• 締切済み

南京大虐殺といわれるものについて

いわゆる南京大虐殺と言われるものについて、 数日間、3日間程度そういうことがあったのではないかとされる 陣中日記などを目にしますが、その真相について、プロバガンダなしに勉強できる本やWEBページ、または、意見など教えていただけると助かります。 私の認識としては、幕府山事件がいわゆる南京大虐殺と言われる一部なのかなという認識としています。 もっと言うと幕府山事件での中国兵捕虜に対しての自衛的発砲という認識をしています。 しかし、それはわかるのですが、陣中日記などを見ると数日間に渡る記述があります。その日記の信憑性はわかりませんが、数日も事故が起こるとは思わないですし、陣中日記などにある日で幕府山事件以外の日の真相などが、知りたいと思っています。 どなたか、教えていただけるとうれしいです。

みんなの回答

  • wooooops
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.13

自分も「真実はどうだったのか」を考えて調べたことがありました。 オランダ人の商人が書いた記録では、南京で不遜なヤカラもいないことはなかったようですが、占領したがわの日本軍の兵士を、そのオランダ人の商人がにらみつけたらスゴスゴと逃げたと書いてあって、その程度の規律の乱れしかなかったのではないかと思っていました。 そうしていたら、当時、憲兵として南京にいたと言うおじいさんに会うことがあり、話を聞きましたが、日本陸軍は、歩哨に立つ役の兵士が脇差を忘れても厳しい処分がなされたらしく、民間人を集団レイプしたとか、無抵抗の民間人を大量殺戮したというような事実はないと、感情をこめて訴えておられました。憲兵は、占領地域の警察として働くので、治安状態はよく把握していたそうです。 いろいろな資料を見、また昨今のニセモノ商売、毒ギョウザ言い逃れ事件など、嘘が平気な体質を見ると、憲兵をしていたというおじいさんの、感情のっこもった発言の方に、自分は信憑性を感じています。

  • moutsoumi
  • ベストアンサー率15% (2/13)
回答No.12

短期間に30万も殺害する能力は日本軍にはありません。 そんなにスゴイ能力があれば、対米戦ですら勝ってますから。 だから、大虐殺はありえません。 また、大量の死体があれば不衛生で、そこで暮らすことは不可能です。 実際には、大量の現地民が陥落後も南京で暮らしています。 虐殺があれば、日本軍と一緒に南京に滞在するはずはありえません。 当時重慶に逃げていた蒋介石は、日本の悪行を些細なことでも逐一欧米に言い付けています。 でも、南京陥落後に「南京で大量虐殺があった」とは一言も訴えていません。 (あれば、大騒ぎしてるはず) 以上のことから、大虐殺は絶対にありえません。 あと、侵掠であったか否かですが‥‥ 今も昔も、「日本は中国の一部だ」と大陸は内外に宣伝しております。 (そのかいあってか、「日本は中国の一部」だと教科書に書いてる国は世界に多い) ということは、侵掠ではありませんね。少なくとも大陸サイドから言えば。

回答No.11

まずやるべきは、 色々な出版社や著者がこの件に関しての著述をしておりますので、 それらに目を通すことです。 またそれらに対する批評を耳にして下さい。 これは政治的な利権、背景を含む問題ですので、 どちらの主張も譲りません。 この問題は単純な歴史問題ではないのです。 また、色々な意見が目に耳に飛び込んで来た時、 それらを本当かな?と、一旦自分で考える事が重要です。 それぞれの人間一人一人が、それぞれの背景を持っています。 それぞれの人間の意見はそれらの背景を反映して出される物です。 あなたが物事を判断する時に他人の意見を鵜呑みにしては、 あなたの意見、物の見方が作られません。 自分の意見と思っていたものが、 他人の意見の丸写しであったりしませんか。 最終的には自分で研究するしかないのですが、 知恵の足りない私から言えることは、 この問題を単純にあったかどうかと捉えるのではなく、 この問題が取り沙汰される背景などにも目を向け、 その利害関係などを見てみると良いとおもいます。

rasami
質問者

お礼

takigawaさん、回答ありがとうございました。 私もここに質問してから、各派の意見の全体像はつかみました。 ある程度は絞れますが、決定的な証拠がないために、 やはり皆さんすっきりしないのだと思います。 状況証拠と伝聞ばかりですし、兵士の証言でも規模が わかりません。日記から、多少規模がわかっても、そこから 相手が一般市民なのか国民党軍の兵士なのか便衣兵なのか わかりにくい。

  • bboitsu
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.10

すでに元質問文と離れ新規のほうが良いと思いますが、 お聞きになっている事に 申し訳ないと思いつつ連投させていただきます。 >bboitsuさんは日中戦争またはシナ事変は、侵略戦争だと考えていますか?。 侵略じゃないと言うのは論理的に難しいでしょう。 侵略以外のなにものでもないです。 これについては所謂右の人達も認めている所です。 侵略だったが→「それまでに他国もやっていたじゃないか」あるいは「負けたから侵略と言われてるが勝ってれば言われなかった」「当時は侵略は違法ではなかった」と言う理屈です。 ただし人殺しが捕まって「他にも人殺しをしてるヤツがいるからいいじゃないか」と言うのは下劣な言い訳です。 勝ったら言われないという事でもありません。同様にかつてのスペインやイギリスの行ったことは侵略と認識されています。歴史上の事象というのは学問的にイデオロギーを抜きにした研究家やジャーナリズムにより評価されます。 また当時でも違法ではなかったと言うのは間違いです。 http://okwave.jp/qa4393878.html こちらのNo.11さん(この人の他の回答も面白いです)にあるように当時でも1928年の不戦条約によって違法です。 (勝てば官軍の話も出てますね。イラクではフセインに対してはアメリカの圧勝ですが、叩かれまくってます。) この条約によって、また国際社会の成熟に伴って人権意識などの高まりもあり、戦費拡大により国内の世論も味方につける必要があり、それ以降の戦争では大義名分が必要になります。 よってどんな戦争も大義名分として自衛を競争で名乗るようになります。但し自称と客観は別なのは当然です。 一般の人では侵略だと思っている人がほとんどでしょう。 日本中で本当に自衛だと言い張るのはネットの一部のトンデモサイトとそれを妄信している人です。 トンデモサイトの人自身も本当にそう思ってるとは言えないですが、なにせネットは玉石混淆、言ったモン勝ちですからね。 ネットでは科学的・論理的でない話がごろごろ転がっていて、牛乳が体に悪いだの、マーケティング目的のデトックスだの、ジンバブエのハイパーインフレはムガベの失政のせいだの例の枚挙に暇がないです(失政は認めますが)。 これなんかもそうですね。ウソ話がまかり通って信じてしまう人もいるようですね。 http://okwave.jp/qa4541684.html?ans_count_asc=20 私の回答はNo.2。 (上記のGanymedeさんはここで見た。No.5) 張作霖爆殺事件1928年(昭和3年) 満州事変1931年(昭和6年)だけを見てもそうですが、 歴史は繋がってますから、そこだけを勉強しても分かりづらいですよね。 なぜ満州に関東軍がいたのか?を遡ると日露戦争になります。ではなぜ日露戦争?と順に遡れば 江華島事件1875年・明治8年→日朝修好条規1876年・明治9年→甲午農民戦争→日清戦争1894年・明治27年→下関条約1895年・明治28年→三国干渉→日英同盟1902年・明治35年→日露戦争1904年・明治37年→ポーツマス条約1905年・明治38年→日英同盟のもと連合国側として第一次世界大戦1914年・大正3年~1918年・大正7年と続きます。 それまでの流れをすべて否定する物では有りませんが、ポーツマス条約を結べたのは戦争継続は不可能だった日本にとってはラッキーだったわけですし、第一次世界大戦は(イギリスの要請に乗ったのは)ドイツが中国の租借地をもっていたからです。ドサクサ紛れの火事場泥棒に等しい(第二次大戦のロシアもですね)。ただこれで軍が調子に乗りすぎました。張作霖爆殺事件・満州事変はいくらなんでも関東軍の暴走です。国の方針ではなく現地の軍の独断ですから。しかも満洲国の建国までしてます。 その後5・15事件1932年(昭和7年)で満洲国承認に慎重だった犬養毅まで暗殺され、いくら一部の急進派の犯行とは言え、軍の方針にそむけば時の首相まで暗殺されたのではたまりません、文官政治が軍の方針に逆らえない方向になっていったのは確かでしょう。これがその後の軍部の考えを追認する翼賛体制に繋がっていきます。 今の日本で自衛隊が勝手に他国で暗殺や破壊工作を始めたら暴走と言うより有りませんし、日本の首相が武力を持った自国民に暗殺されれば大騒ぎでしょう。あるいはアメリカ軍が、国の方針でなく勝手に他国で作戦を展開、他国領土内に勝手に傀儡政権を樹立して新国家を作ったらアメリカも世界も大騒ぎでしょう。 シビリアンコントロールを失った時点でそれは暴走でしょうね。 東條については当時の木戸幸一らが「東條の天皇への忠節に賭け、陸軍の立場を離れさせて、陸軍を押さえ対米交渉を続けさせようとした」と言うだけです。一つの賭けだったわけです。 天皇を敬愛していたのは確かですが、それと個人の考えはまた別です。 昭和8年関東軍憲兵隊司令官、昭和10年関東軍参謀長ですので、バリバリの満州権益拡大路線の陸軍軍人でしょう。 実際、帝国国策遂行要領は昭和16年11月5日、昭和天皇の開戦に反対した鶴の一声で再決定されてますが(ただし否決された9月6日の御前会議は近衛内閣時)、 とは言え結局12月には宣戦布告します。 ただもうこの段階では戦争は不可避な所に来ており、方向転換するならもっと前にするべきでした。よって天皇に塁が及ばないよう東條にしたという理由もあるようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F 『ただし木戸は勝田龍夫『重臣たちの昭和史」において、「どうせ戦争になる(そしてやれば負ける)から皇族内閣にすると皇室に累が及ぶ。それで東條にした」と語っている。』

rasami
質問者

お礼

bboitsuさん、コメントありがとうございます。 他のシナ事変についての質問などを、早速調べてみたいと思います。 歴史はつながっているので、かなり掘り下げないと 全体的に見えないものですね。 長い文章ありがとうございました。 感謝しております。

  • bboitsu
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.9

年末から忙しくOKWaveに近づいてませんでした。 >気になるのは、なんで中国人には残虐的だったのでしょうか?。 なぜでしょうね。その辺はわかりません。いろんな事が複合的にあっての事ではないしょか。 そもそも戦闘地域がアジア周辺になるので、自然、民間人といえば中国人である場合が多かった。 欧米と肩を並べる・同格である(になる)と意識の裏返しとして、中国人を下に見る意識が合った。 元々欲しかったのが中国地域であり、自然それに抵抗する中国人に対して次第にエスカレートした。 それに対して太平洋地域の島は日米戦争の軍事拠点として必要だった場所であり、当然艦隊同士・部隊同士の戦闘が多くなり市街戦とは異なる。 陸軍と海軍の違い。当時の日本を突っ走らせたのは陸軍。満州での関東軍も陸軍。張作霖爆殺事件や満州事変も関東軍。日米関係で交渉の道を探った近衛に対し、総辞職か開戦かを要求した東條英機は陸軍出身。元・関東軍参謀長で当時陸軍大臣。 中国では既にそれまでの進軍中に似たようなことが常態化していた。 などなど とは言えシンガポールでもフィリピンでも虐殺はありましたし(フィリピンは戦闘に巻き込まれた数もおおいようですが)、日本国内でも九州で米兵捕虜を生体解剖したり、沖縄でも「渡野喜屋事件」などありますので、軍がそういう方向に行きやすい意識は持っていたようですね。

rasami
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 >元々欲しかったのが中国地域であり、自然それに抵抗する中国人に対して次第にエスカレートした。 というのは、bboitsuさんは日中戦争またはシナ事変は、侵略戦争だと考えていますか?。 自分は、いまだわからないところは多いです。 はじめの開戦やそこに軍がいた理由というのは、侵略的ではないですが、途中から侵略的にシフトしたのでしょうか? あと、わからないのが、一般的に関東軍の暴走といわれることが多いですが、東條英機だけの性質を見ると、天皇の命令を聞かないということはありえないと思うので、同時に、板垣征四郎や石原莞爾などもしらべていかないといけないのかなと。 暴走と言っても予算は出てたとか、予算はアヘンで作ったとか、 いろいろありますが。。。

  • bboitsu
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.8

>特に、民間人への残虐行為は、戦争時なので数件はあると思っていますが、その数件を元に、拡大し誇張表現するのはおかしいので、 捕虜の大量殺害の理由を調べてみたいと思いました。 以下質問者さんのご考察の足しになれば… 以前終戦60年の時に、有名人の戦争の記憶を語ったりと戦争を振り返るテレビ番組を各局がいくつかやっていました。。 その中で80を過ぎ、あと何年生きられるかも分からないし、ずっと語りたくなかった戦争時の事を伝えておかなくてはという事で、地元の学校などで戦争時の記憶を語る活動をしているおじいさんの事をやってました。 地元の中学校で生徒たちに、対面で南京での話を語っていました。 おじいさんの隊では中国人を何人も後ろ手に木に縛りつけ、銃剣で突く訓練をやっていたそうです。順番に何人もで突くので、腹が裂け腸がはみ出し、最後には真っ赤な肉の塊になるそうです。 そのおじいさんは突き抜けた銃剣が木に刺さって抜けなくなり、おもいっきり抜いた拍子にしりもちをついてしまい、「貴様!何をやっとるか。腰が入ってないからそうなるんだ!」と上官に殴りつけられたそうです。 今でもその銃剣を突いた感触は忘れられず手に残ってるそうです。 それを聞いてた生徒達は、現在の何不自由ない生活からかけ離れた話に当然神妙な顔で聞いてるのですが、生徒からの質問の所で「捕虜を殺した時にどんな風に思いましたか?」という問いがあり、おじいさんの返事は生徒の意図とは違う非常に意外な答えでした。 曰く「違うんだよ。普通の村人を上官の命令で連れてきて練習してたの。捕虜じゃないんだよ。」 もちろん兵士同士の戦闘中の話ではなく、占領したあとのお話です。 またけっして珍しい話ではなく、普通にあった事のようです。 軍として中国の人をどう考えていたのかが推察できる証言かと思います。 上記は事実の一つです。 また既出のURLの中のページ『目撃したのに「なかった」と言う人たち』 http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin02.htm でも、否定派である『南京大虐殺はなかった』の本の中にさえ同盟通信記者・前田氏の目撃談として 『引きだされ、突き放される捕虜の中には、拒み、抵抗し、叫びたてる男もいるが、多くは観念しきったように、死の壕に向かって走る。傍らの将校に聞くと「新兵教育だ」という。壕の中は鮮血でまみれた死体が重なっていく。』 『「記者さん、やってみるかい」  兵隊を指揮していた下士官が、私に小銃を差しだした。私は驚いて手を引っこめた。すると、中村太郎に、「君はどうだ」と銃をすすめる。中村はニヤリと笑ってそれを受けとり、捕虜の背中に銃口を接近させると引き金を引いた。ズドンという音ともに男は背中を丸めるようにしてボシャンと水しぶきをあげた。それきりだった。』 とありますから、上記あるいは他の証言から、日常的に毎日アチコチで数十から数百人の単位で、新兵教育と称して、または面白半分に殺害があったようですね。 また相手が「敗残兵の捕虜」か「民間人」かの違いは、日本軍側にはあまり関係なかったように読み取れます。 前述テレビ番組の中で瀬戸内寂聴さんが終戦時の記憶を語っていたインタビューもありました。 寂聴さんは終戦時は北京にいたのですが、終戦の知らせを聞いたあと「中国の人達によって仕返しに日本人が殺される」と言う噂が流れ、仕事場から家に走ったそうです。なぜ走ったかと言うと、どれだけ日本人が中国の人にひどい扱いをしていたか知っていたからだそうです。 (無理もないかと思います。関東大震災の時もそんな噂が流れ、逆にそれを本気にした日本人が朝鮮の人たちを虐殺してます) 実際に家につくと、ゴタゴタのなか、中国の人はちゃんと子供の面倒をみて守ってくれていたそうです。 その後も怖かったけど、報復はなかったそうです。 当時民間でも中国の人を、けっしてまともに扱っていなかった事、それを日本人も認識していた事が伺えると思います。 これも一つの事実です。 こちらは別のインタビューですが 「今、平和を語る:作家・瀬戸内寂聴さん」 http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/talk/news/20070625ddf012070015000c.html 引用 『瀬戸内 戦時中の北京では、日本はまだ戦勝国でしたから、日本人は威張っていましたよ。中国の人たちを安い賃金で雇って酷使していたのですから。アマとかボーイとか呼んで、私の目の前で足げにしたり、たたいたりする日本人もいました。日本人って品性が下劣なんですよ。とても恥ずかしかった。こんなことをしていたら、この戦争は負けるかもしれないと直感したものです。日本が負けて終戦になったとき、ひどいことした日本人は、皆まとめて殺されると、正直言って思いました。でも私はね、中国の人たちに、とても優しくされましたよ、本当に。』 「「殺すなかれ」瀬戸内寂聴さんの発言」 http://www.kyoto-minpo.net/archives/2008/07/02/5_1.php 引用 『その時に、日本人がいかに中国人に横暴なことをしているかって、もう目で見ています。  終戦は北京で迎えたんです。その時、夫はむこうで出兵してて、いなかった。私は赤ん坊を抱えておりました。「もう殺される」と思いました。我々は酷いことをしてるんだから当然殺されると思うでしょ。  翌日、そうっと戸を開けると家の外の壁に紅板って赤い紙が張ってあるんです。それに、「あだをもって恩で報ず」と書いてあるんです。恥ずかしくて恥ずかしくて。南京政府がやったと思うんですが、「仇をもつより恩をもて」ということでしょ。自分たちは(戦争に)勝ったけれど報復したらいけないということです。それで私は、こういうお国と戦って負けるのは当たり前だと思いました。』 こちら(福岡県弁護士会:弁護士会の読書)の3月11日、5月30日にある「南京事件論争史」もお読みになってみてはどうでしょう。 http://www.fben.jp/bookcolumn/cat26/ 引用 『昭和天皇の弟である三笠宮崇仁の『古代オリエント史と私』(学生社、1984年)にも、「日本軍の残虐行為を知らされました」と書かれています。』 『 南京事件は、南京攻略の過程で起きたことではなく、12月17日の南京入城式のあと、兵士たちの休養期間に多発している。南京事件でもっとも犠牲者数が膨大だったのは、中国軍の投降兵、捕虜、敗残兵の殺害であった。そして、違法行為であるとの自覚のもと、徹底して証拠隠滅が図られた。』 とあるように、南京攻略の数日間(幕府山事件は12月16日から17日にかけてですが)よりも、入城してから占領後のほうが犠牲者が多いです。 これは前述のおじいさんの証言やその他の証言にも合致します。、占領してからあと、民間人を処刑していったようです。 また便衣兵というのはよく出てくる言葉ですが、南京攻略時点で便衣兵戦術は確認されていません。よく便衣兵と見分けがつかなかったからしょうがないと言う記述をネットで見かけますが、これは論理的ではないです。 この辺は前述参考URLにある「南京事件 小さな資料集」の「南京事件 初歩の初歩」にありますので、ご覧下さい。 http://www.geocities.jp/yu77799/ 上記、 質問者さんの考察のヒントになれば幸いです。 この手のお話は思想の偏った人によって、都合の良い事実のみ利用しようとしたり、または都合の悪い事実を否定して歪曲しようとしたりしますが、どちらもくだらないと思います。 私にとっては右も左も下も斜めもどうでもいいです。。 私は理系なんで、事実は事実として認識するだけです。

rasami
質問者

お礼

長いコメントありがとうございます。 さらに学ばさせていただきます。 気になるのは、なんで中国人には残虐的だったのでしょうか?。 他のアジアの方々と比べると、日本に協力的でないために扱いにくかったからでしょうか?。 それとも、米英に対しても、同じようなことをしていたのでしょうか? 中国へ対してだけの行為だった場合、そうなった理由が知りたいと思っています。 私も理系なので、bboitsuさんと同じく事実は事実として認識したいと思っています。

  • bboitsu
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.7

ありゃ、特定ページを載せちゃいました 資料集リンクとしてはコチラを載せたほうが良かったですね。 失礼しました。 http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm SF作家である山本弘が事実のみを元にしてますので、イデオロギーに偏ってない物としてはいいかと思います。

rasami
質問者

お礼

再度ありがとうございます。 早速、山本弘さんの「神は沈黙せず」を読んでみました。 やはり、目撃者や多数の日記などはすべて否定できないと思いました。 捏造やウソもあると思いますけど、すべての人がそうではないはずなので、 少なからず、虐殺的なことはあったのかなという認識です。 次は、その理由を調べてみたいと思います。 特に、民間人への残虐行為は、戦争時なので数件はあると思っていますが、その数件を元に、拡大し誇張表現するのはおかしいので、 捕虜の大量殺害の理由を調べてみたいと思いました。 (また民間人への残虐行為は、中国は便衣兵がいるので、他の戦地よりも多いというのは確実になります。しかしここの数は調べることができないいですよね) 大きな理由の仮説として、 便衣兵狩りなのか、捕虜を養う食料がなかったから殺害したのか、 ただ南京だけ取り上げられているけど、戦争では通常の行為なのか、 (捕虜虐殺は国際法違反だが。。。) もっとつっこむと、 現在の認識は、日本軍の作戦や戦略として大量の虐殺はなく、複数の兵の暴走でなのだと思っておりますが、その理由を知りたいと思います。 単なる暴走であれば、他の国での戦地でも起こりうることで、 それは、実際日本の他の戦地でも起こっていることで、ただ南京だけクローズアップされているのか、(日本以外ではソ連兵の残虐な話は有名ですね)、軍則が世界一きびしいと言われた日本で、規則が破られた理由は、南京での上官の管理が甘かったのか、またはそれを上回るほど、中国兵が残虐で殺すしかなかったのか。 調べてみてわからない部分は、また教えてGOOで質問させてもらおうかと思います。

  • bboitsu
  • ベストアンサー率29% (38/127)
回答No.6

ここなんかいいんじゃないでしょうか。 http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin01.htm

rasami
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 とてもわかりやすいページだと思いました。 さらにゆっくり理解を深めていきたいと思います。

  • wangwinf
  • ベストアンサー率21% (14/64)
回答No.5

書籍は以下のあたりが定番です 秦郁彦『南京事件』(中公新書) 笠原十九司『南京事件』(岩波新書) 洞富雄 編『日中戦争 南京大残虐事件資料集』(青木書店) 第1巻 極東国際軍事裁判関係資料編 第2巻 英文資料編 南京戦史編集委員会『南京戦史』(偕行社) 南京戦史編集委員会『南京戦史資料集I』(偕行社) 南京戦史編集委員会『南京戦史資料集II』(偕行社) 幕府山事件に特記しているものといえば 小野賢二「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」 大月書店 ですかね。 サイトは次のあたりですね。 http://www.geocities.jp/yu77799/ http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/

rasami
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 やはり「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」ですね。 値段が高いので、その本を分析したものは見たことがあります。 まずは、WEBページから調べてみたいと思います。

  • k762
  • ベストアンサー率31% (42/133)
回答No.4

偕行社 「南京戦史」が日本側の研究資料です。

rasami
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 早速調べてみます。

関連するQ&A