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独ソ戦 空軍

第2次世界大戦について。 クルスク戦あたりでは、まだドイツ空軍の方が優勢だったと何かに書いてありましたが、いつごろから逆転したのでしょうか。 お手数ですが、教えたください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

独ソ両軍が兵力を集結したクルスク戦では、どちらも2千機程度を参加させており、互角でした。(1943年7月) ところが、同年12月中旬にクレムリンで行なわれた国防委員会で、赤軍参謀本部が算定した戦力比によれば、航空機の数で2.7倍の優勢となっています。作為の加わった数字である可能性もありますが、この時期にルフトヴァッヘがドイツ本土防空のため、東部戦線から撤収したことを考え合わせると、ソ連の方が航空優勢を得ていたのは事実でしょう。

keikaku
質問者

お礼

お礼が遅くなりましたが、丁寧な回答、ありがとうございました。 よくわかりました。

その他の回答 (3)

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.4

クルスク戦ではドイツ軍2000機、ソ連軍2400機が投入され喪失機数はドイツ200機、ソ連1000機となっており航空戦ではドイツ優勢ですが動員機はソ連側が予備機4000機を用意するなどクルスク戦後の逆転を思わせる状況でした。 さらにイタリアの脱落によりイタリア戦線に兵力が削がれ、米英空軍のドイツ本土への航空攻撃が盛んになつて来た為、防空戦闘機隊を編成しなければ成らず、当時のドイツ航空行政は混乱していました。 それやこれやで航空機の生産をどの機種に絞るかきめかねる状態になり さらに米英軍のB17に対抗する親戦闘機への変更があり航空機の増強が停滞しました。  歴戦のパイロットも次第に消耗してきたのもこの頃です。

keikaku
質問者

お礼

お礼が遅くなりましたが、丁寧な回答、ありがとうございました。 航空戦も地上戦とほぼ同時期に転換期を迎えたわけですね。よくわかりました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.3

半角にしたら小数点が見えにくくなりましたので、表記を訂正します。 2.7→2.7

  • KITAIKKI
  • ベストアンサー率55% (462/838)
回答No.1

こんばんは  バルバロッサ作戦の始動以来ルフトバッフェの活躍はといえば、地上戦との絡みもあって、厳密に何年何月まで優勢で、何年何月から苦戦し始めたという定義付けがちょっと難しいと思います。  とはいえ、他の回答者さんたちのご批判を恐れずに言えば、1941年6月から1942年12月までが、ルフトバッフェが春を謳歌した期間で、1943年1月から終戦までが冬の時代と言えるかと思います。つまり1943年初頭からドイツ空軍の凋落が始まったと考えていいのではないでしょうか。  地上戦から言えば、レニングラード攻防戦からハリコフ攻防戦に移るあたりかと思います。逆転の原因についてはここでは長くなりますので避けますが、個人的にはルフトバッフェにまともな重爆撃機と、長距離航行可能な戦闘機があれば、案外バルバロッサ作戦も意外な結果が出た可能性もあったと思うんですけどね(^_^;)

keikaku
質問者

お礼

お礼が遅くなりましたが、丁寧な回答、ありがとうございました。

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