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卑弥呼と天皇の関係

邪馬台国が北九州にあったのなら疑問はないのですが、もし畿内にあった場合は 当時、奈良か大阪にいた天皇勢力とはどんな関係だったのでしょうか? 当時の天皇勢力の範囲も限られていたため、邪馬台国とは共栄共存という感じでしょうか?

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  • hinode11
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回答No.5

邪馬台国は、畿内とは言っても、京都、兵庫、大坂の地域に分布した国です。一方、原大和朝廷(天皇勢力)は大和盆地(奈良盆地)にあった国です。両者は棲み分けていました。魏志倭人伝に登場する狗奴国が原大和朝廷のことです。(邪馬台国が畿内にあったのはほぼ間違いありません。) また魏志倭人伝にある通り、邪馬台国の領袖は女であり、狗奴国の領袖は男(天皇)でした。 両者は国境を接して小競り合いを続け、対立を繰り返し、決して友好な関係ではありませんでした。しかし、邪馬台国が魏朝と晋朝の冊封体制下にある間は、中華皇帝の威光を背景とする邪馬台国の勢力が優っておりました。 武帝が死去して恵帝の時代になると晋朝の内部崩壊が始まり、八王の乱に至って晋朝の権威は地に堕ちました。中華皇帝の威光の凋落は日本にも大きな影響を与えました。邪馬台国の勢力は弱体化し、この時期に原大和朝廷が邪馬台国を制して西日本の統一へ動き出したと見られます。(第八代孝元天皇から第十代崇神天皇のころ)

ps2727
質問者

お礼

これは初めて知った事実です どうもありがとうございます

その他の回答 (6)

回答No.7

卑弥呼の時代は3世紀中頃ですが、この段階で現在の天皇家の先祖による政権が機内に存在したかどうかはわかっていません。 少なくとも大規模古墳が3世紀から畿内地方を中心に造営されることからこの時期が畿内地方の王権が成立時期であることはほぼ確実です。 それが後に天皇家に連なっていきますが、それが「血統による継続」なのか「王権による継続」なのかは天皇陵が調査禁止になっていることもあって定かではありません。 邪馬台国の末裔が天皇家なのかもしれませんし、邪馬台国は王権成立期に存在した国家のひとつにすぎないのかもしれませんし、卑弥呼が天皇家の先祖なのかもしれません。 いずれにせよ邪馬台国は魏志にしか登場してきませんし、日本書紀・古事記は遙か後代の編纂物なのでどこまで事実が書かれているかはっきりしません。 3世紀に天皇家が存在したかどうか、だけで様々な学説が出てきますので、その先の邪馬台国との関係となると現段階では不明とするしかありません。

ps2727
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます

  • koon1600
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回答No.6

ちょっと補足をしておきましょう。 こういった邪馬台国関連の質問で毎回登場する系統なのですが・・絶対に気をつけなければならない回答があります。 ・何が何でも天皇と結び付けようとする回答 ・間違いない、と断言する回答 基本的にはこの2つです。 あの時代、なにせ自国に文字がないのですから「仮説」「俗説」「珍説」「夢物語」の域をでないのです。どんなにがんばって「想像」しても。No4さんが言っておられるとおりです。 なので、間違いない、と言うのがそもそもありえない話ですし、天皇がいた、というのもそもそも不明な話です(古事記の科学的滅茶苦茶さは先に言ったとおり。読んでみるとわかりますよ。中間部で神話の世界と現実世界がごっちゃになっていますから)。 まあ、こういった回答を解くキーワードは「右の方」でしょうかね・・・あまり深く突っ込みませんけどこういった質問をする際は、その人が過去にどういった回答をしているか、ちょっと覗いてみると良いかと。 ちなみに、海外で書かれた日本の記述が、どれだけ現実とかけ離れているかというのを分かりやすく説明すれば・・・ 東方見聞録でしょうかね。 もっとも・・・書いた人の実在自体が疑問視されている書物ですが、日本の記述はこんな具合です。 あの国は大量の金が山ほど取れるので家を金で装飾している。あの国の人間は人肉を食べるのをこの上なく好む。 元寇についてはこうなっています。 元の軍はジパングの都を占領したものの、維持できずに結局退却した。 かなり事実とかけ離れているのが分かりますね。金が取れる、というのは半分ほど合っていますが、他2つは荒唐無稽でしょう。飢餓状態ならともかく、食人の風習は日本には無いですし(ニューギニアにはあるのですけどね)、元寇では大宰府すら陥落していません。世界の形がある程度見えてきた14世紀世紀頭の記述ですらこんな状態なのですから、さらに1000年も昔の記述がどんな状態かは、考えないといけません。

ps2727
質問者

お礼

わかりました どうもありがとうございます

  • nebura71
  • ベストアンサー率23% (177/743)
回答No.4

 本来ならば「不明です」ということなんでしょうが、前提を提示されていますので、仮定での推定を述べます。 >もし畿内にあった場合は  そう。  「もしも」畿内に邪馬台国(邪馬い国?)が存在したと仮定すると、出る可能性は3つ。  1:敵対  2:同盟  3:同一組織  1と3については、皆さんおっしゃるように闇の中ですが、「1:敵対」していたとすると、これはかなり入念に歴史から抹消されていることになります。あり得る話です。  「3:同一組織」ならば話は単純で、魏志倭人伝の記述と日本書紀の記述を合わせたのが「日本古代史」になるという感じでしょうか  別の選択肢として「4:お互いに知らなかった 又は 不干渉だった」というのは、歴史の必然からみてあり得ないでしょう。  問題は、「2:同盟」という場合です。  この場合、邪馬台国は、天孫族と他族を敵として同盟関係にありながら、一方で「倭王」の称号をひそかにもらって自己の支配権を正当化するという外交政策をとっていたことになり、これは非常にしたたかな話です。  これに気づいて危機感を強めた天孫族によって徹底的に殺戮され闇に葬られる・・・というのも、歴史のロマンとしては、面白いでしょう。 ・・・なんですがー、全部安っぽい妄想なんですよねー(-_-;)結局

ps2727
質問者

お礼

No.1~4様、ご回答ありがとうございます やはり不明か仮定の推定になるんですね

  • caesar-x2
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回答No.3

その質問は、どんな高名な専門家に聞いても、 不明としか答えようがないでしょう。 あるいは勝手な想像を語るしかありません。 何一つ確証のあることはないですから。 卑弥呼に関しては、日本側に照合すべき資料がないので、 実在すら不明です。卑弥呼っていう名前は 当時の中国語/古朝鮮語の音を漢字に当てただけなので、 実際の日本名もわかりませんから もし日本側の資料に卑弥呼のことが書かれていたと 仮定しても、それがどれかわからないわけです。 神功皇后=卑弥呼は、何の根拠もないばかりか、 神功皇后自体が実在しない可能性が高いわけですから、 虹を掴むような話なんです。 邪馬壱国についても、魏志倭人伝の記述を信じるのみで、 これも当て字のため、日本での呼称も不明。 実在するとしても、魏志倭人伝の記述の信憑性自体が 疑われているので、その描写が正確かどうかわかりませんから、 たんなる地方政権で、その後滅びた可能性も十分にあります。 逆にその後も続いたと説明している書物はどこにもないので、 大和政権と関係あると考えるのは、単なる暴論に過ぎません。 ちなみにですが、 古事記には、”神武東征”という一大イベントが最初にあります。 この伝説では、スタートが九州の有明海で、出雲の”国譲り”を経て、 畿内に至るので、大和(天皇勢力)が最初から奈良近辺になかったのは確かです。 (ちなみ当時の大阪は湿地/沼地で未開地でした。現在とは地形がまったく違います) 日本の古代伝説は始まりがほとんど九州の地名なので 征服王朝として華南/朝鮮半島からやってきたのではないかと 容易に想像はできるのです。しかしもちろん裏づけとなるようなものは 一切ないわけですが、天から降ってきたのでなければ、 海を渡ってきたのでしょうからね。 九州説の根拠の一つには、この神武東征の解釈が色濃くあるのですが、 しかし古事記や日本書紀には、邪馬壱国と思しき国家は登場しません。 ここら辺も、魏志倭人伝が、上司を満足させるためにテキトーに伝聞だけで書いんちゃうん、と思われている所以です。 邪馬壱国が実在しても、大和政権とは直接関係ないんじゃないかと 考えるのも一つですし、その路線で古代史の全体像を想像することも可能ですし、 逆に何が何でも邪馬壱国と大和政権を関連付けようと こじつけていくことも可能です。 しかしどっちにしても、何らかの記録、文献で確証が得れないので、 どんなに素晴らしいストーリーを作っても、仮説に域を出ることは 絶対にできないのです。 これはタイムマシーンでも登場しないかぎり、永久に解けない謎で、 物理学者の大半がタイムマシーンは不可能と言っているので わからん問題なわけです。

  • tanuki4u
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回答No.2

神功皇后=卑弥呼という説もあります。 基本的に、邪馬台国畿内説では、卑弥呼は天皇家関係の女性をあてているようですよ

  • koon1600
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回答No.1

不明としか言えません。 そもそも、あの時代は良く分かっておらず、実際のところ天皇がいつ頃現れたかもまだいまひとつ不明です。 古事記なんかは2600年前とかなっていますが、人間が130歳以上生きたりとかはっきりいって無茶があり、とてもではないですが鵜呑みに出来ません。 もともと、中国側の資料でのみ断片的に垣間見える時代の話なので、天皇がすでにいたかどうかも不明ですし(まあ、多分いないと考えられますが)、卑弥呼が実際にどういう人物だったかも、同じく不明です。