有名な所を列挙すると・・・、
1940年4月8日「ヴェーゼル演習作戦」:ドイツ軍によるノルウェー侵攻作戦。空軍は、空爆で上陸を支援するとともにオスロおよびスタバンゲルに空挺降下を敢行。
1942年「L作戦」:日本軍が実施したスマトラ島南部およびパレンバンの製油所攻略作戦。2月14日に第1挺進団が製油所と飛行場に降下し、同日夜半までに両拠点を占領した。
1942年4月「ヘルクレス作戦」:ドイツ・イタリア両軍による空挺作戦を中心としたマルタ島侵攻作戦計画。(クレタ島への空挺作戦の損害があまりにも大きかった為、実施は見送られた。)
1943年8月「ベナベナ作戦」:ベナベナ基地に空挺部隊を投入、基地を占領し、ニューギニアでの持久体勢の確立を目的に日本陸軍が計画した作戦。(1943年9月に中止される。)
1943年9月「ジャイアントII作戦」:アメリカ軍が計画した、イタリアの首都ローマへの空挺降下作戦。(作戦自体は中止された。)
1943年10月28日「ブリスフル作戦」:ソロモン諸島のブーゲンビル島を攻略する為、その前段階としてチョイセル島を攻略する作戦。アメリカの第2海兵パラシュート大隊が空挺降下しチョイセル島を占領した。
1944年3月「サースデー作戦」:イギリス陸軍によるビルマ方面の日本軍を攪乱し、後方の補給線に攻撃を加える作戦。
1944年5月24日「義号作戦」:日本陸軍が実施した沖縄のアメリカ軍航空基地に空挺強襲を行った作戦。
1944年6月20日「ゲイン作戦」:イギリス陸軍特殊部隊によるオルレアン奇襲作戦。
1944年9月17日「マーケット作戦」:連合軍空挺部隊によるオランダへの降下作戦。「ガーデン作戦」と連動して実施され、一般には「マーケット・ガーデン作戦」と呼ばれる。
1944年12月「和号作戦」:日本陸軍によるレイテ島における戦局の転換を目的とした作戦。第2挺進団を飛行場に降下させ、同時に第26、第16の両師団が進撃を行う計画。
1944年12月「義号作戦」:日本陸軍によるフィリピン南東のハルマヘラ島に隣接するモロタイ島に連合軍が設営した空挺部隊による襲撃。
1944年「チョーカーI作戦」:ドイツの防衛線ジークフリード・ラインに対する連合軍の空挺降下作戦。(計画のみに終わる。)
1944年「サセックス作戦」:ノルマンディ上陸作戦の下調べを目的として、連合軍が実施したフランスへの情報部隊降下作戦。
1945年3月23日「ヴァーシティ作戦」:連合軍が実施したライン川での空挺降下作戦。
1945年「チョーカーII作戦」:フランクフルト付近のライン川への空挺降下作戦。(こちらも計画のみに終わる。)
1945年「エクリプス作戦」(未実施):ドイツが突然崩壊した場合、空挺隊を降下させて首都ベルリンを占領する作戦としてアメリカ軍が計画。
1945年「エフェクティブ作戦」(未実施):ドイツのビジンゲン近くにある飛行場への連合軍による空挺降下作戦計画。
気付いたとは思いますが、ドイツ軍が行った空挺作戦がほとんどありませんよね?
ドイツ軍には空挺作戦のトラウマがあるからです。
1941年5月「メルクーア作戦」:ドイツ軍空挺部隊によるクレタ島侵攻作戦。
クレタ島は、バルカン半島を牽制する基地として非常に意義のある要衝でした。しかし、制海権はイギリス海軍が握っています。
そこで、ヒトラーは、ドイツ空軍空挺部隊司令官のクルト・シュテゥーデント大将が提案した空挺部隊による占領作戦を承認します。
この時、クレタ島にはギリシア本土から撤退してきたギリシア軍とイギリス軍が結集していましたが、その多くは敗残兵であり、占領は容易だと思われました。
しかし、これが大誤算であり、なんとかクレタ島は占領出来たのですが、再起不能とも思われる大損害を受けました。(クレタ島は空挺部隊の墓場。とまで言われた位です。)
以後、ドイツ軍が大規模な空挺作戦を実施する事はありませんでした。
ただ、1943年9月12日、作戦名「ウンターネーメン・アイヒェ」(日本語の柏作戦)で知られる、ムッソリーニ救出作戦である「グラン・サッソ襲撃」も空挺作戦でしょうし、
降下猟兵自体は、「エバン・エマール要塞の占領」や1944年のモンテ・カッシーノの戦い(通常の歩兵として行動し連合軍に「緑の悪魔」のニックネームを付けられます。)、ノルマンディー上陸作戦におけるカランタン防衛戦、イタリアのオルトナの戦い等にも参加しています。
お礼
回答ありがとうございました ドイツはソ連に対して空挺を使ったことがないんですか!!知りませんでした… 空挺を使った作戦を教えてくれてありがとうございます! マーケット・ガーデン作戦って映画の遠すぎた橋ですよね… 自分まだ観てませんが