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教えてください。よろしくお願いいたします
日本語を勉強している学生です。今日本語の文章を読んでします。わからないところがあります。助けてください。次は今読んでいる文章の一部分です。 汽車や飛行機の中にいる時間はむだな時間である。しかたないからぼんやり窓外を見やって、こんな時間の浪費はなるべく短いほうがよいと思う。しかし分秒を争って駆けつけた目的地での仕事が、窓外の景色以上に価値の高いことであるかどうかは、そう簡単に断定できる問題ではなさそうである。 今日は「時の記念日」だと聞き、光陰矢の如し、時間をたいせつにしようと言われて、なかなかすなおになれない自分に気づいた。分秒に追いかけられる現代の生活が、時間をたいせつにしていることになるのだろうか。テレビで十秒の空白が起こると、永遠の空白にさえ思えるのは、時間を惜しんでいるからだろうか。 (1)「なかなかすなおになれない自分に気づいた。」このセンテンスは何を意味しますか。詳しく説明してくださいませんか。
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前後の文脈がないので、その部分を作者に変わって想像すると。 効率重視で、ものを生産してきた、近代日本。 一分の間に、ものがどのくらいできるかだけをやってきた。 TIME IS MONEY というのは、資本主義のもっとも原理的な事をひと言で言った格言である。 なるほど、金にならない時間は無駄なんだろう、資本主義の近代日本では。 しかし、お金にならない、窓からの景色が、人間の心を豊かにすると言う、お金にならない価値もあるのではないか?それを近代日本は忘れてしまっているのではないか? その無くしてしまった(近代以前の日本の)価値を考えると、すなおに「時間を大切に」=「時は金なり」とあくせくすることがよいこととは、思えない自分がいる。
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- hakobulu
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一般的には「汽車や飛行機の中にいる時間はむだな時間である」と思いがちだ。 なぜなら、「ぼんやり窓外を見やる」という無駄なことしかできないから。 そして、飛行機などで急いで駆けつけた先で待っているのは仕事だから、その仕事に使う時間は価値のあることだと考えるのが普通だろう。 しかし、良く考えてみると次のようにも思う。 「時の記念日」というのは「時間を大切にしよう」という意味で作られたわけだが、「人間にとって、どんな時間が大切なのか」という点について考える人は少ない。 上で述べたような、「ぼんやり窓外を見やる」といったような、一見無駄と思われる行為を余裕を持って楽しむ時間こそが実は大切なのではないか。 慌ただしく何かをしている時間だけが大切で、何もしていない時間は無駄な時間だと本当に言えるのだろうか。 心の中では、「何もしない」という時間も同じぐらい大事なのではないかと思えてくる。 このように、「行動する時間」と「何もしない時間」のどちらも大切なはずだが、 「時間を大切にしよう」と言われると、「忙しく行動する時間」だけが大切だとつい思ってしまう自分がいる。 これが、単純に「時間を大切にしよう」と言われた自分が、【なかなか素直になれない】理由であろう。 ーーーーーーーーーー という趣旨だろうと思われます。
- bookwormjp
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一方では現代の時間に管理された世界にありながら、無為虚空(時から離れ何もせずに過ぎ行くこと)の重要性を意識するようになってきた。そのため時の大切さを説かれても自分はそのまま同意はできない。 そこで「すなおになれない」という表現が使われている。