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第二次世界大戦でソ連の死者はどうして多いのですか?
下記URLにようと第二次世界大戦による戦死者はソ連がダントツで、1千万から2千万人です。 http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/what.html 数字があいまいすぎるのも気になりますが、数字の多さに疑問が残ります。 ソ連はドイツと戦って勝ったはずです。 ドイツの戦死者よりはるかに多いというのも納得ゆきません。 ソ連はどうしてこんなに多く死者を出したのでしょうか? よろしくお願いします。
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第二次世界大戦前というかドイツとの開戦前、ソ連はスターリンが権力を掌握したところで、独裁者の常として自分の地位を脅かしそうなものやライバルになりそうな人物を次々と粛清してゆきました。 その中にはトハチョフスキー元帥をはじめとする内戦を戦ってきた実戦経験のある有能な軍人も多数含まれ生き延びたのは能力はなくてもスターリンに忠実なものばかりでした。 しかも高級軍人だけではなく、これらの粛清された高級軍人の部下だった佐官・尉官クラスについても粛清されたり強制収容d)に繰られたりして、ほとんどまともな軍隊としての体をなしていませんでした。 そのためドイツが侵攻していたとき(スターリンとしてはドイツとは不可侵条約を結んでいるし、英仏と戦争を始めたところ℃ソ連に攻め込んでくることはあるまいと油断していたものと思われます)ドイツ軍に対抗するだけの能力はなくとくに緒戦ではドイツの機動部隊の前に次々と壊滅し、ソ連はさこへどんどん未経験に近い聴衆兵を前線に送り出してきて人海戦術で兵士の犠牲にはいとわず防衛しようとしましたのでどんどんと犠牲が増えたものです。 この頃、戦線の崩壊を防ぐために退却を許さず、退却してきた兵士を後方の督戦隊が銃殺してしまうことさえありました。 ドイツ軍としても捕虜にしても足手まといになるということで投降してきても捕虜にはせず射殺してしまうこともありました。 そのあたりのことについては戦史にも載っていると思います。
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- ss79
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この問題は色々な要因による結果です。 1.最大なのはスターリンの性格で、恐怖政治により他人を服従させ冷酷な所行も躊躇しない性質でした。 多くの死守命令により損害の拡大を招いたのです。 レニングラード(現在のペテルブルグ)、スターリングラード(現在のボルゴグラード)の死守命令での損害は非常に大きかったのです。 2.ソ連は多民族国家で、相互に敵対心もあり、決して統一団結していたのではありません。 その証拠にソ連の弱体化が起こると各地に分離独立が起こり現状のような有様になりました。 これを祖国防衛に当たらせるには、ある種の強制が必要でした。 当時ソ連は赤軍粛正の為歴戦の将校を失っていたので代わりにイデオロギーに固まった素人の政治将校を設け指揮、督戦に当たらせたので無理な戦闘指揮で損害を増加したのです。 根底には人命軽視の傾向も否定出来ないと思います。 3.ソ連の国土は広大で交通路も未整備な上、鉄道の軌道幅が特殊でした。 この為ドイツ軍は軌道を敷き直しつつ前進しなければならず、冬季戦の用意が不十分でしたので戦車、車両に凍結が起こり機動もままならず、補給が大変でした。 軍馬も立ったまま凍死したといいます。 従って弾薬の不足はしょっちゅうでしたからこれを消耗させる人海戦術による攻撃は有効な手段でもありました。 ソ連の広大な国土の割に人口は多くないにもかかわらず損害が多かったのはこのような特殊事情が複合して起こったものです。
- tanuki4u
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リンク先でも述べているように、非戦闘員の死亡が多かった。そのために、直接国土が戦場になった国の死亡者は多数になります。 例:ソ連や中国、ポーランド(総人口の比率は高い)が多く、早々に降伏したフランスなどは死亡者が少ない。 1,2の方の中に無かった指摘としては、ドイツ側が組織した反共軍の影響もあります。特に、ウクライナやベラルーシなど、ほぼドイツ軍の占領下になったところでは、反ロシア人意識も影響して、ソ連国民がドイツによって、反共軍となり、戦った=死亡したという数字もあります。 あと、推測ですが、1,2の方も指摘していますが、「この際だから、スターリンが殺した数字も、ドイツのせいにしておこう」というのもあったのではないでしょうか。
- buchi-dog
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数年前の映画「スターリングラード」の冒頭で印象的に描写されていましたが、恐怖政治下のソ連では人権意識が極度に薄く、「銃は2名に一丁。撃たれて死んだ兵士の銃を拾って進め。退却したら射殺する」といっためちゃくちゃな指揮が行われていました。これは、朝鮮戦争時の中国や現代の北朝鮮でも同じです。 朝鮮戦争時の米軍将兵の回想で、「中国兵が撃っても撃っても死体の山を越えて次から次へと押し寄せてくる」と、人海戦術の恐怖が語られています。中国人もソ連人も、命が惜しいのは我々現代の日本人と同じです。突撃しないと味方に殺され、あるいは強制収容所に送られるから仕方なく突撃していたのです。 ドイツ軍将兵の回想録でも「ソ連指揮官の無能ぶりには呆れる。何であんなに兵士を犠牲にできるのか」という批判が多く書かれています。