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氏神とお寺
それぞれの町や村にある寺や神社はその昔に町や村が金を出して造ったのですか?それとも国や藩が金を出して造ったのですか。
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質問者が選んだベストアンサー
その神社やお寺によって違いますが、ふつうは地域の費用で作られ維持されてきたものがほとんどでしょう。
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天皇とか、太閤さまクラスのおかたが、発願(ほつがん)として、お寺や、神社を建立するというのが、ひとつあると、思います。 その各お寺、神社には、縁起というものが、ありますから、根気よくひとつひとつ調べたら、わかるかと思います。 キリシタン廃絶のために、江戸幕府は、民どもは、どこかのお寺、神社に所属することを義務として課したということです。 旦那寺、氏子ということでしょう。 その時、空白の土地には、お寺や、神社が、補助、寄付などを経て、建立されたと思われます。 明治政府になってから、お寺と、神社を分離させましたが、まだ、渾然となっているところもあります。 寄付をすると、柵などに名前を記してくれますよね。
お礼
どうもありがとうございます。参考にします。
一言でいえば、質問者さんの質問文にあるすべての方法で作られたということになります。小は村の有力者、大は国が金を出し、または寄付を募って建てたということでしょうね。 神社の起源はとても古く、日本が国としての体裁もなにもない時代にできたものが多いです。 お寺は仏教伝来のときからですから、起源が比較的はっきりしています。 神社には社格、寺には寺格というものがありました。お宮やお寺の大きさというかエラサを格付けしたものです。こういうものから個々の神社やお寺の設立の経緯や財政的な基盤がある程度推測できます。 まあ、村人がお金を出し合って作ったというよりも(小さな祠のようなものは、このケースもある)、有力者(部落の有力者、豪族、大名、国など)がパトロンになって作ったのがほとんどであったでしょう。 なお、有力なパトロン(後ろ盾)がなくなった後年は、地元がみんなでお金を出し合ったりして維持したり、現在では観光で収入を得たりして、みなさん苦労されているようです。
お礼
大きな寺などは別な話になるけど村などだとその村から出てると言うことですね、どうもありがとうございます。
お礼
やはり村、町が出資ですか。どうもありがとうございます。