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『成すある者は、成さざるあり』誰の言葉?

父が結婚式の挨拶に言うらしいのですが、誰の言葉で、本当に『格言』?としてある言葉なのでしょうか?? 27日が結婚式なので申し訳ないのですが分かる方急ぎ教えて下さい。

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  • usagisan
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回答No.1

 孟子の「為すある者は辟(たと)えば井(い)を掘るが若(ごと)し。井を掘ること九仭(きゅうじん)なるも泉に及ばざれば、猶(なお)井を棄つとなすなり。」とか、荀子の「大巧は為さざる所に在り」とか、似た語句はありましたが、今一つピンとこないので、本やらWebやらで探索を続けていましたが、やっとそれかもしれないのに遭遇しました。 参考URLの  http://www.mfi.or.jp/tukinoe/fh4.htm に紹介されている 鄭老画蘭不画土 有為者必有不為 酔来写竹似蘆葉 不作鴎波無節枝 という漢詩です。「七言絶句(しちごんぜっく)」という形式だと思います。  このHPにはあれこれとこの詩に関する事情が説明されているのですが、読解力不足か(自信喪失(--;))作者が誰なのかいまひとつよく分かりません。  ただ、「故宮野正美もいた。官野は渡辺宰山の一幅が欲しくて求め続けていた 」という部分に「宮野」「官野」が続いて出てきているような点から見て、原稿をパソコン(OCR)で読ませたのではないかという気もします。  とすると、「渡辺宰山」「睾山先生写竹時」「この詩は筆山が」というあたりは本来は「崋山」で、ひょっとして、この詩は「蛮社の獄(ばんしゃのごく)」で有名な幕末の蘭学者で画家でもある渡辺崋山の作ではないかという気がするのですが……。 詩そのものは、  鄭老(ていろう)蘭(らん)を画(えが)きて土を画かず  為(な)す有る者は必ず為さざる有り  酔い来たりて竹を写せば葉は葦(あし)に似るも  鴎波(おうは)が節(ふし)無き枝(えだ)を作らず とでも読めばよいのではと思います。  先のHPにあった訳を、私なりに書き換えてみると、 「中国の宋の大臣であった鄭老は、宋の減亡後、蘭を描いた時、根は描いたが土は描かなかった。既に国は滅び、母国の土といえるものは無くなったからだ。(=祖国が失われたことを決して忘れないでいる。)  【いやしくも何かをやり遂げようとする者は、正義に背くからしてはいけない事は、決してないのだと聞いている。】  今酔いにまかせて竹を描いたら、葉は蘆(あし)に似てとても下手だが、  だからといって鴎波つまり宋の皇帝の子孫でありながら、宋の滅亡後、宋を滅ぼした元に仕えて無節操だといわれた趙子昂(ちょうすごう)のような、節(ふし)のない竹の枝は描かないつもりだ(=無節操なことはしないつもりだ)。」 というぐらいの意味になると思います。  これがそうだといいのですが。  お父さんがどんな意味でその格言を使おうとなさっているかがわかれば、もう少し何か分かるかも知れません。余裕が有れば「補足」してください。  とりあえず、期限も迫っていると思いますので、これにて。

参考URL:
http://www.mfi.or.jp/tukinoe/fh4.htm

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