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客観的観察

客観的事実というか、いいとか悪いとか判断する以前のものとはいったいなんなのでしょうか? 世界とか宇宙でしょうか? でも不思議なのは世界とか宇宙を観察するのが、客観的観察だとしたら、いいとか悪いと観察するのも世界を観察しているような気がし、矛盾を感じ悩んでしまいました。 たとえば、「運転中に子供が飛び出したのを見て、即時にブレーキを踏む。」のは、「運転中に子供を飛び出すこと。」「即時にブレーキを踏むこと。」をいい悪いのない観察(これがなにを観察しているのかは分かりません。)し、「即時にブレーキを踏むことがいい。」といい悪いの観察して動くのだと思いました。

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  • blessless
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回答No.2

専門家ではありません。一般人の一意見です。 客観的というのは第三者的立場で、普遍的一般論ですから 良い悪いの判断基準がその現象の対象者である個人が所属している社会や地域での道徳や倫理、社会的な価値観に基づくものであれば客観的でしょうし、個人の一時的な感情やその人独自の考えであれば主観的と言われると思います。 私達が会話などで使う「客観」性というのは多分、個人の損益を第一に考えていない事を指すのではないでしょうか?「冷静な判断」と「客観的な判断」を日常的に私達はほぼ同意義として使ってますから。 社会の形成自体が主観の塊だと思うので、客観って多数決で決まった一般という視点ではないかと。

その他の回答 (1)

  • kanpyou
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回答No.1

素人です。 確かに、自動車の運転操作において、 ・認知 ・判断 ・操作 という節目があり、操作後、その効果が出始めるまでに時間を、空走距離と呼んでいます。 車の停止/制動距離計算機 http://www.asahi-net.or.jp/~zi3h-kwrz/carstop.html 一定の操作を繰り返し行なうことにより、その操作に熟練します。 しかし、今まで体験したことのない状況に遭遇すると、これまでの反復的な動作をすることができず、体がこわばったり、場合によれば、思考が停止することもあります。 教習所のようなところで、繰り返し練習するのはもちろんですが、免許を取得した後も、学習訓練です。スピードは控えめにしましょう。

spitzer3
質問者

補足

>確かに、自動車の運転操作において、 ・認知 ・判断 ・操作 判断とは善い悪いのことでしょうか? また、認知とはいったいなんなんでしょうか? >しかし、今まで体験したことのない状況に遭遇すると、これまでの反復的な動作をすることができず、体がこわばったり、場合によれば、思考が停止することもあります。 確かにこれは言えていますね。判断のしようがないとき、混乱するのでしょうね。

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