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いい悪いなしの観察とは何を観察?
客観的事実というか、いいとか悪いとか判断する以前のものとはいったいなんなのでしょうか? 世界とか宇宙でしょうか? でも不思議なのは世界とか宇宙を観察するのが、客観的観察だとしたら、いいとか悪いと観察するのも世界を観察しているような気がし、矛盾を感じ悩んでしまいました。 たとえば、「運転中に子供が飛び出したのを見て、即時にブレーキを踏む。」とすると、私は「運転中に子供を飛び出すこと。」「即時にブレーキを踏むこと。」をいい悪いのない観察(これがなにを観察しているのかは分かりません。)し、「即時にブレーキを踏むことがいい。」といい悪いの観察して動くのだと思いました。
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個人的な意見になりますが、いい悪い有りの観察って、色々な人種や社会のルール、又は個人がそれぞれ持ってるルール(価値観)のメガネをかけて観察するって事ではないでしょうか? いい悪いなしの観察は、起こった出来事をspitzer3さんが書かれたように“客観的事実”として把握する事だと思います。ニュースで事故や事件を伝える様に。 余談ですが、もっぱら最近のニュース番組ではコメンテイターやゲストが事件について感情的に余計なコメントを付けるので、客観的事実として視聴者に伝わってない様な気がしてなりません。
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- kigurumi
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>客観的事実というか、いいとか悪いとか判断する以前のものとはいったいなんなのでしょうか? 自己防衛本能じゃないかと思います。 わたしがたまにあるのが、瞬時の時に行動を行ったあと認識をするというもの。 例えばコンビニで前の人が財布からお金を落としたのを手でキャッチしたあと、「あ、前の人の財布からお金が落ちる」と認識する。 認識したときは既にお金は私の手の中にある。 行動が先で、認識が後。 エスカレーターでも同様。 前の身体を押した後、「前の人がバランスを崩して倒れ始めた」と感じる。 別に予知能力があるとかじゃない。 とっさの時に認識・分析・判断をすっ飛ばして、行動が起こる。 きっと、順序を混乱して記憶しただけだろう? いや、そうじゃないみたいです。 http://www.sam.hi-ho.ne.jp/s_suzuki/html4/book_nou.html 2-23 自由意志と脳の指令 2-24 「悲しいから涙が出る」んじゃない 2-25 「恐怖」の感情がなくなったら ここら辺りが、今回のテーマを思考する上で参考になるかもしれません。
補足
>エスカレーターでも同様。 前の身体を押した後、「前の人がバランスを崩して倒れ始めた」と感じる。 別に予知能力があるとかじゃない。 とっさの時に認識・分析・判断をすっ飛ばして、行動が起こる。 これは言葉で認識するか言葉なしで認識するかの違いのような気がします。 認識・分析・判断をすっとばしているような行動が起こるのは言葉なしで認識・分析・判断をしているのだと思います。言葉を使わない動物は後で認識とかしないと思います。 >ここら辺りが、今回のテーマを思考する上で参考になるかもしれません 参考ありがとうございます。
補足
>個人的な意見になりますが、いい悪い有りの観察って、色々な人種や社会のルール、又は個人がそれぞれ持ってるルール(価値観)のメガネをかけて観察するって事ではないでしょうか? 確かにそのとおりだと思います。 ところで、「ブレーキを踏むといいかもしれない」というのは、いい悪いの観察なのでしょうか? そして、この観察は何に基づいて観察しているのでしょうか? ブレーキを踏むと事故を起こさないかもしれないということをいい悪い観察しているのでしょうか? >いい悪いなしの観察は、起こった出来事をspitzer3さんが書かれたように“客観的事実”として把握する事だと思います。ニュースで事故や事件を伝える様に。 いい悪いのない観察って感覚で感じる刺激だと思いました。その刺激になんか作用して事故とか事件とかになると思いました。 >余談ですが、もっぱら最近のニュース番組ではコメンテイターやゲストが事件について感情的に余計なコメントを付けるので、客観的事実として視聴者に伝わってない様な気がしてなりません。 確かに客観的事実に主観的なものがくっついてきてしまっていますね