馬場信春について
見てくださった方、ありがとうございます!
武田家臣、さらに武田四名臣の馬場信春は長篠の合戦で討ち死にするまで、「生涯70回もの合戦に参加し掠り傷一つ負うことがなかった」という逸話を持っています。
同じように、徳川家臣、徳川四天王、徳川十六神将に数えられる本多忠勝も「生涯57度の合戦に臨み一度も傷を負わなかった」というものがあります。本多忠勝は猛将というイメージがあるのに信春にはあまりイメージがつきません。
なぜ信春は長篠の合戦まで傷を負うことがなかったのでしょうか(逸話なので信憑性も疑われますが(^_^;))忠勝のように個人武勇に秀でていたためでしょうか?
皆様の考えを教えてください!
また、無傷の逸話に関してですが、くだらないですが私の考えを聞いていただけないでしょうか?
信春は猛将として名高い「鬼美濃」の異名をとった原美濃守虎胤の武勇にあやかって美濃守を名乗り、「不死身の鬼美濃」と恐れられたそうです。
それと同じように、徳川家康は武田信玄を敵ながら尊敬していたそうですし、徳川家は武田の遺臣を多く取り入れるほど武田の強さを認めていたと言えます。そして本多忠勝の無傷の逸話は「不死身の鬼美濃」馬場信春の武勇にあやかったものだった…というこじつけ程度のつまらない考えですがどうでしょうか(^_^;)
四名臣と四天王でなんか被ってるし…と散歩しながら考えたのですが(笑)
良かったらこの考えにも感想や指摘をお願いしますm(__)m
お礼
ありがとうございます