• 締切済み

自分の心が本当に満足して生きるには?

ここ何年間人と接する時から強く感じていたのですが、自分を制御したり、ある意味作ったり、ある意味気を使っている時って、自分はそれが人と関わる上で大切な点だと頭で納得していても、かなり疲れている自分に気づきました。 今思うとそういう時ってかなり心が苦しいです。心が重くなるというか、狭くなる感じです。でも気にしていなかったのですが、最近持病で苦み、恥ずかしながら死にたいと思っていたときに、今まで気を使っていた自分がある意味馬鹿らしく、かなり自分に負担になり卑屈になっていた、自分を見失なっていたという事に気づいたんです。 今はありのままに生きようと決めてから前よりは楽になってはいるのですが、次は果たしてこれが真の自分なんでしょうか?これでいいのでしょうか?といつも自分をださないで制御しっぱなしだった自分としては、こんなに自分をだすことに違和感というか不信感を感じ初めています。 最初ここに平精神を保つにはどうすればいいですか?と書き込もうと思ったんですが、それはありのままに生きていると自分を個性的に表現しているので、正直今まで自分が『こうしたらこうなる』といった考えの枠を持って人と触れ合っていた自分としては、なんとも不安一杯、心配一杯な感じで、更に素の自分なので一喜一憂する事ばかりだからです。 さすがに前に戻りたいほどの不愉快さではないですが、要は他人を尊重しつつ自分の心が本当に(もちろん完璧な人はいないと思いますが、満足の大小という点で)満足(自信とも言えるかもしれません)して生きらればいいと思っているのですが、果たしてどうすればいいのか、知恵やポイント等聞きたいです。正直、というか満足しているのでしょうか?とも思ってしまいます。 混乱・・・ よろしくお願い致します。

みんなの回答

  • m0r1y055
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.8

私も10年くらい前にそんな状態になったことがあります。 最初はとまどいますが、意外と自分は○○だ!とまさに自己発見の連続でしたよ。 おすすめは以下の3点。参考になればよいです!(的はずれだったらごめんなさい^_^) (1)美術・映画鑑賞、読書をしたら日記orブログに意見・感想をアップする なんでもいいので自分に情報をインプットし、それに対する自分の本音の考えをどこかにアウトプットする。周りとちがう意見だったとしても、頑固にならないで「その意見もいいね」くらいの余裕も必要。 (2)一人旅に出る 自分探し?というより、旅先で出会う感動や初体験によって、思ってもみなかった自分を知る。例えば、トラブル(なるべくない方がいいですが)や絶景に感動してる時は、他人を気遣うどころじゃないから素を出しっぱなしです。素の自分って、結構面白いやつです。 (3)やりたいことをやる 食わず嫌いだったものにあえて挑戦するとか、前から夢だったことをやる。それに没頭できて本当に楽しかったら、自然と人に伝えたくなります。素の自分的にはこれが最高だったぜ!と他人とシェアすると、周りもそんなあなたを見ていて楽しくなるものです。(嫉妬する人もいるかも知れませんけどね笑)

  • gange
  • ベストアンサー率4% (5/101)
回答No.7

日本は島国で村社会で、見ざる、言わざる、聞かざるでそこそこやって来れました。 しかし、この所ボーダレス社会になり、ちぐはぐな国になっています。個人も同じです。 やはり、自己を確立したい所です。 たぶん、貴方は、その第一歩に立っておられるのだと思います。 これは教わるものではありません。 自分で自分を育てていくものです。 地球的規模の教養を、身に付けていければ理想的ですが・・・。

回答No.6

満足するには上手く出来たなって思えることも一つですね。 でもいつも上手く出来るわけではないです。 そうしたら満足は出来ないかもしれません。 何かをする時は楽しんでみる。 上手く出来ても出来なくても楽しんでみる。 満足を求めて何かをするのではなく、たまたま満足できることもあったと思えるくらいが丁度いいかもしれませんね。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

>自分を制御したり、ある意味作ったり、ある意味気を使っている >時って、自分はそれが人と関わる上で大切な点だと頭で納得していて >もかなり疲れている自分に気づきました。 ということは気配りの名人ってことですよね。 でも、作っていると言っているってことは、もしかして相手に嘘をついている? 本音を言わないのと嘘をついてその場を取り繕うのは違います。 もし、思ってもいないことを言って切り抜けようとしているのなら、それは辛いです。 正直に言えばいいんです。 他の欠点には両目をつぶり、いいとこだけを言う。 相手の欠点を言わないことでトラブルを避けることができるお利口な人。 (私は「口のファスナーが・・・とペロっと言ってしまい にらまれています 笑) 人間 馬鹿正直だと疲れます。 嘘をついても、自分が嘘をついたことを知っているので、誰でもなく自分が疲れます。 真面目すぎても疲れます。 ほどほどがよろしいかと。 4倍角にして、、、「お茶目たれ!」 お茶目の美学 笑。 お茶目が通じない人だと叱られますが・・・笑 えっと、、、北野たけしって根はすごく真面目らしいです。 コメディアンのほとんどは、性格が地味で真面目らしいです。 生活がとても苦しい生い立ちらしいです。 その苦境の環境の中だからこそ育ったのがユーモアらしいです。 松本人志、彼はすごいお茶目ですよね。 おもしろおかしく貧乏だった境遇をこれでもかと語りますが、あれがもし素のまま話すとなると、すっごーーくくらーーい話しになり、聞いているこっちまで暗くなると思います。 ある意味 その不幸な境遇を笑い飛ばしながら人に伝える行為で、心にあるササクレを癒しているようにも思えます。 こんな私でも「もーーーー」と怒りを催すことがあります。笑 しかし、その場ではこらえて こらえて こらえて。  そして同僚にスタスタ言いにいきます。プンプン! 聞いた友人は、深刻に話を聞くどころか「すっげー 信じられない。 そりゃ 災難だ ああ 自分でなくてよかった」と大笑いしてくれます。 「え? これってもしかして笑えるネタだった?」と気づく頃には、自分もゲラゲラ笑い出してます。 時には最初から冗談交じりに大げさにストーリーをおもしろおかしく話し、請け狙いにいきます。 笑。 あまり面白くなくても、人の不幸話に対して大笑いしてあげるのがお互いの暗黙の了解。 解毒をする極意でございます。 笑 >真の自分なんでしょうか?これでいいのでしょうか? 真の自分は私にもわかりません。 人は基本的には一生変わりません。 だから、人間関係をマスターした人は一人もいません。 人は死ぬまで人間関係に苦しむわけです。 ただ、良縁はあるので、笑いの達人とお近づきになると、同じできごとでも、違った認識に変化させることは可能だと最近思うようになりました。 相手の出す笑いの気に触発されて、自分の身に起った深刻な不幸を笑いに変えて消化する。 相性があるので、陽気な人だと誰でもいいというわけじゃない。 相性が合う人とだと、相性が普通の人の倍は笑えます。 ということで、早く相性の合う笑いの壷さんと出会えればいいですね。

  • weber7009
  • ベストアンサー率29% (72/245)
回答No.4

>自分の心が本当に満足して生きるには? 「足るを知る」ことです。 短い文章ですが、今はこの言葉しか思い浮かびません。

noname#50219
noname#50219
回答No.3

参考URLの、発言番号34番くらいからご覧になってください。参考になるかもしれません。 難しい、危なっかしい綱渡りも、けろりとやってのけるから、その芸は見事なものです。険しい世渡りも、ふわりと渡って見せるから、彼は楽しそうに見えるのではないでしょうか。 自由と、平等が、ポイントだと私は思います。 心を心によって解き放ち(自由)、自分も他人も損なわない(平等)、そんな生き方ができたら、楽しいでしょう。 きっと、自分から脱皮する必要があるのだと思います。 喜怒哀楽の情に塗れて、ありのままに生きていることが、幸かな。。 私には、もう一つの幸せがあるように思えます。

参考URL:
http://debate.100man.info/keijiban/read.cgi?2&49&1
  • yama_x
  • ベストアンサー率20% (188/940)
回答No.2

真の自分って何ですか? 素の自分って何ですか? 少なくとも人に対面したときの人の行動って 1.他人からの働きかけ(他人の言動)     ↓ 2.自分の中で対応を検討     ↓ 3.他人への働きかけ(自分の言動) になるわけですよね。 で、通常は2の部分で、自分の感情だけを優先するのか、他人の 感情を優先するのか、自分の社会的立場を優先するのか、 自分が属する組織の利益を優先するのか、法を順守するのか、 等々等々・・・・ いろんな事を考えるわけです。 どれを優先するのが真の自分なのでしょう? 僕は全て真の自分だと思います。 その時々によって優先するべきものが違って当たり前です。 確かに気を使いすぎて疲れる、というのは望ましくないかもしれませんが、 他人の感情、立場を優先していた過去のあなたが、真の自分でなかった 訳ではないと思います。 そのときあなたはそう判断していた、ただそれだけの事です。 価値観を変えて、その判断基準が他人よりだったのが、全体的に 自分の側にシフトしたのが今のあなた、という事ですよね。 ただ、別に自分側にシフトした判断基準をいつもいつも維持しなければ ならないことは全くありません。 その時その時自分が一番優先すべきと感じたことを基準として判断する、 むしろそれが真の自分なのではないでしょうか? 読書がお嫌いでなければ、何年か前にベストセラーになった養老猛先生の 「バカの壁」(およびそのシリーズである「死の壁」「超バカの壁」等)を 読んでみると、参考になる考え方が書かれていると思います。

  • hama88
  • ベストアンサー率14% (36/246)
回答No.1

自分を出す,出さないが良いか悪いかと言う考え方自体間違いですよ。 他人に何を言われても平気な人ほど自分を出す訳です。 傷つきやすい人は出さない。 自分の心が強いか弱いかですが、社会の中で鍛えられて強くなる人もいれば 硬い殻に閉じこもったままの人もいるわけですよ。 いろいろ考えるのはいいですが、なんでも”白か黒”に決めるのは止めましょう グレーだってあるんです。”曖昧”も大事なものです。 ”まあ、いいや” ”なんとかなるさ” 深く考えてもなんにも解決しませんよ。

関連するQ&A