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「無意識」は普段何をしているんですか?

「無意識」は夢に深く関係しているようですが、夢に従事していないとき、例えば、昼間は何をしているんでしょうか? 

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  • vzb04330
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回答No.7

無意識と夢とを結びつけて考えるのは,精神分析またはその流れを汲む立場です. 精神分析は,ご存じかと思いますが,フロイトに始まる,治療理論であり,パーソナリティ理論でもある学派です. フロイトによれば,心は,3つの心的装置と呼ばれる部分からなっており,その間の力のバランスでパーソナリティが決まると考えられています. これを力動的人格理論といいます. さて,その心的装置は,次の3つです: 1)エスまたはイド(Es,Id):無意識の代表的な部分で,本能的な衝動や,抑圧された欲求,記憶,イメージが貯留されています.この部分は,「快感原則」にしたがって,動き,「欲求が生じたら,即時に満足させたい」という働き方をします.エスは,生まれつきもっている部分で,赤ちゃんは,いわばエスのかたまりのような存在です. 2)超自我(super ego):超自我は,生後,両親などから承ける「しつけ」を自分の中に取り入れて(これを,内在化といいます),形作られます.超自我は,昔風の頑固親父のようなはたらきをします.つまり,良心の禁止,理想の追求です.具体的にいえば,「~しなければならない」「~してはならない」という作用をします. 3)自我(ego):自我も,生後,いろいろな人と出会ったり,社会的なルールに接する中で,次第に形成される部分です.自我のはたらきは,「現実原則」にしたがいます.つまり,エスと超自我の2つしかないと考えると,方や「欲求の即時満足」を追究し,方や「~してはいけない・~しなければならない」ということを主張しますから,現実の世界でうまくやっていけなくなります.自我の現実原則は,「現実の世界に適応していけるよう,エスと超自我の間等をうまく調整する役割」を果たしています. 自我・超自我とも,意識のレベルでいえば,前意識(ぜんいしき)~意識のレベルです. 先ほど書いたように,パーソナリティは,この3つの心的装置の間の力関係で決まるとされます. 1)エスが強い:我慢できない,わがままな,幼児的性格 2)自我が強い:現実的,理性的,合理的な性格 3)超自我が強い:生真面目,頑固,融通が利かない,抑圧的な性格 また,先ほどの意識のレベルとは,いわば自分で気づいているかどうかを分類するものです.これについても,簡潔に説明すれば,次のようになります. 1)無意識:エスがその代表的な存在です.通常は,無意識で何が起こっているかは,気づいていません.抑圧された衝動や記憶・イメージの貯留されている部分がエスですので,それがそのまま意識にのぼると,その人の自我の安定が脅かされるため,形を変えて(加工されて)意識にのぼります.その1つの形態が,夢なのです.夢で,たとえば,刀やピストルが男性器の象徴とされるのは,加工されているため,そう解釈されるのです. 2)前意識:普段は気づきませんが,何かの機会に,あるいは,努力すれば,意識にのぼる部分とされます. 3)意識:これは,私たちが普通に,気づいている部分です. 以上が,精神分析の考え方によるものです. 無意識は,したがって,昼夜に関係なく働いていますが,主に欲求(中でも,性欲,食欲,攻撃性など)の源であり,それらが抑圧(処理されないまま押し込められている)されている部分です. 昼間は何をしているかということ自体に,直接の回答になりませんが,このような仕組みを,精神分析では考えています. 通常の心理学で,「意識されない」「無意識的に」というときは,次のような考え方です: 何かをするときなど,かなり身についてしまっていることでは,ほぼ自動的にできてしまうことがたくさんあります. たとえば,クルマの運転で,初心者のうちには,するべき動作を1つ1つ思い出して,かなり努力して(意識して)行う必要がありますが,慣れてしまえば,助手席の友人と話をしながらでも,音楽を聴きながらでも,とくに考えずに運転ができますね. こういうように,学習が進み,自動的に行えるようなった場合に,通常の一般心理学では,「無意識的に行っている」ということがあります.

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 フロイトの精神分析については、以前、多少聞きかじったことはあるのですが、エス、自我、超自我の関係がよくわからず混乱していました。でも、今回大変わかりやすくまとめていただいたので、なるほどと納得できました。ありがとうございました。 それで、色々考えてみたのですが、「無意識」について、私は勘違いしていたような気がします。というのは、そもそも「無意識」という「もの」があるわけではないんですね。「意識がない」とは言うけれど、「無意識がない」とは言わないですもんね。「無意識というもの」があるわけではないから、「無意識が何をするか」という問いもおかしいということになりそうですね。 では、何があるのかというと、ご説明にあった、エス、自我、超自我がある。すなわち、何かをするのは、「無意識」ではなく、エス、自我、超自我だということになりそうですね。そして、無意識は、あくまで、それら、エス、自我、超自我の働きに気付くか気付かないかの「状態」を表しているだけ。とりあえず、そんな理解になりました。

その他の回答 (23)

  • kanpyou
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回答No.14

#11です。 ・「覚醒」した状態/覚醒していない状態 ・意識/無意識 とは、符号する関係にありません。  覚醒していない状態でも、外部からの入力に対しては『ウォッチング』状態で、例えば、赤ちゃんが熱を出して泣き声を上げた時、母親は反応し、起きます。 これは、無意識なのではなく、ちゃんと外部を観察している状態なのです。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 > 覚醒していない状態でも、外部からの入力に対しては『ウォッチング』状態で、例えば、赤ちゃんが熱を出して泣き声を上げた時、母親は反応し、起きます。これは、無意識なのではなく、ちゃんと外部を観察している状態なのです。 結局、覚醒していないけれども、「無意識」ではなく、「意識」が働いているという意味でしょうか? この例から思い出すことがあります。「泥酔して、電車に乗り、家に帰ったのに、その記憶が全くない」という現象です。これは、覚醒していないけど、「意識」がある状態ですか? それとも、「覚醒して、意識があった」のだけど、記憶が失われた」だけでしょうか?

  • hakobulu
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回答No.13

#8です。補足拝見いたしました。 「無意識にそうしてしまった」などと副詞的に働く場合は、エス、または超自我が意識せずに働いたことの表現になり、 厳密に言えば、実体はない、とも言えるでしょうが、 「無意識がそうさせた」などという場合の無意識は名詞として、無意識的エス、または無意識的超自我の略として暗黙の了解を得ているような気もするので、この場合は実体を持つと言って良いのかもしれません。 しかし、おっしゃるように、私自身、 「無意識は」「無意識とは」などと前置きして述べる場合に、上の両方の意味を区別せずに使っている場合も多かったような気もします。 他のスレで「言葉の定義が大事」などと偉そうな回答をしたばかりなので冷や汗ものですが、有意義なご指摘をいただきましてありがとうございます。 全く、思い込みほど怖ろしいものはないわけですが、自身に対する検証を放棄することだけはしたくないものです。 回答する気にさせる質問を作るのは回答するより数倍難しいはずで、 時期によってはその能力ゆえに色々やっかみもあるでしょうが、楽しみにしている方も大勢いますので、引き続いてのご健闘をお祈りいたしております。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >「無意識がそうさせた」などという場合の無意識は名詞として、無意識的エス、または無意識的超自我の略として暗黙の了解を得ているような気もするので、この場合は実体を持つと言って良いのかもしれません。 確かに、世の中一般では、そのように解釈されているようですね。だから、その世の中の解釈に反して、「無意識という実体は存在しない」などと言うと、逆におかしいぞと言われそうです。結局、「心」の中には、意識される領域と意識されない領域が有って、「意識されない心の領域」を「無意識(領域)」と呼んでいるようですね。 そこで、ちょっと、別の疑問になるのですが、そもそも、「心」の中には、何故、「意識される領域」と「意識されない領域」があるのでしょうか?  多分、フロイトの理論では、「抑圧」がかかっているので、意識されない領域ができると言っているように思います(フロイトをちゃんと勉強してるわけではないので、間違っているかも知れません)。もし、そうだとすると、「じゃ、その抑圧をかけているのは何なんだ」という疑問が出るわけですが、私の思い付くのは、道徳とか、社会規範のようなものしかないような気がします。しかし、そうだとすると、それは、結局、超自我の働きなので、抑圧されているというよりは、「エス、自我、超自我」の3者で、葛藤しているだけのはずです。 そうすると、その葛藤状態が、意識されてもいいように思うのですが、何故、意識できないのか不思議です。それで、もっと根本的な疑問として、「意識されない領域」って、本当にあるのでしょうか? 「本当に意識されない」なら、「意識されない領域」があるということすら気付かないはずではないでしょうか? 「夢」でも、「いい間違い」でも、結局、気付いているのではないでしょうか? 「意識されない」のではなく、単に、メカニズムがわからないとういうだけの気もするのですが。 まだまだ、疑問が尽きないのですが、発散しそうなので、この辺にしておきたいと思います。

回答No.12

NO.10さん御忠告ありがとうございます! まあ質問内容と御礼の内容からして分かっておりましたが、他の回答者様の答えがおもしろく、また補足するのが自分自身にとってプラスになるので敢えて参加させていただいております。 抽象的な質問というのは本当に面白いですね。 質問者様とのやりとりは子育てしていく上でもいいトレーニングになります。(僕はまったく専門的な勉強をしたことが無いので参加していて面白いです) で補足ですが・・・ >脳自体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。 ですが、 一番分かりやすい例として催眠療法があります。 子供の頃の記憶にさかのぼり過去の記憶を呼び起こすってやつです。 これはまさにストックしている証拠ではないでしょうか? 過去の記憶はデータとして蓄積されております。 情報として必要ないものであれば消去していけばいいだけです。 それは日々の些細な出来事にも通じていると思います。友達との会話の中で何かしらのキーワード、例えば「花」という単語が出たときに、別に花には興味が無いのにその日たまたま路傍の片隅で見かけた花が頭の中に浮かんできたりします。 どうでもいい事でもストックされているのですから脳の情報蓄積能力はすごいものが有るような気がします。 まあ、HDDのように確認できる訳ではないのであくまでも参考までに・・・

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >一番分かりやすい例として催眠療法があります。 子供の頃の記憶にさかのぼり過去の記憶を呼び起こすってやつです。 あー、そういう意味ですね。それなら、わかるような気がします。というのは、そのような記憶は、結局、何らかの「要約」がなされているはずだと思うからです。ビデオカメラに撮ったように厳密な意味での全記録は残っているわけではないと思います。 どのように「要約」されているのかは、大変興味のあるところです。我々は初対面の人の顔を見たとき、その顔を写真に取ったように記憶するわけではなく、多分「特徴」を抽出して記憶しているのだと思います。そうでないと、次回会ったとき、前回と顔の角度が少しでも違うと、前回の顔写真情報と一致しないので、別人と思ってしまいます。

noname#31063
noname#31063
回答No.11

無意識は「本音」です。 意識は「建前」です。 本音は 積極的に周囲に働きかけるのは苦手で、 主に保持的、受動的に 自分の恒常性を保つために働くようです。 だから本音(無意識)を示せる人というのは 無謀であるか、無頓着なのかになり 周囲を困らせることもありそう。 それでも怖くない覚悟(計算)の上ならば 責任を取れる偉い人か 狂人になっちゃいそうです。 例えば、対等な人間だと思っているのに 「先生」とか「~様」と呼んだりするのは 無意識に敬っているからでなく建前です。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >無意識は「本音」です。意識は「建前」です。 あー、スッキリした。一刀両断、スッパリ割り切りましたね。 一方、私は、同感しながらも、段々、混乱してます。と言うのは、「無意識」という「意識」は存在せず、存在するのは、「エス、自我、超自我」ではないかと思い始めたからです(#7回答参照)。もし、そうなら、エスが「本音」で、超自我が「建前」で、自我が両者の調停役ということになりそうです。

  • kanpyou
  • ベストアンサー率25% (662/2590)
回答No.10

学派や研究者によりその領域は、一定ではないように思います。 フロイトは、 ・意識 ・前意識…主に記憶(思い出せるもの) ・無意識…欲求(空腹など)、本能的な衝動 のように考えていたと思います。 また、視覚について、意識が集中していて鮮明に見えている部分と、その周りの背景となっている部分とがあり、意識していないという意味で、その背景部分を無意識と呼ぶことがあります。  このように、情報として入力し続ける無意識もありますし、意識しているもの以外を全般に無意識と呼ぶことがあります。 「意識する」という部分は非常に複雑な領域で、例えば、ある臨床例では、痛みを感じないが、痛みが存在することを認識している状態があるようです。 つまり、脳へ、痛みとしての信号が伝達されているにも拘らず、痛みとして知覚しない(痛いと感じない)という状態があるようです。 そのような重要でない情報は、無意識へと押しやられてしまいます。 参考図書 無意識の脳自己意識の脳 アントニオ・R・ダマシオ著

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考図書は、今度見てみたいとおもいます。

回答No.9

うーん。 専門的な分野で解析すると表現方法がいろいろ有るので勉強になりますね。 一応補足要求まで・・・ >意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。 というのは、人間が生きていくためには、ありとあらゆる情報を処理していく行為です。 つまり脳事体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。 で、必要と思われる情報だけを優先的に引きだします。 これが認識すると言うことです。 快適な温度で生活しているときは特に意識しません。 が、寒かったり暑かったりしたときは認識し、蓄積された経験によって何らかの対応をします。 何らかの対応を迫られた訳ですから、優先順位が上がったのです。 別の例を挙げると、心臓は常に動いています。 動かないと死んでしまうわけですが、この働きを命令しているのは脳であり、命令を出している以上意識している訳です。(ちょっと極論っぽいですが・・・) しかしこれは意識としては上がってきません。 無意識にに動いている状態です。それでも脳は意識しているのです。 まあこの例は夢とは関係ない部分ですが、意識できない訳ではないのです。 つまり情報としては常に意識はしているけれども、認識をしていない状態ではないでしょうか? 僕の言う処理とは優先順位が上がって認識し対応する(考える)という事です。 脳が何かしらの対応をした方がいいですよ(考えた方がいいですよ)っと要求してる部分が意識に繋がる部分と思います。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >無意識に動いている状態です。それでも脳は意識しているのです。 おっしゃる通り、無意識「に」働いているという表現が正しいんですね。#7、#8へのお礼と補足で書かせていただいたのですが、私は、無意識「が」働くものと勘違いしていました。無意識に「何が」働くのかを考えるべきでした。脳や心が働くということですね。「脳や心が」昼間何をしているかは、比較的想像しやすいです。 ところで、本論からはずれますが、「脳自体は、目に入ったもの、耳に聞こえたもの、肌に感じたもの全ての情報をいったんストックします。」というのは本当ですか?以前にも同様の話を聞いたことがあり、脳ってそんなに大量の記憶容量があるのか疑問に思ってました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

#3です。補足拝見しました。 >無意識は、昼間、具体的に何をしているのでしょうか? :意識というもの自体が、意識するという作業によって初めてその存在を確認できるものだと思います。 意識は、自分や周囲の世界への認識を意味していると思いますが、どのような認識になるかは人それぞれ異なるでしょう。 それは、その個人の過去の記憶や、獲得してきた脳神経関連の蓄積によるものでしょうし、それによって形成されうる可能性全てを指して無意識と言うように思います。 【具体的に何をしている? 】ということになると、何らかの刺激に対処すべく待機している、ということになるのではないでしょうか。 この辺までは、kobareroさんには釈迦に説法だと思います。 【昼間】という要素に注目されているようですが、 夢は、意識の拘束が緩まる、という刺激を受けて無意識が浮上して意識となる過程で発生するだけだと思いますし、 昼間でも何らかの刺激で無意識的行動を取ることはあるわけで、夜昼の違いがむしろ意識の強弱にあるということに留意すれば良いのではないかと思います。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >夢は、意識の拘束が緩まる、という刺激を受けて無意識が浮上して意識となる過程で発生するだけだと思いますし、昼間でも何らかの刺激で無意識的行動を取ることはあるわけで、夜昼の違いがむしろ意識の強弱にあるということに留意すれば良いのではないかと思います。 #7の方へのお礼に書かせていただいたのですが、私は「無意識」という言葉の意味を勘違いしていたのではないかと思ったのです。ところが、hakobuluさんの回答を読ませていただくと、hakobuluさんも、「無意識」という言葉の意味を私と同じように考えておられことがわかりました。それで、もしかすると、私だけでなく、一般に「無意識」という言葉の意味が変則的に解釈されているのではないかと思い始めました。 どういうことかと言うと、「無意識」というのは、元々は、文字通り「意識が無い」であり、「意識」がないという「状態」を表しているのであって、「無意識という何らかの実体を表しているわけではない」はずだということです。だから、「無意識自体」が何かをするということもないはずだと思うのです。ただ、世間一般では、「無意識という実体」があるかのように考えられていますよね。これって、本来の意味からするとおかしくないですか? 私は、初め「無意識という何らかの実体」があると思ったので、「無意識が昼間、具体的に何をしているか」について疑問に思ったのですが、実は、「無意識」などという「もの」は、存在しないのではないか、そして、存在するのは、#7の方の説明にあった「エス、自我、超自我」のような心の働きではないかと思い始めました。そう考えてみると、エスは本能的快楽を追求し、超自我は、あるべき姿を追及し、自我は、エスと超自我の間の調整を取って、日夜励んでいるという説明ができます。 こんな感じの理解で良いでしょうか?

回答No.6

全くの私的意見ですが・・・ 無意識が夢に関係している時点でそれは意識です。 つまり、人間は常に膨大な量の意識(情報)を傍受していますが全ての意識に対しての処理能力は備わっていません。常に入ってくる意識に対して優先順位を付けて処理(意識を確認)していきます。 意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。 人間は寝ている間も意識しています。 よくテレビをつけながら寝てしまい、夢でテレビの内容を見たという経験が無いでしょうか? これも意識です。 人間は生きている限り脳が働いて何らかの意識があります。無意識というのはあくまでも記憶に残らなかった情報と思えばいいのではないでしょうか。 記憶には残らなくても脳には蓄積されています。 夢で、なんでこんな夢を見たのか分らない、というのは蓄積したものが流出したものだと思います。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >意識をしたけれども処理されなかった情報が無意識です。 「意識をしたけれども処理されなかった」とは、どういう状態を意味するのか、あまりよくわかりませんでした。意識できないから「無意識」と呼ばれると思っていたのですが。

noname#117439
noname#117439
回答No.5

NO4です。 意識にとって無意識は一体であり、意識は無意識をよく知っています。 あなた自身の行動に多大な影響を与えており、今回ご質問の元になったような、自分自身に対する疑問は無意識からの質問状です。 そうはいっても疑問は晴れないと思いますがこれだけは憶えてください。 無意識と意識、そして意識の見せる現実世界は、夢の世界に住む無意識にとっては隔たりがあり、煩悩を振り払わない限り意識と現実の実態を無意識世界は理解できません。 今回のご質問はそんな無意識から見た意識に対する疑問の裏返しであり、自分自身の存在に対する疑問です。人から聞いてもこれ以上のことは理解できないと思います。この無意識から見た自分自身に対する不安を解消するのは信仰心による絆です。

kobarero
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#117439
noname#117439
回答No.4

意識(あなた自身)と一緒になっています。 自律神経の働きも、実際には無意識の手作業です。 ちなみに上位の無意識(阿頼耶識)イコール考えることが役目で感情を生み出すことの出来る無意識。 下位の無意識(マナ識)イコール記憶を保持して実際に行動に移す無意識です。

kobarero
質問者

補足

ご回答ありがとうございました。 >自律神経の働きも、実際には無意識の手作業です。 心臓を動かしたり、胃液を出したりするのも、無意識の行っている仕事なのでしょうか? >上位の無意識(阿頼耶識)イコール考えることが役目で感情を生み出すことの出来る無意識。 無意識が考えるとき、意識の知らないところで、「何」を考えているのでしょうか?

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