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五柳先生伝のここの訳を教えて下さい!
贊曰、黔婁有言、不戚戚於貧賤、不汲汲於富貴。極 其言、茲若人之儔乎。酣觴賦詩、以樂其志。 無懷氏之民歟、葛天氏之民歟。 ここの部分の現代語訳が分かりません。 どなたか教えて下さい!!
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贊・・・功績や人徳をほめたたえる文。 黔婁・・・春秋時代の斉の隠者。清節の士として知られる。 戚戚・・・憂え悲しむさま。 貧賤・・・貧しく身分が低いこと。 汲汲・・・はげむ。忙しいさま。 極・・・岩波文庫の「陶淵明全集」(下)では、「つまるところは」と現代語訳されている。 其言・・・「黔婁(之妻)」の言葉。 (手元のテキストは「黔婁之妻有言」、しかし「黔婁有言」のテキストもあるらしい) 茲若人之儔乎・・・茲コれ若カクノゴトき人の儔トモガラか。 儔・・・たぐい。仲間。 酣觴・・・盛んに酒を飲むこと。「酣」は「たけなわ」「楽しむ」、「觴」は「さかずき」の意。 志・・・前出書では、単に「心」と訳されている。 無懷氏・・・中国古代伝説上の帝王の名。 葛天氏・・・神話伝説上の帝王。帝のすべてが人民に信ぜられ、自然に世の中が治まったという。 古来、陶淵明の自伝と位置付けられてきたが、高士の理想像を描いたと解する方が現代では一般的。 現代語訳? これで十分では?
- zono7
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テキストの一部でしょうか? (1)前後の話はわかりますか? (2)注釈はありますか? (3)書き下し文はできていますか?
補足
賛に曰く、「黔婁言へる有り、『貧銭に戚戚たらず、富貴に汲汲たらずと。』 其の言を極むれば、茲れ若き人の儔か。酣觴して詩を賦し、以て其の志を楽しましむ。 無懷氏の民か、葛天氏の民かと。」 この文は最後の部分のものです。 書き下し文は上の通りです。 注釈は分かりかねますが・・・。 最初の部分の現代語訳は下の通りです。 これに上の文が続きます。 先生は、どこの人か分からない。姓や字もさだかではない。 家の傍に五本の柳の木があった。そのため、五柳を号とした。 先生は、ものしずかで、言葉数も少なく、名誉や利益をほしがらなかった。読書を好むが、十分に理解しようとはしなかった。意にかなうことがある度に喜んでは、食事することも忘れた。 生まれつき酒を好んだが、家が貧しいため、いつも必ず酒を得ることはできなかった。親戚や旧友は、先生の状況が、このような次第だと分かっていたので、しばしば酒を準備しては、先生を招待した。飲みに行けば、必ず飲み尽くし、目当ては必ず酔っぱらうことにあった。酔ってしまえば退席して、いつまでもぐずぐずしたことはなかった。 家の周りのかきねは、がらんとして、立派な住居ではなく、風や日光をおおい防ぐことはない。粗末な木綿の粗布の衣服、ツギだらけの着物。飲食物の容器が、しばしば空っぽになることもあったが、陶淵明は安らかで落ち着いていた。 常に書物や文字に書きあらわして自分でたのしみ、少しだけ自分自身のこころざしを持ち、損得を考えなかった。 このような次第で、自分の人生を終えた。 どうぞよろしくお願いします!
お礼
ありがとうございます! これを参考に自分で頑張って訳してみようと思います!