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日本人という概念(2)
「日本人」という言い方が一般的になったのは、いつ頃でしょうか? よく覚えていないのですが、戦国時代の頃は、この言葉はなかったと聞いたことがあるような… 塩野菜七生さんの著書で、「イタリア人」という言葉や概念が一般的になったのは ほとんど20世紀に入ってからだと読んだことがあります。
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上海の租界地に行って、高杉晋作等は、「日本人」を意識したそうです。つまり、日本人でないモノをよーく見たとき。 一般人の人が日本人でないモノを集団で見たタイミングは、日清戦争となります。 塩野さんのイタリア人というのも、第一次世界大戦を近くにして、イタリアとして対外戦争を意識し出したときという意味で、20世紀に入ってからということです。
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- tanikoncha
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そもそも質問者様はどの程度までを「一般的に日本人と定義される日本人」とされているんでしょうか? 小笠原諸島やアイヌ人、それに北海道北方のツングース系諸族については、日本人の誰も 「一般的な日本人と人種的同根の民族」とは考えていないと思います。 それ以外の国籍的な日本人はほとんどDNA的差異は見られず、民族的にも同種であると 断言して差し支えないと思います。 私も昔は「かつて蝦夷と呼ばれた東北系民族(いわゆる東方弥生人)は、厳密に日本人といえないのではないか」 と思っていた時期もあったのですが、DNA的な判定ではほとんど差異はないそうです。 観念的な意味での日本人を取りざたするのであれば、そもそもフランス人が例の革命をやるまでは この地上のどこの誰も「国家」というカテゴリへの強烈な帰属意識はなかったのではないでしょうか。 別に日本人に限った話ではなく、です。 あえてそれを持っていた人々がいるとすれば漢民族でしょうが、あのお国は昔から、 「官は官、民は民」の二項対立の図式がありますから、ちょっと違う気もします。 ところで、秀吉の朝鮮出兵については、そもそも秀吉は朝鮮を「外国」と思っていなかったのでは?というお話もあります。 朝鮮と日本は大昔から関係が密で、日本の朝廷が関係した統治機関が置かれたりした時期もあったり、 秀吉にとっては(そしておそらく当時の多くの戦国人にとって)九州や四国、陸奥や蝦夷と同じ感覚だったのでは。
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朝鮮を外国と思っていなかったというのは凄いですね。 確かに、現在の日本の土地でも、父島辺りになりますと、本当に日本?という位置にありますよね。 韓国の方が近いでしょうし、蝦夷地も日本ではなかったけれど、朝鮮半島も 日本ではない、でも共通した文化もあり、ヨーロッパ人などと較べますと、 近い存在だったのは間違いありませんよね。 どうもありがとうございました!
- aburakuni
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江戸時代以前の一般人にとっては日本(の一部)が世界であり、自分たち以外は漂着した欧米人と言われる天狗や、自分たちに差別対象として与えられたエタ・非人でした。 明治になってやっと異人という概念が生まれ、一般人が外国人を意識するようになったのは、近代国家としての意識が生まれた日清戦争の後です。 蛇足ですがイタリア地区に於いては「ローマ」としての意識が長く続き、イタリアと言う概念は限定された地域で国家が出来て以降の事の様です。
お礼
えた、ひにんという考え方は、同和問題と同じように避けられているような気がします。 日本人と括りますと、均一な民族のような印象を受けますけど、 実際はDNAも違う複数の人種の混合だと言われますし、 鎖国時代やそれ以前にも、色々な差別があったことは、忘れてはならないですよね。 私は、大学に入るまで同和問題という言葉さえ知りませんでした。 異人という感覚も、鎖国時代には乏しかったでしょうね。 ご回答、どうもありがとうございました!
- BaritoneSax
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江戸時代までは 国とは旧国名を指していたようで 今でも 出身都道府県を「お国は?」と聞くのが一般的ですが、 坂本竜馬は脱藩していたため 出身地を「お国は?」と聞かれ、 「日本人だ」と答えたのが始まりだそうです。 日本をひとつの国として(外国があることを含めて) 一般人が理解したのは 廃藩置県が終わった 明治初期のようです。
お礼
いっそ鎖国前の方が国際的な立場を把握していたのでしょうか。 歴史に「もし」はタブーですけど、もしも徳川幕府ではなかったら、 もし織田信長が生きていたら、秀吉ではなくほかの武将が天下を取っていたら… 鎖国はなく、日本人という認識も、もっと昔からあったのかもしれませんね。 東洋が主な交易国だったかもしれませんが、少なくとも聖徳太子時代は、 日本という認識が、今とは指したエリアが違うとは思いますけど、しっかりあったような気がします。 (その時代のことは良く知りませんけど!)
文明開化以前の日本人にとって、海外は「異世界」だったのであり、日本国内こそが世界の全てだったのです。 ゆえに、自分達のことを「日本人」と言い表す必要性を感じなかったのです。 たとえば、現代人は、アンドロメダ宇宙人に対して、自分たちのことを「天の川人」とはいいません。 そんな必要ないからです。 それと同じで、文明開化以前の日本人は、外国と自分達を比較する概念そのものがなかったのです。
お礼
どうもありがとうございました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 イタリアは色々な共和国や公国、王国や法王領に分かれていて、 イタリアという言葉は、むしろ詩語に使われるようなものだったと読んだことがあります。 日本も各地で色々な国に分かれていて、○○の国、△△の国…と呼んでいた為、 もしかしたら、統一前のイタリアのような感覚だったのか、あるいは、 日本は、朝廷や幕府といった頂点がありましたから、もう少し、 「ひとつの国の人間」という感覚が強かったのかな?と思い、質問させていただきました。 高杉晋作の史実を教えていただき、ありがとうございました!