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武士と差別。急いでます!

なぜ武士はたくさん人を殺したりしたのに差別されずに政権までつくれたのですか? 牛や馬を殺す人は差別されて身分も低かったのに、人を殺す武士の身分が高かった理由がいまいちわかりません。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#25898
noname#25898
回答No.3

武士が政権を執る前に貴族が政権を握っていました。 貴族社会が破綻しかけた時、いろいろと、物騒ですから、セキュリティのために武士を雇いました。 そうして、武士たちが、だんだん力をつけていきました。 そうして、小さい国に分かれて、戦いあって、幕府を開いていきました。 いくつかの幕府が破綻して、徳川家康が武士の頂点に立つ者として、為政者になりました。 馬や牛を殺す者を士農工商の以下とさせたのは、農工商の下の存在を作ることによって、不満を持たせないなどの理由です。 例えば、江戸城で、刀を抜いて人に切りつけてはいけないというルールは、現在でも通じますが、当時のルールと、倫理、道徳は、今とは、違います。 農工商の人たちは、何も生み出さない、流通させない武士を養っている感覚だと思います。

gonao
質問者

お礼

えた、ひにん(変換できない)はそういう役割があったんですね!! ありがとうございます!参考にさせていただきます。

その他の回答 (3)

  • rczd
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回答No.4

日本で最初に政権を作ったのは、大和朝廷です。この大和朝廷ですら、武力を使って政権を作りました。 大和朝廷は後に「朝廷」と呼ばれ、朝廷の一員である天皇家と高級貴族(藤原摂関家を筆頭とする公家)が政権の実権を握ります。 その実権を握りながらも、政権本来が持っていなければならない武力を放棄してしまい、源平の世を作ってしまったのです。 現代の世でも、武力を持っているところに政権があることがあります。 「シビリアンコントロール(意味がわからなければ、参考URLから調べてみてください)」が上手にできるところもありますが、天皇家・摂関家はシビリアンコントロールが結局は失敗してしまいました。ですので、武家が政権を握ることになったのです。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
gonao
質問者

お礼

ありがとうございます! 武力と政権の関係など大変勉強になりました。参考にさせていただきます。

回答No.2

武士も、足軽などの下級武士は、町人層から侮蔑的に扱われることも多かったそうですよ。表立っては頭を下げている町人も、実は貧乏武士を馬鹿にしていたそうです。 幕末近くになると、富裕な町人、豪商が大きな力を持つようになり、平均的武士よりよほどお金持ちで、藩や幕府にも内実は大きな顔が出来るようになりました。 ただ、江戸時代後半の武士は、武力というよりは、官僚・役人として国を支配していたので、国家機構を担う人達という意味で権力を持っていたと思います。 今でも、官僚や公務員は、国家や地方行政上の権力を持っていますよね。それと似ています。

gonao
質問者

お礼

ありがとうございます。 いつの世も貧乏人は馬鹿にされちゃうんですね・・・ 参考にさせていただきます!

noname#24295
noname#24295
回答No.1

武士にも差別はありましたよ。 上は将軍や家老や大大名から下は足軽まであり、土佐では上士が郷士を差別虐待していたし。 人を殺せる、つまり武力があるから、農工商を支配できたのです。

gonao
質問者

お礼

ありがとうございます! 武士の中にも差別があったんですね、参考にさせていただきます。

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