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なぜ人間(動物)は本能や体仕組みをわからないの

散々考えたり、消化したり、運動したり、いろいろ生命活動をやっているわけですが、どういう風に体が働いているのか、なんで本能的に知っていないのでしょう?医学書がなければ、さっぱり体の構造がわからないし、鏡がなければ、一生自分の姿さえ知らない始末です。 さらに、本能のほうは 子孫を残せ、体を保て、成長しろ みたいな命令を発しているのにそれに気付かず、あるいは本能のほうもそれを見切って 異性に触れたい、うまいものを食べたい、ゆっくり休みたい みたいな心理的欲求しか感じないようになっているのでしょう?本来 子孫を残したい!体を鍛えたい!(これはちょっとひねくった感覚ではありますけど)成長したい!(これもないとはいえませんけども希薄) みたいに思えないのでしょうね。

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  • kobarero
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回答No.3

>なぜ人間(動物)は本能や体仕組みをわからないの 知る必要がないからだと思います。動物は自分の身体の内部構造について知識がありませんが、子孫を残したり、生存していく上では、何も問題はありません。 >本来子孫を残したい!体を鍛えたい!(これはちょっとひねくった感覚ではありますけど)成長したい!(これもないとはいえませんけども希薄)みたいに思えないのでしょうね。 現実的に目的を達成するためには、「欲望」を「欲求」に変換する必要があるからだと思います。「欲望」は抽象的で、「欲求」は具体的です。具体的でないと行動に移すことができません。例えば、「子孫を残したい」と「欲望」しても、それは具体的ではないので、行動に移せません。行動に移せないと、現実に子孫が残りません。 現実に子孫が残すためには、ある時、ある場所で、ある特定の異性に対して、ある特定の行為をすることを「欲求」する必要があります。「欲求」は具体的な「行為形態」をイメージさせるものですが、「欲望」は抽象的です。抽象的に「子孫を残したい」と「欲望」しても「子孫を残す」という本来の目的を達成することはできません。

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。必要ないですよね。もっとも明快な理由ですね。欲望と欲求についてです。その通りだと思います。むしろ「子供を作りたくない!」と思って「異性に触れたい!」というのを実現しているわけですし、本能からするとなんとこしゃくなと思っているでしょう。生殖に限っていっても、問題はむしろ「子孫を残したくない」のに「性交したい」とおもうことろです。

その他の回答 (4)

回答No.5

歩いている途中で急に眠くなったとします。そのまま「眠れ」という命令が直に襲って来たらその場で倒れて寝てしまうでしょう。危険ですよね。私たちなら車に轢かれてしまうかもしれないし、野生動物なら食べられてしまう可能性大です。 そこで、安心できる所で眠る、という習慣を「本能的に」身につけたんでしょうね。だからフカフカのベッド(干草でもいいけどっ)とか、音のしない静かな所を求めたりね。「眠れ(命令)」→「(どこかで)眠りたい(という欲求)」→「眠い(という感覚)」のような仕組みになっているのでしょう。 「子孫を残せ」→「セックスしたい」→「子供が欲しい」 「栄養をとれ」→「食べたい」→「お腹が空いた」 こうして見ると、本能って、最初の命令の部分じゃないですよね?

noname#32495
質問者

お礼

やっぱり私は順序が違うような気がします。 眠る例では 「体を休息せしめて滋養背よ」→「眠い」 こっから文明による人間特有な生態に移行して →「どっか安全な静かなところで」→「安心した、ますます眠い、寝よう」 という流れなのではないかと。 つまりはその大前提を人間は全然重きをおかない様になっているということです。 子孫を残したいとも栄養を取りたいとも基本的には思っていませんよね。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

DNAには生前の歴史が保存されているはずですが、人は、海馬が確立して以来の事柄は全て記憶しているのではないか、と私は思っています。 ただ、記憶しているということと思い出すということは別なことであって、 必要の無い、あるいは思い出すと害になるような事柄に関しては思い出せない、あるいは思い出さないような仕組みになっているのでしょう。 人の顔を認識する必要はありますが(敵味方を区別するため)、自分の顔を知る意味は生体維持的にはないと言って良いでしょう。 人の欲望は、主に 本能的欲望=好き嫌い(快・不快) 自我的欲望=損得 超自我的欲望=善悪 の三種類に分類できるらしいです。 このうち最も早くから属性として備わっているものが本能です。 後は獲得形質と言っても良いものだと思います。 つまり、本能的欲望(もとい、欲求と言うべきでしょうか)が最も【確実】なわけです。 ですから、本当に必要なことに関しては、理屈ではなく「快・不快原則」に還元させて確実に実行するようプログラムされているのでしょう。 #1さんおっしゃるように、本能が壊れている場合は、無論その限りではありません。

noname#32495
質問者

お礼

本能のほうが一枚上手なきがします。魚釣りみたいなもんですね。「快・不快」の餌で釣っておけば人間なんていうのはかかり続けるだろうと。自然はうまくできたものですね。どうして「快・不快」が生じたのかもまた疑問なところです。

  • gyamboi
  • ベストアンサー率11% (70/585)
回答No.2

本能というのは、そういうものではないです。 ある種類の行動様式をもったグループが生存競争に 勝ち残ったために、みんなそのような行動を取るように 見えるようになり、本能と呼ばれるようになった、 ということです。

noname#32495
質問者

お礼

結果であって原因ではないということなんでしょうかね。

回答No.1

人間の本能は壊れてしまっているんです。 赤ん坊は煙草やガラスなど害になるものでも 食べようとします。他にそんな動物がいるでしょうか。 倒錯的な性欲を持ったり、子供を殺したり 楽しみのための狩猟(殺害)をする動物が 他にいるでしょうか。 本能がないからそうなるんです。 人間は太古の昔、本能が壊れてしまい 滅亡の危機に直面し、苦し紛れに 自我というものを作り出し本能の代用に しようとしましたが、やはり完全には代役には ならず、他の生物にはないさまざまな問題を 抱えながら生きているんです。

noname#32495
質問者

お礼

確かにそうでしょうね。使わないと失われていくものがあると思います。

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