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アリストテレスの自然学について
以前、大学の授業で自然学について学びました。しかしはっきりいって、アリストテレスの自然学において、結局は何が言いたいのかがいまいち理解できませんでした。何を言っているのか、おおまかでいいので詳しい方教えていただけませんか?
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>アリストテレスの自然学において、結局は何が言いたいのかがいまいち理解できませんでした。 結局。。。「りんごの木にりんごの実がなる」 ってことです。 りんごの木に時々 <机>がなっていたり、<馬>がなっていたりすることは無い。 りんごの木には必ずりんごの実がなるってこと。 (接木したら、、、という話は抜きにしてください。) えっと。。。アリストテレスは世の中のものを、<自然に存在するもの>と<技術の結果存在するもの>の二つに分けました。 自然的に存在するもの・・・動物・植物・土・火・空気・水など。 技術の副産物・・・机・洋服・車など。 「技術の副産物は本性的 つまり 自然的衝動を持たない」としました。 机も服も車も自発的に自ら動きません。 人間に動かしてもらわないと動きません。 ということで、人工品はその存在するという原理を自らの内に持たないとしました。 (いいかえるなら自己形成できない存在者。これが自然に存在するものとの大きな違い。) ここから「自然とは自然的存在者のうちにある運動の始源(アルケー)である」と規定し、「自然=実体である」としました。 つらつらと理論の展開をしていくと、とても制限文字以内にかけませんので、その展開は書きません。 が、わたしが感じたのは結局彼は ↓ <りんごの木にはりんごの実がなる> というような事を言ったと思えます。 (あたり前のことですが、それを理論によって証明したがるのが哲学でして・・・) これは自然の目的論、および自然の合目的性を説明していると思うのですが、りんごの木に馬 なりませんよね? みかん? なりませんよね? キャベツは なりませんよね? 人工的な存在者は、木を削ったりくっつけたりした結果、机だったり椅子だったりブロックとしていろいろな形相で存在させられますが、自然的存在のりんごの木にはりんごの実がなるようになっており、この自己形成の原理が形相であり、自然的存在者が自分自身のうちに自分自身の存在を決定する原理を持っている→形相優位の実体論のこと。 理解不足により違っていたらすいません。