「血」,「出自」にこだわりすぎていない?
ここ最近になって,「純日本人」,「生粋の日本人」という<言葉>が使われるようになりました。そのような<言葉>が使われるようになった背景には,「異質な他者」を<排除>したいという,「排外主義の風潮」が社会のなかで高まっているからだと,わたしは考えます。
「血」や「出自」に<こだわる>ことは,個人のみならず,社会にとって,あるいは,国家にとって「有益」なことでしょうか?
「外国出身の親を持つ身」としては,まるで「優生学,選民思想,あるいは,エスノセントリズム」を突きつけられた気持ちがします。あるいは,みずからの存在を「否定」されたような気持ちもします。
また,ここ最近になって「内向き志向」という批判がされるようになりましたが,「血」や「出自」に<こだわる>ことそのものが「内向き志向」であると,わたしは考えます。
日本国憲法第14条1項
すべて国民は,法の下に平等であつて,人種,信条,性別,社会的身分又は門地により,政治的,経済的又は社会的関係において,差別されない。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ご回答から調べましたら、 ・病気は千もあるが、健康は一つしかない。 とおっしゃっているようですね。 助かりました。ありがとうございます。