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独ソ戦はなぜ必要だったんでしょうか?
第2次大戦でドイツがソ連を攻めたわけというのはどういうことだったのでしょうか?そんな必要があったのでしょうか。防衛的な構想から発したのでしょうか?
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中世初期のドイツ領は、現在のオランダ・ベルギーから、カレーやアルザス・ロレーヌなどもドイツ領でした。 一方東部は、ベルリンなどは、ドイツとポーランドとの国境でした。 西部国境は、常にドイツより国力、軍事力、文化で勝るフランスの圧力を受け、後退する一方でした。 また、ドイツ国内は、森林が多く、農作業に適した地域が少なく、すぐに人口過剰や飢饉などに陥りました。 そのためにドイツ人は、ドイツよりも国力に劣る東の国々を圧迫する一方積極的な殖民活動を行いました。 これが、「ドイツ東方殖民」と言い、ドイツ騎士団がひの先方を勤めました。(ドイツ騎士団は、ドイツ東方殖民のために創られた騎士団とも言えます) ドイツ騎士団の徽章は、白地に黒の十字で、鉄十字とも呼ばれ、ドイツのマークとして現在も使用されています。 そのため、ドイツでは、ドイツ東方はドイツの勢力圏とする考え方が古くからあり、ヒトラーもそれを利用したにすぎません。 これは、日本が戦前「満州は日本の生命線」と主張した事と同じで、ドイツ国内の強硬派を味方につけるために主張したため、対フランス戦線が安定化したため、何らかの手を打つ必要に迫られたのだと思います。 ヒトラーとしては、対イギリス戦のけりをつけてからと思っていたようですが、ドイツの世論が、ヒトラーの思惑を超えて暴走しかねない状況を作り出したように思えます。 このへんは、日本が中国との戦争に突入してゆく状況と似ています。
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- pbf
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独ソ戦争の由来をたどると、ときは1940年の末にさかのぼります。 ヒトラーはモロトフ外相に対しソ連が三国同盟に加わりアングロサクソン勢力の打倒を薦めましたが これに対しソ連は以下の代償を要求します。 ・フィンランド及びバルチック海に対する要求 ・ブルガリアにおける軍事基地の確保 ・ボスポラス、ダーダルネス海峡に対する特権 つまりソ連は、北氷洋・バルチック海・地中海及びペルシャ湾という海への出口を求めようとしたのですが、 この要求はバルカン進出でドイツと衝突、地中海進出でイタリアと衝突することとなり、 ヒトラーはこれを拒絶してソ連を撃つ腹を決めたのです。 さて「最初の一撃は日本に撃たしめるのが望ましい」と考えるアメリカにまんまと日本が乗ってしまったように、 ドイツもソ連にしてやられたのではなかろうか、というのが私のつまらない推察です
お礼
ドイツが英ソの日和見的な立場を取っていたのですか。それではやはりだめでしょうね。そんなに「英」を重視する必要があるんでしょうかね。譲れないところが妥協できなかったので独ソ戦になった面もあるのですか。しかし見方を変えれば、英もソも独と結ぶことを全く得策としなかったと言うことなんでしょう。
- aburakuni
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独裁者は「偉大な足跡」を残す事に執念を燃やす一方、情勢分析を自分の都合の良い様に行い勝ちです。 死刑を宣告されたフセインもその典型で、隣国のイランが政権交代で弱体化し米国と敵対しているのを見て、突然侵略を仕掛けて泥沼の戦いに踏み込みました。また湾岸戦争の時には、米国は結局支持してくれると妄信してクエートに侵攻し、ご存知の様な結末に陥りました。 ソビエトは建国以来嫌共産主義連合に包囲され、様々な圧力にさらされていましたが、スターリンがヒットラーと独ソ不可侵条約を結び、しかもドイツ以外のヨーロッパ列強が没落したのを見て安心して国内粛清に邁進していました。さらに組んでポーランドの半分を掠め取ったが、ドイツの勢いからそれ以上の領土拡張は当分無理と判断した事もあったでしょう。 一方、ヒットラーはすでに触れられている様に、当初から対ソ戦争を考えていた節があり(そう思っていた日本は独ソ条約に困惑した)、イギリスとはソ連と戦う事で和解できると考えていました。 所詮個人の判断は間違える事があり、特に独裁者程「人の考え付かない」ユニークな決定をするので、失敗をした場合は他人からは理解不能に見えてしまいます。
お礼
独裁者の状況判断ミスという面も大きいのでしょうね。非常に納得できますね。しかし、イギリスは何で反ソ連にならないのでしょうね。彼岸の火事だからか。
- bossnass
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当時は、必要があったからヒトラーは侵攻を指示したのであり、 ドイツ人はその指示に積極的に従い実行したのです。 歴史の結果を見れば、その浅はかな決断と行動は、愚かな行為にしか 見えないのですが、 当時の(ドイツ人に限らず世界中、いやソ連人も含めた)人々は、 ドイツの成功(ソ連の打倒)率はかなり高いと考えられてました。 なぜ、必要だったか? 当たり前のことながら、歴史は1941年に突然始まった訳では ありません。 ゲルマン人の侵入から始まり、ドイツ統一、ドイツの東方拡大政策と いった歴史的背景の他、1933年のナチス政権誕生は、 東方からの「社会主義の脅威」に対するドイツ人の一つの選択である ことが根幹にあります。 当時の日本もそうなのですが、ソ連からの社会主義の浸透はドイツも 含め当時の列強にとって最も大きな脅威だったのです。 ・・・・その意味から考えると、質問者さんの「防衛的な構想から 発した」という考えは正しいのではないでしょうか。 何も軍事的な「防衛」だけでは無かったのですが。・・・・・・・・ ヒトラーが結果的に大きな誤算だったのが、社会主義の脅威は 英米とも共通の脅威のはずと思い込んでいたことです。 しかし、イギリスが最もいやがることは、ヨーロッパ大陸の中央に 強大な国家ができることだったのです。 それは、21世紀になっても変わりません。 いかに米ソ冷戦、中国の台頭、イスラム圏の混乱が生じようと 独仏の連合やドイツの巨大化だけは許さないのです。 ヒトラーは、このイギリス人の習性を見誤ったためソ連に破れ 破滅していきました。
お礼
イギリスを敵に回すとどうもいけませんね。どういうわけか強いんですね。そして社会主義の排除と言うのが前世紀の世界的課題でした。しかしイギリスはヨーロッパの情勢にどうして気を回したのでしょうね。超大国は放っておいて、準大国に関心があるとは。
- komes
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ドイツは共産主義ソビエトを脅威と考えていました。 いつかはこれを排除しなければ成らないと考えていたのです。 西部戦線でフランスを電撃戦で短時日で占領し、英国上陸を準備したのですが、事前の準備のため英国の制空権を奪う航空戦が成功せず、海軍力が弱体で英国上陸成功のめどが付かなかった為、動員した陸軍兵力が遊ぶことになりました。 これより少し前にスターリンがソ連軍の将校を多数粛清したのでソ連軍は弱体化していました。 この好機を逃さずソ連を攻撃すれば、短時日で征服出来るとドイツは考えたのです。 この為ドイツ軍の総力をあげてソ連に侵攻したのです。 もちろん戦争遂行に必要な資源を獲得する目的もありました。 緒戦はドイツ軍の圧倒的勝利で、多数のソ連軍捕虜を獲得する他、モスクワ前面まで占領する大勝利でしたが、マイナス45度という予想外の寒気と東洋から駆けつけたシベリア師団の反撃にあい攻勢は頓挫、持久戦になって消耗して敗北したのです。 攻勢防御という発想からはじまったのが独ソ戦です。
お礼
そうですね。いつかはけりをつけなければならないと言う感覚はあるのでしょうね。英国上陸用の陸軍が影響したとはしりませんでした。ソ連の弱体化の期を逃さずにと言うことはありますね。
- kawakawakawa13
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ドイツによる対ソ連戦は、大きく2つの意味がありました。 1つは、ヒトラーが著書「我が闘争」で表明したように、ウクライナ等の肥沃な土地を手に入れ、ドイツ民族のものとすること。 2つ目は、ポーランドは両国で分け合ったが、スターリンがこのままおとなしくしているとは思っていず、また、スターリンも、ドイツや東欧諸国に対して侵略行為を準備していたという現実があります。 つまり、「やられる前にゆる」ということです。 スターリンの独裁は、ヒトラーをして不信感を抱かせるに十分であったわけです。
お礼
植民地主義と、防衛戦争的なもののミックスであるということだったならば、非常に納得がいきます。
- yakyutuku
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少し手段と目的を間違えているように思えます。ナチスの主要な目的の一つが、彼らの考える人種主義の実現です。彼らは”ユダヤ人・スラブ人・ロマの人々・黒人・アジア人”を劣等な人種であるとして、ユダヤ人を殲滅し、スラブ人も殲滅、もしくは奴隷とすることを目的としたのです。ついでにいうと増えすぎた人口(ドイツ人のみ)を植民すべき土地を求めたのも戦争(というかその引き金となった領土拡張)の目的です。そして奪うべき土地は劣等人種の住む・人口密度の低い東欧だったのです。つまり西部戦線は(フランスのほうが動員が早いため先に戦端が開かれたものの)後方の余計な戦争であり、東部戦線が主たる目的を持った戦線だったのです。東部戦線は国是だからで、西部戦線こそ後方に牙を向く軍隊があるから一時たたく必要があったのです。
お礼
植民地主義なのでしょうね。しかしそんなにドイツって手狭になっていったのでしょうかね。
攻めなければ攻められた後方の大国だったと言う事です。
お礼
そうかもしれませんね。
お礼
昔ながらの思想があったのですね。西欧(フランス)は先進国でだめ。ならば東方に向かうべし。むべなるかなですね。