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分離不定詞について
例えば次の文です。 I wanted to carefully read the report. このようにtoと動詞の原形の間に副詞が挟まっている構文は文法的に正しいのでしょうか?
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- Piedpiping
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分離不定詞がいけないというのは、ラテン語になかったからです。 つまり「分離不定詞の禁止」なる規則はイギリスのラテン語を神聖視する人の文法でした。 つまりこの規則を考えたのは日本人でも受験産業の講師でもない、「お偉い」イギリス人学者でした。 今時まともな英語学者でこんなことを言う人はいませんが、むしろ、この古い規範文法を遵守する頭の硬い、そして実は文法に詳しくない、英米人がいることが問題なのです。 日本人にもいますよね、ら抜き言葉や「させていただきます」に異常な敵意を燃やす人たちが。(余談ですが、私もその一人。申し訳ないことです) というわけで結論。 分離不定詞は言語学的・英語学的・記述文法的には何ら問題ない。むしろ分離させない方が英語の一般原則(詳しくはスペースの都合上申し上げられませんが)からはずれる。つまり、分離させる方が英語の構造全体から見れば整合性がある。 しかし、一部の規範文法には違反する。
- lukelivestrong
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皆さん、ご意見それぞれごもっともです。私も一言口を挟んでもよろしいでしょうか?お気に障ったらごめんなさい。 日本人は日本語と言う母国語を持っていて、皆その母国語の環境で育った人々ですよね。その日本語と言う母国語は、アングロ・サクソンの英語とは根本的に、文法も発音も文字もまったく違うわけで、その異なった言語を誰かが誰かに教えようと思ったら、それも父から子へと言った個人レベルの話ではなく、国家として国民に教育しようと思ったら、どうでしょう? 中には感性のとても柔軟な人もいれば、なかなか受け入れられない人も多くいるはずですよね。そのすべてに義務教育、あるいは中等、高等教育で英語を教育しようと思ったら、やはり基礎となる、一つのスタンダードが必要なのではないでしょうか? 古くは、ペスタロッチからイエスペルセン、チョムスキーに至るまで、みんなそのことに心を砕いてきたわけで、自己文法大いに結構ですが、果たしてそれを万人にどうやって教えるのですか?個人個人がそれぞれ独自の話し方や書き方をするのは、夏目漱石やヘミングウェイのような著名人なら大いに大衆に受け入れられるでしょうが、それをいわゆる基礎の固まっていない子供たちに教えられるでしょうか? また、それぞれの人々の英語力を測るとしたら、現行の採用試験や入学試験、資格試験以外のどのような方法が、考えられるでしょうか?日本人も皆その功罪は重々承知だと思います。 実際、英検やTOEIC は実に良く練られていて、真の英語力を測るために心血を注いでつくられています。そしてそれら用の学習法が編み出される弊害も作るほうも十二分に分かっているのです。 大学入試での、問題作成者に関する事など、局部的な小さな問題です。もしその特定の大学に行きたければ、対策を研究すれば良い話ですから。 えらそうにグダグダ書きましたが、英語教育的な観点からの発言です。
- Ganbatteruyo
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Gです。 私も試験で使われる文法についてはMayIHELPYさんとdonchuck007さんの言うとおりだと思います。 つまり、試験には試験の「自己文法」があると言うことですね。 しかし私がいいたいのは、TOEFL/TOEIC/英検や大学受験試験の数々、また、中学・高校・大学での「先生自身の自己文法(それが教育方針に100%沿っているいるのかそれとももっともっと実践英語的姿勢に基づいた)」による試験採点も変わってくると言うのが実情なのではないでしょうか、と言う点なのです。 つまり、donchuck007さんの「よしんばここの回答者全員が「文法的に正しい」と回答しても、問題作成者の意図と違う答えなら間違いにされるでしょう。」と言う部分は私も同意します。 しかし、昔と違いかなり複雑な物になってしまっているのではないでしょうか。 試験問題の真偽は昔はまったく問われませんでした。 しかし、これだけ英語知識のレベルと実際の英語使用が一般人の中にも増えてくると当然のごとく「この文法問題はおかしいのではないでしょうか」という質問がこのカテでも出てくるようになったわけです。 そして、それに対する回答の中に「この参考書ではこうなっています」「こういう解釈もあります」と言うのもでてくるわけですね。 つまり、文法的が昔は「文法はひとつだからそれによると」であり、それが今ではいろいろな「文法解釈」が作られ、この試験ではこの文法解釈を、このテストではこの解釈をしなくてはならない、と言うような回答が出てきてもおかしくないと感じる人が多くなった時代に入ってきたのではないでしょうか。 もちろん、これは基本的な文法、私も「知るべし」と言う文法は含みません。 英語を使えるようになるための文法が必要だと言うことは今回の回答とはまったくかけ離れた物だと言うことには違いありませんし、誰も個人的に批判しているわけでもありません。 ただ、かわいそうなのは学生さんです。
No. 1に補足します。No. 3さんの仰る通りだと思います。試験に出る英語問題は先ず正解の解答ありきで、それ以外は間違いか減点の対象になります。よしんばここの回答者全員が「文法的に正しい」と回答しても、問題作成者の意図と違う答えなら間違いにされるでしょう。
- MayIHELPY
- ベストアンサー率49% (335/674)
No.1の方は「一般的に行われているという観点からいうと文法的に正しいといえます」と回答されていますし、No.2の方は「私の自己文法的にはまったくOKの構文です」と回答されていますので、結局同じ結論ではないでしょうか。 ただ、「私の自己文法的にはまったくOKの構文です」であっても、大学受験の出題者の「自己文法的には間違い」とされるのが現状ではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。
- Ganbatteruyo
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Gです。こんにちは。 myrtille55さん、かなり厳しいことをいうことになると思いますので、そのつもりで読んで下さい。 「正しい」がどうかという事は何か正解的なものがある、と言うことですね。 今回は私がここで書いてきた5年間で漠然として「この英語表現は正しい・正しくない」と議論をしたものとは質が違うものですね。 (今までどうり、「言葉の表現を間違いだ」と断言するにはそれなりに知識と経験が必要となり、かなり一貫した考えが必要となり、それだけの物を持つ人は多分いないと私は思っています) 今回は「文法的に」と条件付きをなされているので、「学問的視点である文法と言う領域」では答えは出易い様に見えますね。 しかし、myrtille55さん、よく考えてください。 文法・文法的と言う表現の定義が今程漠然としすぎる表現はないと思いませんか? 一昔の「ひとつの文法」がこの世界を牛耳っていたのとは違うのです。 英語と言うものをこれだけいろいろな人が「使える」様になり、いろいろな解釈といろいろな幅の別々の許容範囲を唱える文法学者がいるようになった今、ある表現を「文法的に」と言っても「誰の」文法定義と解釈をもとにすると言うのでしょうか。 そしてもうお分かりだと思いますが、昔からの文法自体が「実際に使われている」と言う事実から、今度は「その実際に使われている情況や誰がどれだけ一般的と認めるか」と言う非常にあやふやなものがおいかぶさってきて、例外として認める、から、まだ認めるわけにいかない、A先生はOKとするけど、B先生はダメ、など、学生としても「現実的にひとつの定義がなくなってしまった」のほかに現状を無視できなくなってきてしまい、文法的と言う言葉自体が意味を成さなくなってきてしまったのです。 つまり、文法的と言って条件付けは形の上ではしているものの、結局何を言っているかと言う事を無視しておられると思います。 もう少しはっきり書かせてもらいますのでご自分でご検討ください。 >構文は文法的に正しいのでしょうか? これって、素人(??)個人主張ではなく、こういう構文を認めている文法学者がいますか? この構文を認めた文法参考書はありますか? こういう構文を認めないとする文法学者はいますか? この構文を認めないとはっきり書いた文法参考書がありますか?と言う事なんでしょうか。 それとも日本人全てが日本語の使い方を自分で生まれてから作り上げてきた物を持っているのと同じように(一億みんな違う可能性がある)、アメリカ人も持っている自己文法を認識してくださいますか? もしそうであれば、このcarefullyをどこに入れるとどうフィーリングが変わってくるか(いいえ、文法書に書いてある説明ではなく)carefully readといいたいフィーリングと、read carefullyといいたいフィーリングと、"read the report carefully"と"read the report, carefully"といいたいフィーリングと「カンマが作り出すフィーリング」を考えるのはいかがでしょうか。 という事で私の自己文法的にはまったくOKの構文です。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
お礼
回答ありがとうございます。
toと動詞の原形の間に副詞が入ることは一般的に行われています。例えば、want to carefully readでgoogleすると60,700のヒットがあります。一般的に行われているという観点からいうと文法的に正しいといえます。実際、文法書にも入ることがあるとしているものもあります。詳しくは参考書をお読みください。しかし、受験英語(学校英語)の教えでtoと動詞の原形の間には修飾語は入ってはならないと教えられたらならば、試験時に間違いか原点される覚悟は必要でしょう。 次のような文でcarefullyがしっくり入る場所は to とread の間だと思うのですが、いかがでしょう。それで意味は十分通じるはずです。 You are kindly requested to (carefully) read the book given by Mr. Richard during his visit to our school.
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 私はフランス人向けの本で英語を復習しているんですが、このように分離不定詞を含む文がありました。 English will continue to eagerly create new words ― rather than just borrow from other languages as it did in the past, and to become a real second language for the rest of the world. それに対し、こういう注釈がされていました。 Un sujet de polemique depuis des generations est ce qu'on appelle the split infinitive, c-a-d. mettre un mot(d'habitude un adverbe) apres le to d'un infinitif. Selon les《regle》, c'est une pratique a poscrire (on devrait dire, par exemple, eagerly to create, ou to create eargerly, de facon a ne pas 《scinder》l'infinitif). En effet, il s'agit plutot d'une question de style que de grammaire, et parfois les efforts deployes pour eviter le split infinitive rendent la phrase lourde et artificielle. Si l'on prend comme exemple ce que font la mojorite des ecrivains (surtout americains) d'aujourd'hui, on peut dire que cette phrase est entree dans les moeurs de ceux qui ne prennent pas le temps de peaufiner leur style. Mais en aucun cas on ne devrait pas se laisser influencer par les puristes qui insistent pour dire boldy to go au lieu du plus naturel to boldy go! Ou, comme disait ce grammarien distrait: Take care to never split an infinitive... 文法よりも文体の問題で、分離動詞を使う方が自然であり、避けると却って重苦しく不自然になるようです。最後の 分離動詞を正しいと認めていない文法家自身がうっかり 分離動詞を使って 不定詞を分離しないように気をつけなさいと言っているのが笑えますが。