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大名は武士の一種ですか?
武士というのは一種の身分で、古くからの血筋や家柄でなるものだと思っていました。 しかしながら、油売りや百姓から大名になった人がいます。 大名も武士の一種だと思うのですが違うのでしょうか? それとも、頑張れば血筋がなくても武士ってなれますか?? ていうか、そもそも家柄で武士って決まってるって思ってる僕自体間違いでしょうか??? 何がなんだかわからなくなってきました。助けてください。
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大名も武士です、 武士の親方です 基本的には武士は血筋ですが、そうでない場合もあります、権利をお金でかったりもしましたよね 、変わる事のない身分として確立したのは江戸時代以降の話です、江戸時代以降でもお金でその身分を売買していたケースも多々ありますが 厳密に言えば農民も先祖は元武士である場合が大きいです 畑を耕していたもの達が武器を持ち自分たちの領土を守ったのが武士の始まりなのですから
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- suicyo
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皇族や公家が血統での固定身分なのに対し、武家は案外フリーです。 もともと武家は政権交代の度に序列が大きく変動するので、変動期に実力を持つか実力者に重用されば、前の身分などは問われないのは秀吉などを見れば分かる通りです。 戦国時代には、百姓町人以外にも公家・社家からの大名への転身組もいます。 領地の防衛のために地方に下った公家が戦国大名になったり(土佐一条など)、公家の庶流が土着して戦国大名になったとされるケース(西園寺・浅井など)や、和歌山の日前宮の神官である紀国造家が戦国大名化している例など。 江戸時代に入り身分が固定とされた後でも、身内の婚姻によって公家・町人(公家侍)からの大名への転身組もいます。 吉井松平家 公家→幕臣→大名 徳川家光正室鷹司孝子の弟の信平が幕臣に登用され、孫の代に加増され大名となる 本庄家 町人(公家侍)→幕臣→大名 徳川綱吉生母桂昌院の異父弟本庄宗資が幕臣に登用された後、加増されて大名となる。本庄宗資はもとは公家に仕える公家侍であったが、公家侍の下層部は結構怪しい身分で、町人の名誉職のような側面もあった。
お礼
武家は案外フリーなことがよくわかりました! 具体的な例を出していただきとてもわかりやすいです! こういった様々な流れがあって武士が形成されていったのですね。 江戸以降も転身した人がいたとは驚きです! どうもありがとうございました。
- jo-zen
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以下のURLを参考にしてみてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB 『室町・戦国期になると武士身分の拡散が大きくなり、狭義の武士同士の主従関係のほかに、本来は百姓身分でありながら狭義の武士の支配する所領の名主層から軍役を通じて主従関係を持つようになった広義の武士としての地侍などが登場する。』戦国期には、下剋上その他により、油売りや百姓から士分を得て、最終的に大名になったものもなくはありませんが、それはあくまで混乱期であったからであって、制度の確立した江戸初期以降は血筋や家柄でなるものだったのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8D
お礼
江戸以前と以降では武士という存在も大きく違うのですね。 そのあたりの解釈がごっちゃになってたのが混乱の元だと思いました。 どうもありがとうございます。
- 植松 一三(@jf2kgu)
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一般的に大名と言われているのは1万石以上の禄高が有る武士を指しますが幕末近くになると借金のかたに大名の名前を売ったり借金のかたに入れて没収された為に油売りとか百姓もなれたかもしれませんねですが正式に大名と言われるには1万石以上の武士だけと思います
お礼
なるほど!大名とはそういう定義だったんですね。どうもありがとうございます。 それにしても油売りから大名になれたら嬉しいけど、 大名から油売りになっちゃうのはちょっと悲しいですね・・。
お礼
ありがとうございます。 やはり、大名も武士ですよね。 武士という身分はあまり血筋でがちがちというわけでもなかったんですね!