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会計士合格後の就職について
現在32歳で会計士をめざして勉強中です。この年で合格して働き口があるのか不安です。監査法人、会計事務所などに就職できるのでしょうか。他で就職したことがなく、大学も中退してます。
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先に要点を申しますと、非常にリスクが大きすぎると思います。 あなたの想像以上にネガティブな要素が多いと思います。 障害を一つ越えてもすぐ次の障害が現れますが、その際のストレスは多大です。 それら障害をすべて乗り越えることは決して不可能では、ありませんから、もし挑戦すると決心したなら、どんなことがあっても諦めず、なおかつどんな困難があっても明るく前向きな気持を忘れず、決して他人や不運や世の中のことを怨んで被害者意識を持たないことが必要ですが、生半可なことではありません。 又どんなにベストを尽くしても、自分が想定したとおりにすんなりとは行きません。 また一度スタートしたら決して途中で方向転換はできません。とにかく試験に合格し、会計士登録をし、その業務で同業者に一目置かれるところまで行くしかありません。もし途中で脱落したら、一生の心の傷になります。はっきり言って、国立大を卒業し、会計士に合格し、監査法人に就職したものの、期待と現実の違いに戸惑い、人間的に、精神的に、異常になった人はこの業界に少なくありません。 それがスタート時点でハンディキャップがある人ならば、常に苦労を背負い込みますから、その覚悟が必要です。 参考になると思いますので、私の経験をお伝えします。 私は現在45歳の会計士です。大学卒業後、訳ありで親の反対を振り切って、町の魚屋で包丁仕事を5年しました。この経験がその後私のハンディキャップになりました(少なくとも自分でそう思っていた)。そして28歳でこのままでは先行き暗いと思い、資格を取ろうという気持になりました。当時はバブルの絶頂時で、同級生達の羽振りの良さがまぶしかったものです。魚屋開業目指して貯めた貯金を糧に、仕事を辞めて早朝から深夜まで会計士受験勉強だけの暮らしを開始しました。そして運良く31歳の時、3度目の受験で合格できましたが、その時までの苦労はいくら語っても語り切れません(受験中の様子や勉強法について語ると一冊の本ができますので、省略)。しかし楽しみにした試験合格後の暮らしもひどいものでした。 私が合格する前年までは、合格者700人に対して、大手監査法人の求人がそれを上回っていました。しかし私の合格年には、バブル崩壊後の新規上場数の冷え込みの影響で、大手監査法人が揃って求人を手控えるようになりました。たぶん10数年来で初めてのことでしょう。 大手監査法人の求人数は、合計でせいぜい200人前後、30歳の年齢制限あり、英語の筆記試験、面接、グループディスカッション等で何とか採用お断りをしようという様子でした。その年のことは会計士補問題として取上げられましたが、その年に合格した人は本当に不幸でしたね。夜間の補修所に行くと、3分の1は私服で就職できない人でしたが、本当に肩身が狭かったものです。私も中小監査法人、最後は監査の業務補助さえ出来るならどこでもよいと小さな会計事務所も15件以上求職に回りましたが、結局駄目だったので、1年間就職浪人しました。 翌年も翌々年も求職難の状況は同じでしたが、私は翌年ハローワークでたまたま見つけた職員3人のIPO支援もしている会計事務所に採用していただき、その先生のお知り合いが大手監査法人の代表社員であることから、その監査法人のパートとして業務補助することができました。この小さな会計事務所の先生は妙な方で、随分いじめられました。毎日「ばか、お前は小学生以下だ」と怒鳴られました。プライドをずたずたにされました。2年間のうちただ1日だけ高熱で休みましたが、その後1週間愚痴られました。3次試験受験資格が得られる2年間は、薄給(年収300万円)で毎日バカ呼ばわり、怒鳴られながらも物凄く作業スピードを要求されたりハイプレッシャーのために、胃炎に悩まされ熟睡も出来ず毎朝出社拒否症と戦いながら耐えに耐えました。 この事務所では大概の新人職員が1ヶ月以内で辞めるそうです。結構そういう厳しすぎる先生はこの業界多いので注意してください。 2年で転職した税理士事務所では、記帳代行の膨大な単純作業に明け暮れたり、会計士(補)だからこれ位当然わかるでしょうと言って、不慣れな税務の複雑なもの、税務署との困難な折衝をさせられまして、大失敗をしてしまい、事務所職員50人の前で頭を下げたこともあります。今思えば恐ろしく薄給(480万円)であるものの5年間いろんな経験をして頑張ったものです。ここに在籍中に3次試験に合格し会計士登録しました。その後ネットバブル直後に中堅監査法人に年俸700万で転職し、ようやく本来の監査業務、IPO支援を3年従事し、運良く外資系事務所出身で辣腕の会計士に監査手法を徹底的に教えて貰ったおかげで、その後は監査・IPO・税務がわかるとして同僚に一目置かれるようになりました。ここでも仕事のプレッシャーとストレスは大変でしたが、力がついてきたせいか、なんとかなっていました。 ただ常に元魚屋というレッテルは、金融機関や一般事業会社出身の方の前では話題にしにくいという不便さはありました。 その後リストラコンサルティング会社に出向し、財務リストラ、デューデリ、事業再生・改善コンサルに従事する中で、クライアント企業の人とは私が元魚屋だということが面白い親しみ安いプラス要素として話題にできることがわかり、自分の個性として受け止められるようになりました。その後私は勤め先を辞めて自分の事務所を開設しましたが、このコンサルティング会社にいる際に、業務効率の改善、職員のスキルアップのための社内研修や活動をしたことがきっかけで、役員に気に入っていただくことになったり、一緒に仕事した人たちが私の会計士としてコンサルタントとしての能力経験を頼ったことから、独立後も外注契約としてコンサルの手伝いをすることができました。これもプライドを捨てて、いつも謙虚で穏やかで前向きな人間性に好感を持っていただいたからだと思います。ちなみに現在の年収は2000万円、ただし事務所経費、人件費等を除くと所得は1300万円位です。 監査法人やコンサル会社の職員として上に行けばもっと所得はあがるかもしれませんが、今の私は45歳にしてようやく自分の意思であまり他人に理不尽な要求もされることなく、充実し納得できる毎日を送れるようになりました。これから自分の事務所を大きくしていくために画策する毎日です。 私の経験は、他人から見ると結果的にうまくやってると見えると思います。私の知り合いの同期位の会計士と較べると毎日の満足度充実度で言えば、上の部類でしょう。また大学の同期に較べれば確実に上の上でしょう。 ここまで読んでいただけるとおわかりのように、かなりネガティブなことは書き出すときりがないのですが、一方でどんな状況でもプラスの結果に転換する気力と性格があれば、いつかなんとかなるということも強調したいと思います。 私はあなたがどんな方かわかりませんし、今後どう変化するかわかりませんが、もし私が親であれば、子供に何もこんな苦労の種を拾いに行くようなことはしないで欲しいと思います。親自身が心配で心配でたまらないでしょう。受験勉強中は、親は親戚に会って息子のことを聞かれるとつらかったようです。私も合格するまで親戚には一切会えませんでした。それをプレッシャーにして、必ず合格し必ずのし上がるという自信があるならOKです。 32歳で勉強中だそうですが、 勉強期間は何年でしょうか?許される受験回数は3回から多くても5回までです。それ以上の人は、厳しいことを言いますが、残念ながら要領が悪い、知的能力が低い、そして会計士になったとして能力が低いです。周りも口にこそだしませんが、明らかにそのように見ますし、実際ほぼそのとおりです。 採用、昇進で非常に不利です。 受験中に経験する問題傾向・受験環境の分析、短期間で大量の知識を整理加工習得、アウトプット技術、本試験でのスケジュールに合わせて、精緻な計画に基づき、毎月毎週進捗管理しPDCAを回す、テクニックスキルだけでなく最高のパフォーマンスを求めて自分のマインドもコントロールする。まさに私のコンサルティング内容そのものです。 多くの会計士、多くのクライアント企業の社員を見ていますが、能力の個人差は非常に大きいです。 ただ会計士の末席を汚すだけでプライドが満足ならば、最近の大手監査法人による内部統制コンサルのための求人増に乗って、監査法人に入ることは可能だと思います。 ただし監査法人に入ると自分より10歳近く若いエリート然の生意気で人使いの荒いだけど能力的に全く構わない上司の指図で仕事をしなくちゃならないと思ってください。もし自分との折り合いや仕事の要領が悪ければ「使えないやつ」というレッテルを貼られることもあり。。 あと私が気になるのは、大学中退は別によいのですが、32歳まで就職経験が無いということです。 いったいどのように考え何をしていたのですか?そこからどういった反省に基づいて今の行動があるのですか? このような質問を今後一生の間、初めて会う人会う人にされるはずです。それに回答するには、自分自身に真正面から向き合って、もし恥ずかしいことがあっても正直にそれを話せる大らかさを持って今前向きに努力しているというように自分の経験を整理する必要があります。 あと会計士試験に合格して会計士になること、監査法人に入ることがゴールだとすると危険だということを最後に申し添えます。 実際はその後のほうが大変なストレスに悩む経験をしますから。。。 受験時代は、精神的余裕が無いので、私の盛り沢山のアドバイスは、耳に痛いと思いますし、全部受け止めきれないかもしれません。 また厳しいことを随分書きましたが、本当は書ききれない厳しい現実が実はもっとたくさんあります。 厳しい現実に負けない「強さ・勇気・タフネス」がなけば、どんな世界でも生きてはいけません。社会に出ると他人は全く誰も自分をかまってくれません。自分を守るのは自分だけです。 どんなことがあっても他人や世の中や運などのせいにしないで、今自分は何をすればよいだろうかということに集中して前向きに行動する「強さ・勇気・タフネス」があれば大丈夫です。 少し自分の愚痴が混じっていた感がありますが、経験した事実及び聞いた事実内容は全く歪曲していません。 参考にしてご自分の未来ご自分で作ってください。 この回答を書きながら私自身の頭の整理もさせていただきました。 ありがとうございました。
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「将の九変の利に通じる者は、用兵の法を知る」 19751107さんの目標は「会計士になること」でしょうか、「きちんと自立した社会人になること」でしょうか? お礼のところを読みましたがどうも後者のような気がするのでそのつもりで書きます。 会計士もそうですが就職状況というのは社会情勢・経済情勢に大きく左右されます。 ですから現在会計士が不足して試験に受かれば職に就けるとしても数年後はわかりません。 一番悲惨なのは結局受からず就職しようと思ってもそのときに再び景気が悪くなっていることですね。 自分であれば、せっかく雇用が拡大しつつある今のうちに職を探します。 もちろん厳しいでしょうけど、不景気の時に探すよりはましだと思います(しかもその時までに年齢差別がなくなっているとは限らない)。 まずは一旦就職し、社会の動きを見ながら会計士試験に挑戦するか決めるということも選択肢として考えておく必要があるのではないでしょうか。 会計士の合格者は増やす方向にあるので、後になるほど試験は易しくなると思われます(その意味でも難しいうちに挑戦することが得策かどうか疑問)。 しかしその分、試験に合格したという以外のバックグラウンドも今より見られるでしょう(アメリカの弁護士や会計士を見ていると)。 ですからまずは職務経験を作る。 その後の方針は状況を見て判断する。 自分ならそうします。 冒頭に書いたのは孫子の兵法の一文で、状況に応じて戦い方を変える事の重要性を説くものです。 余談ですが4さんのご回答は興味深かったです。
お礼
回答ありがとうございます。 会計士か自立した社会人のどちらが目標かということですが、今現在は両方です。 ただ、おっしゃるとおり状況を考える必要はあると思うので今年の試験が終わってから、考えようとおみます。
- joshy
- ベストアンサー率100% (1/1)
ご自分の過去や今の状況についてかなり冷静かつ客観的に捉えていらっしゃるようですね。 またある程度の挫折感は多少の苦労も苦労と感ぜずに前進する大きな原動力になります。 そして他人の耳に痛い言葉を一旦受け入れる素直さがあれば、遅いか早いかの違いはあるものの、確実に前進できます。 あなたもそういう素直さという大変優れた性格をお持ちのようなので、安心しました。 私の会計士仲間で、高校中退したものの乱れた暮らしに嫌気がさし、大検後明治大に進学、大学は殆ど卒業しただけ、専ら会計士受験生活を送り卒業数年後に合格した男がいました。 彼が在学中に私と大原簿記学校で知り合いましたが、年齢差を全く感じない最良の戦友です。 又有名な高校卒業後ずっとプーで28歳で思い立って会計士になったやつもいます。 二人とも熱意と工夫は人一倍です。 すなわちいろんな方がいますので、性格が素直ならば、過去の経歴は乗り切れないハンディキャップではありません。 前回回答でマイナス要素も書きましたが、それでも会計士になりたいという強い気持がなければ、どだい合格するわけありません。 受験中にマイナス要素を言うと合格しにくいという回答はありましたが、私もそう思います。 私の立場としては、合格後の生活に甘い期待を持って受験という大きな犠牲を払い会計士になってから、現実に打ちひしがれるような人が現れてほしくないからです。 私自身がそのような人を何人も部下として見てきて、 他人事とは思えず、何とか自信と実力がつくように見守ってきましたから。 ただ私自身はいろいろな苦労があってもすべて自分が強くなるための良い経験でした。語りつくせませんが、公認会計士になって本当に良かったと思います。 人それぞれ、会計士になっても幸せそうな人と不幸せそうな人がいますし、その他の職種の人も同様です。 ご自分が本当にやりたいことをやってください。 結果はどうあれ、必ず次の展開が見えてくる筈です。 やや抽象的になりましたが、今後数年間の求人状況の観測は他の回答者のいうとおりかもしれませんので、そちらにゆずります。 ただし未来のことは何があるかわかりませんので、最悪のケースをヘッジして腹を括ってチャレンジしてください。 チャレンジする価値は絶対にあります。 追伸.監査法人だけが就職先ではありません。また会計士だから監査をしなければ意味が無いわけでもありません。会計士なのに監査も会計も税務の実務経験もないのに年収ん千万円稼いでいる人もいます。 それにしても将来どこかでお会いしたらお互いピンとくるかも知れませんので、楽しみですね。
お礼
遅くなって申し訳ありません、本当にいろいろありがとうございました。おかげさまで気が楽になりました。 とにかく試験までは無心で勉強して、それからまた改めて考えようとおもいます。
- moqmoqmoq
- ベストアンサー率53% (33/62)
N0.2の方と同じく、私も2,3年のうちに合格すれば前職なしで も大手監査法人で採用してくれると思います。 大手法人の東京事務所はもちろんのこと、その地方事務所も人手不足 ですから、こだわらなければどこにでも就職できると思います。 個人的な経験を言い出すとキリがありませんし、会計士になろう と思うならば、まず試験に合格してそれから考えればいいのでは ないのでしょうか。 勉強している最中から悲観的だと、試験にまで影響が出ますよ。
お礼
遅くなって申し訳ありません、励ましの言葉ありがとうございます。 みなさんのおかげで今は勉強に集中できてます、とにかく試験が終わるまでは前だけ向いてがんばります。
大学中退で32歳で就職したこともないんですよね。 その状況で会計士合格に全てをかけるのはだめですよ。 ・監査法人に全く入れないというわけではない。 ・しかし、会計士は若年層の合格者が多い。 ・どの会社でも中堅の域に入りつつも社会人生活を 送ったことのない人を採用するのはためらうはず もしこのままいって36歳とかになったらどうしますか? 自分ではどう思っていても世間の評価はおじさんですよ? 一刻も早く就職することを勧めます。掲示板で甘いことを 言ってくれる人が貴方の将来の面倒を見てくれるわけではありません。 32才と36才はだいぶ違います。
お礼
ありがとうございます。おっしゃるとおりで、今年最後と思い勉強中です。他の就職口も模索中です。
- newcinema
- ベストアンサー率62% (50/80)
私の見解は、#1と異なり、大手監査法人も可能だと思います。 最近の人手不足は相当に深刻であり、もはやなりふりかまわない状況になっています。 2年前は確かに深刻な就職難があったので、受験生はいったいなんでそんなに違うのか疑問に思われることでしょう。なぜ、こんなことがいえるのかというと、四半期レビューと内部統制報告制度の導入が迫っているからです。監査法人はこれから大変な時代に突入します。 しかし、年齢的に上に行くには無理でしょう。監査法人で上にいこうと考えているなら、28歳くらいまでに入所していたいところです。28歳でもマネージャーになっている人もいるので、本当は遅いくらいですが。 経験を積む場として考えれば、そんなに心配は要りません。 がんばって、とにかく早期に受かってください。あと3年くらいまでなら、いくらでも求人があります。
お礼
本当に励みになります、とにかく経験を積みたいです。今まで怠けていてあまり考えてこなかったので猛省してます。ありがとうございました。
- bonezumi
- ベストアンサー率60% (9/15)
大手監査法人はほぼ無理だと思われます。 30歳以上で入所してくる人はほとんど前職ありです。 小規模の会計事務所ではとってくれるかもしれません。 個人的には税務に携わったほうがいいと思いますよ。 いずれにせよ勉強がんばってください。
お礼
ありがとうございます、税務ですか、参考にします。
補足
あつかましいかと思いますが、税務のことですが、会計士の租税法レベルくらいの知識でもいいんでしょうか?また、税務の方がいいと言われるのは、どういった理由でしょうか?
お礼
遅くなって申し訳ありません。 貴重な体験談ありがとうございます、正直言っていろいろ覚悟はしてますが、厳しい意見を頂くとその時はへこんでしまいます。 こんなに親身にして頂いたので簡単ではありますが、僕の現在までのことを書きます。 高校は県下で一番の進学校に行って無事国立の大学に合格できたのですが、親はそれ以上の大学に行って欲しかったようで予備校に通いました 結局、ほとんど勉強せず二浪した末、東京の私立大学に通うことになりました。 大学に通いだすといろいろなことへの反発心が強くなり、まわりが単位のためにレポートを回したり、出席を頼んだりしてるのが変に思えてきて、ほとんどが部活とバイトの生活でした。 そんな生活が続き、当然ながら留年して四年間を終了した時点で後二年必要でした、僕は大学に魅力がないという感覚だけでやめてしまいました。そのとき24です。 その後かっこだけ会計士を目指し、実際はスロプロをきどってました。 もともと予備校のときから近いことをしていたので当時は自信がありました。稼ぎはそこそこありましたが、社会的生産性のなさと将来性のなさはすぐに感じながらも他にやることもなく惰性で続けていました。 そういう生活が5年くらい続いた30歳のときに父親が病気になり、自分の人生がいかに無責任で幼稚なものであるか痛感しました。 自分を守るのは自分だけ、最近ようやく感じられるようになりました。 今はなくしてしまった、というよりもともと幻だった自信をほんとのものにするためがんばります、将来、部下としてお話して頂ければ幸いです。