただいた次第です。 当分、この教えてgooを利用する時間が取れないことだと思いますので、 今後数年間は南京大虐殺の研究が進み真実が少しでも明らかになるのを待とうと思います。 どうもありがとうございました。