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江戸時代以前のスポーツ
江戸時代以前の日本では、(公家の蹴鞠は別にして)あまり球技が行われていなかったイメージがあるのですが、実際はどうだったのでしょうか? 昔はスポーツといっても剣道や弓道など「道」や教育に通じるものばかりだった印象ですが、一般の人が純粋にスポーツとして楽しんでいたものはあったのでしょうか? 相撲などは一般の人もやっていたのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
スポーツはなかった。 スポーツの発見は、欧州においては19世紀です。 アジア圏においては、中国・朝鮮なのでは、体を動かすことは下層階級のやることだとされていました。 日本においても、基本的な発想は同じで、質問者のおっしゃる「道」というのも、明治以降の話です。江戸期においては剣術・武術であり、あくまで、武士が義務として行っておりました。
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- nemosan
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No.6の回答にもあるけど、農村等では『力比べ』が有名ですね。 「力石について」 http://www.oct.zaq.ne.jp/hori-jinja/keidai/tikara/tikaraisi.htm 「力餅会陽」←巨大な餅を持って歩き比べる行事。 http://www14.plala.or.jp/mimasaka/news/200602/200602-02.htm 「釣り」もメジャーなスポーツだったのでは? http://www1.cds.ne.jp/~room/muryouan/ten/ten_kongetunohonn_2004_1.html ちなみに「酒合戦」という競技もあったらしいが… http://blog.so-net.ne.jp/gillman/2006-08-16
お礼
お礼が遅くなりすみません。 URLを貼ってくださりありがとうございます。 釣りは、スポーツという概念があったかどうかは別にして、メジャーだったのでしょうね。 ありがとうございました!
- Pinhole-09
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辞典によると公卿の遊びに蹴鞠と打毬があったそうですが、庶民的なものではありません。 相撲は本来宮中節会で儀式のひとつでしたが、頼朝、信長はよく上覧相撲を催したそうで、これは遊びでスポーツとも見られるでしょう。 頼朝は神事に事寄せたそうですが、信長は違うでしょう。 庶民も草相撲を楽しんだと思います。 室町期の勧進相撲は一般人の飛び入り歓迎で、これはスポーツでしょう。 農村では神事として綱引きがありました。 占い事で勝敗はあらかじめ、決まっていたのもあるようですが、真剣に引き合っていたのもあると思います。 いまでも力石がある神社があります。 これも神事が元ですが、のちには村の力自慢が集まり、力比べをして楽しんだものです。 このほかの種々の力比べと共に広く楽しまれたでしょう。 競争、競泳は不明ですが、なかったのかな?。 ただしこれ等の遊びは生活基盤が出来てからで、食うや食わずでは真剣な神事だった筈です。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 農村では神事として綱引きを行っていたのですね。 力比べも楽しんでいたのですね。 私は、江戸時代の農民は、そんなに食うに困ってなかった印象があるのですが、スポーツを生み出すほどの余裕はなかったのでしょうね。 ありがとうございました!
シャトルコックを使うバドミントンを球技とするなら、はねつきは、球技になりませんかね。 邪気を払う(だから、木の部分が黒)縁起ものだから、正月だけしかしないようですが。 まりつきは、技の出来を競うのだから、球技というより、新体操のジャンルですね。 サッカー、バスケット、野球の類似系は、どう考えても思いつきません。 相撲は、発祥が、金沢のほうで、江戸に伝播する経緯で、村相撲として、定着したところは、あると思います。 水泳などは、お殿様の好み次第で、盛んになった地方もあると思います。 個人競技のみで、団体競技は、発達していなかったと、考えるのが妥当でしょうか。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 羽根突きなどは庶民がやってる行事だったのでしょうか。 あまり考えてみたこともなかったです。 相撲の発祥は金沢の方なのですね。 水泳は行われていた地方もあるかもしれないのですね。 ありがとうございました!
- babel3
- ベストアンサー率27% (9/33)
相撲も本来は神事というか祭事に奉納で行われていた、という面と、 当然、村相撲など力比べ、遊びの面もあったはずです。 本式のものは神事・祭事で行われたでしょうが。 おそらく生活に密着した動作、行為みたいなものから派生したものは、スポーツといわないまでもあったはずです。腕くらべ、力くらべのたぐいですね。牛との力くらべとか。昔話でも妖怪と相撲をとる、金太郎と熊が相撲をとる、など… 武士は江戸時代以降は行政官になってしまって武術を怠っていましたが戦国時代までは生き抜くための術、技で当然日常的に修練していたでしょう。 遊びは余暇がなければできません。そこらへんを考えれば貴族には遊びがあり、普通の人々は祭りの際に腕自慢をするとかその程度だろうことが予測できるのではないでしょうか。民俗学的にはあまり調べられたことのない分野かもしれませんね。 各地の祭りなどに昔の風習などが残っているかもしれませんよ。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 スポーツという概念が新しいもので、江戸以前はなかったというのは、盲点でした。 遊びは余暇がなければ無理ですよね。 そう考えると、我々の今の暮らしはホントにここ100年・200年の話なのですね。 ありがとうございました!
- Hossi-
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相撲はもともとは現代のようなスポーツというものではなく、神事でした。 いまでも相撲を見ていると儀式の中に神様が絡むことは多いですよね。また、神事のときの名残の動作も多々あります。 細かいところは省略しますが、もともと相撲は勝者と敗者が決まっている演目でした。後世になってそれが分かれて相撲と演劇になりました。 一方、庶民もスポーツというほどではないですが、草野球ならぬ草相撲なんてこともやっており、遊び程度ではやっていたようです。室町ごろになると庶民が相撲をしている絵があったりするので遊びとして楽しんでいたようです。職業としての相撲が出てきたのは江戸時代なので、しそれまでは神事か武士の訓練の一環か、庶民の遊びが相撲でした。 江戸時代以前の日本にもこの相撲のように遊戯のような形のスポーツのようなものはありました。 庶民でも川で泳いだりということはしていましたし、泳ぐのが好きな人は当時なりのレベルで人より早く遠くまで泳ぎたいとかそういうレベルのことはあったと思います。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 相撲も元々は神事で、勝者・敗者が決まっている演目だったのですね。 時代劇で、マラソンをしているシーンが出てきたりしますが、マラソンなども行われていたのでしょうか。 ありがとうございました!
- yama-kichi
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江戸時代以前は戦国の世でもありましたし、士農工商という身分制度があったので、一般の人がスポーツに興じること自体不可能だったと思います。 農民の人々はそれこそ朝から晩まで年中働いていかないといけなかったでしょうし、唯一の娯楽は年に一度の豊作祈願をこめた村祭りなどだけだったと思われます。スポーツなんてやっている暇なんてなかったに違いないと思います。 商人なども娯楽で芝居などを観ることはあったでしょうが・・・。 武士はスポーツというよりは、戦いのため鍛錬として剣や弓術の稽古に励んでいただけと思います。 明治に入って海外から色々なスポーツが来て、ようやくスポーツをする人々が増えてきたのでしょうね(それも一部の人のみでしょうが)。 スポーツを「観るだけの娯楽」としては戦前もあったでしょうが、大げさに言えば、わけ隔てなく一般の方がスポーツを楽しめるようになったのは戦後の高度成長期以降なのではないのでしょうか。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 一般の人がスポーツを楽しめるようになったのは高度経済成長以降ですか。盲点でした。 ありがとうございました!
お礼
お礼が遅くなってすみません。 欧州においても19世紀なのですか。 メソアメリカ文明(オルメカ文明?)では、サッカーみたいな競技をやっていて、負けた方が生贄にされたと大学の教養でならった気がしますが、あれも神事的なものでスポーツとはいえないのかもしれないですね。 武道も明治以降なのですね。それ以前はあくまで義務ですか… 我々が「伝統的」と思いがちなものも、実際は明治以降の話ということが多いのかもしれないですね。 ありがとうございました!